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体罰・暴言のない子育て 尾木直樹さん 後編「子どもの意見を聞き任せると、責任感が湧く」

2022年4月28日 19:33
体罰・暴言のない子育て 尾木直樹さん 後編「子どもの意見を聞き任せると、責任感が湧く」

子どもが言うことを聞かないからと、怒鳴る、お尻をたたく、ベランダや部屋に閉じ込めるなどは、体罰にあたり、2年前(2020年4月)からは児童福祉法で禁止されています。来週のこどもの日を前に、こどもの権利や体罰について、40年以上教育現場に携わってきた教育評論家の尾木直樹さんに聞きました。

・ 後編の後編)

──日本は子どもの権利条約を1994年に批准していますが、あまり知られていない

子どもに権利があるということで、国レベルではこども基本法が必要だし、東京都では、去年、こども基本条例が制定されて、子どもの基本的な権利についてもちゃんと述べてあるんですよ。

子どもの権利をユニセフ的にいえば、4つの基本的な権利があって、生きる権利、育つ権利、守られる権利、参加する権利ですね。本当に子どもの権利条約の柱が問われている。それを国際的にどう支援できるのかも問われていると思います。この4つ、本当に基本的に大事な権利だと思います。

ただ、特に発言権などはなかなか知られていませんし、子どもの意見なんて聞いてどうするんだと思っている方もいると思うんです。こども家庭庁を創設するにあたって、コミッショナー制度(子どもの権利や利益が守られているか、子どもからも意見を聞き、行政から独立した立場で監視する)は作った方がいいんじゃないかという機運は高まっていたんですが、子どもが意見を述べてくるとか、独立組織として指示命令をして来るのは、これまでの大人の感覚として落ち着かない方もたくさんおられて、それは時期尚早じゃないかというので、暗礁に乗り上げています。

やっぱり子どもたちは張本人、当事者なんですから、子どもが意見を発信する、それを大人たちは聞いた方が早いんですよ。「なるほど。子どもはそういう捉え方をするのか」とか。子どもは「任せているからね」と言われたら、責任感がグーッと心の中に湧いてくるんですって。

先駆的な北欧の国を訪問した時、学校運営の理事会があって、ある学校は13人のメンバーのうち7人が子どもなんですよ。小学校5年生と6年生でした。食堂にヌードルのメニューを入れてほしいという声があって、でも子どものメンバーが「いろいろ散らかしたりするから、もうちょっと議論をしてからの方がいい」「校長先生はすぐ導入したらどうかと言うけど、僕たちは反対です」などと言ったそうです。「子どもの意見を聞くと、やたらと厳しかったり、面白いですよ」と校長がおっしゃっていた。自分たちで決定するということは、責任がともなってくるわけですね。その責任の重さでいろいろ子どもたちは頑張ろうとするし、中には色々な生徒がいることなんかもわかっていて、このルールを緩ませたら、学校が乱れちゃうなど子ども自身がわかっていて、「校長先生、もう一段階いりますよ」とかね。

だから小さな頃から子どもに参加してもらって、意見を述べてもらって、それを取り入れてみて、すると逆に大人の方も楽だなあと、子どもは責任感を持ってやってくれるようになって、という体験を大人と社会の側が積み重ねること。これをやってみるのが大事だと思っています。子どもには力がある、本能的に持ってますから。

──大人からすると、子どもは判断力もない、親が決めて子どもは従うのが当然という考えが染み付いてると思います。

ここが難しいと思うんですよね。だって大人が子どもを守る、ケアすることは間違いないわけですよ。赤ちゃんはほっておいたら命を落としますから、大人が一生懸命育てるわけですよね。そのことと、そういう赤ちゃんと大人、ママやパパは、人格においては対等なんだという。これは非常に難しい感覚、概念だと思うんですよね。

これまでも、たとえば戦前は男女平等ではなくて、女性が参政権を持ったのは戦後ですからね。出自の平等もない時代が長くありましたからね。差別はいまだに残っていますし、それから肌の色の違いとか国の差別、宗教の差別とかずっと続いていますよね。

一番最後に残ったのは子どもと社会、あるいは大人とのパートナーシップだと思うんです。これは難しい。子どもを保護してるということは現実的にあるんですもん。それと人格的に対等だ、子どもを尊重しなきゃいけない。コロナ禍の中では、ましてや、子どもと大人がパートナーとして社会に参加することはすごい重要だ、というのに実感を持って、というのはかなり高度な平等意識だし、パートナーシップだと思うんですね。だから僕は全然あわてていなくて、じわじわとね、そういう議論ができればいいんじゃないかなと思っています。

──確かに昔は「おんなこども」という言い方もあり、女性や子どもは弱くて、少し劣った存在という扱いでした。

はい、僕は時代劇が好きなんですけど、女性を差別的な扱いというか、映画の007や西部劇なんかも、女性の扱いや暴力シーンなど昔はめちゃくちゃですよ。でも人間は一歩進んで、また三歩ほど後退しジグザグと、でも確実に一歩一歩前進していくんだろうと思います。

今、ロシアとウクライナの問題でも、僕は必ず、知性とか理性が勝つと思っています。

──女性や外国の方の権利が守られるようになり、ここに来て、子どもにも大人と同じように権利があると認識することですね

これは一番高い峰ですよね、人類が最後に登ろうとしている平等の大きな高い峰だと思います。そこへ到達したときに世界中で平和になれるし、子どものパワー、活力が社会に充満しますから。何かいきいきした新しい世界が見えるような気がしますね。スウェーデン(1979年に世界で初めて、法律で子どもへの体罰と屈辱的扱いを禁止)でも浸透までに長年かかった。海外の大使館の人と子どもの権利について話すと「日本は3周遅れているよ」と言われてしまう。どうしたらいいんだろうと議論したら「子どもが参加した方が早いね」と。「そうすると中心を突き破って、問題解決が始まるのではないか」と言われて、それで僕はすごい希望を持つようになったんですけども。そういう発想ですね。キーワードは子ども参加。家庭、学校、地域、政策決定で。ヨーロッパの国より遅れたから、日本で子どもの権利が浸透するまで長くかかるというのではなくて、追いつき、先を行くかも、と思っています。