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十周年追悼式 宮城県御遺族代表のことば

2021年3月11日 17:01
十周年追悼式 宮城県御遺族代表のことば

震災で犠牲となられた方々を慰霊する、東日本大震災十周年追悼式が行われる本日、遺族を代表して追悼の言葉を述べさせていただきます。

平成23年3月11日、私は当時幼稚園の年長でした。卒園を心待ちにし、小学校入学を楽しみにしていたことを思い出します。そして、忘れもしないあの東日本大震災が発生。それまで誰も経験したことのない激しい揺れと、太平洋沿岸部を襲った大きな津波に見舞われ、父の実家がある宮城県名取市閖上にも9mを超える大きな津波が襲いました。

美しい自然に恵まれた海辺のまち・閖上、そして仙台空港周辺の下増田地区に壊滅的な被害をもたらし、愛する家族や、ふるさとの風景までをも奪い去っていきました。私の曾祖父母も行方が分からなくなり、後日遺体が発見され、小さかった私は、祖父母や、父、母が悲しみに暮れているのをただただ見ているだけでした。

当時、私が入学した小学校も、被災された方々の避難所となり、小学校の先生方、地域の方々がお世話をしていらっしゃいました。入学式が行われたのは、予定されていた日から10日後の4月18日だったと思います。小学校の体育館は使用できなかったので、向かいにある公民館ホールで行われ、当時の校長先生から、命の大切さを教わりました。

悲しみに暮れるなか、私の父はかつての賑わいを取り戻すべく、閖上で古くから伝わる伝統行事の開催や、閖上の復興に立ち向かう方々と今後のまちづくりなどについて奮闘していました。故郷のために一生懸命活動していた父がとても誇らしく思いました。

そういった地元を愛する方々や、日本全国、世界各国からの応援、支援もあり、父の故郷閖上は令和元年5月にまちびらきが行われ、賑わいが戻りました。かつてのような笑顔の絶えない素晴らしいまちになることを願っています。

復興が進み、綺麗な町ができ、父の故郷・閖上の風景や、よく遊びに行った仙台空港近くの臨空公園の景色、震災というものがだんだん私の記憶から、薄れてきているのは事実です。私たち若い世代ができることは、風化し始めている東日本大震災の記憶を改めて呼び起こし、後世までその事実を繋いでいくことだと思います。微力ではありますがそういった活動に取り組んでいけたらと思います。

最後になりますが、これまで我々にご支援くださった、すべての方々に感謝を申し上げると共に、震災で亡くなられた多くの方々のご冥福、そして未だ行方が分からない方々が1日も早く、ご家族のもとに帰ることを切に願いまして、遺族代表のことばといたします。

令和3年3月11日 宮城県遺族代表 荒川航

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