小説で“災害を自分ごとに”地震学者の思い
東日本大震災から10年。地震学者である慶應義塾大学の大木聖子准教授は、「災害を自分ごとと考える」ことを信念に、研究を続けています。これからの「防災教育」に必要なことや、今からできる防災アクションについて、防災士の資格をもつ日本テレビの杉野真実アナウンサーが聞きました。
■テーマ(1)地震学者への思い
「阪神・淡路大震災が起きたときは高校1年の3学期で東京にいて、地震が起きたっていう情報がわからなくて、本当に何が起きているんだろうって。高校生なりに何かできないのかと感じて、それで地震学者になりたいと思いました」
■テーマ(2)地震学者としての葛藤
地震研究所で、博士論文の執筆を続ける中で起きた「新潟県中越地震」。余震で亡くなった女の子がいることを知り、学者としての責任・役割を問いかけたといいます。
「余震が危険ですよと伝えてこなかった地震学者にどれほどの責任があるのか。なぜ現地に行って助けたりしてないのか、地震学者の私はなんなのだろうと、新潟県中越地震の時にすごく思い悩みました」
■テーマ(3)東日本大震災と防災教育への思い
そして東日本大震災。当時は、東大地震研究所で地震メカニズムなどを国民に伝える広報を担当。ただ、地震学者としての葛藤は続いていました。
「津波から人々が逃げていく映像を見て、何でこんなふうにしてしまったのだろう、自分にどれだけ責任があったのか、もっとできたことがあったのではとか、それがもうずっと、今でもですけど」
そんな大木さんが力を入れているのが「防災小説」の授業。特定の日時や天気などを定め、その条件下で災害が発生したことを想定し「小説」を書いてみるという取り組みです。“未来の災害”を、自分の身に起きたことかのようにつづる。災害を“自分事”にするのが狙いです。
「めくってもめくっても色々な防災小説が、これはすごいなって思いました。守らなきゃいけないものがあると行動を起こせるんですよね」
■テーマ(4)震災10年と未来の防災教育
東日本大震災から10年、保育園などに通う“未就学児”を対象にした防災教育を進めたいと考えています。
「5歳の時に私にサイン下さいと言った子がいま中2で、3月の福島での地震の時、『え、地震?』と言ってる親の行動をよそに、いち早く机の下に入ったのが息子さんで、三つ子の魂百までと思ったとお母さんが連絡を下さった。小さい時にやったことを体で覚えて、もうできるんだなってうれしくなった」
──東日本大震災から10年、今後も災害が起きる日本の中で、防災教育の一番大切な所は何でしょうか?
「災害がおこるという現実感・リアリティーを、自分一人だけ、先生一人だけではなく、皆で思っていく。どうやら来るらしいからこれやっておこうというのを皆が思う。つまり自分がやった時にちょっと発信する」
「防災ポーチ持ち歩いている、とか、LEDライト鍵につけてない?とか、ちょっと発信するということで、実は誰かを助けるということにつながっていく、リアリティーを持つことができる、皆で築き上げていくものかなと」
◇◇◇◇◇
防災教育に力を入れている地震学の専門家がいると聞き、是非話を聞きたいと思っていた杉野アナウンサー。インタビューでは、難しい表現や専門用語が出てくることは一切なく、授業を受けたような気持ちになったということです。