文豪・太宰治ゆかりの陸橋“最後の日” 94年の歴史に幕 鉄道ファンも“グッド・バイ”
1929年、東京・JR三鷹駅近くに建てられ、老朽化のため解体が決まっている「三鷹 こ線人道橋」。10日が、この陸橋を自由に通行できる“最後の日”となり、多くの人が訪れました。94年の歳月、愛されてきた陸橋は、文豪・太宰治ゆかりの地でもありました。
◇
10日、東京・三鷹市にある鉄道の陸橋には、まるで祭りの日のように、狭い通路にひしめき合う人々の姿がありました。
「あ!きた!」
訪れた人たちは、真下を通る電車をのぞきこみ、写真を撮ったり手を振ったり、思い思いの形で別れを告げていました。
JR三鷹駅の近くに、1929年に建てられた陸橋、「三鷹 こ線人道橋」。94年の歳月で老朽化し、解体されることが決まっていて、10日が自由に通ることができる“最後の日”となったのです。
地元の人のみならず、通過する電車を間近に見られることや、富士山を同時に望める穴場として、鉄道ファンからも愛されてきた陸橋……。
「なくなっちゃうと、さみしい?」
「うん」
「さみしいよね。こんな近くで、見られないもんね」
◇
さらにここは、あの文豪の、ゆかりの地でもありました。
「人間失格」や「走れメロス」などの作品で知られる太宰治。晩年は三鷹で過ごしていて、この橋をよく訪れていたということです。
「太宰が、よくこの橋の上から景色を眺めていた…というのを見て、太宰さんは、どっちを見ていたのかな…と思いながら」
「なくならないで、また建て替えればいいのにって思います」
今月15日から3日間、渡り納めのイベントが行われるということです。(※申込受付は終了)