【解説】北海道東方沖で発生M8.2の巨大地震から間もなく30年 その後も相次ぐM7超地震――プレートの沈み込み速度との関係は?
9月25日から10月1日までの期間、震度1以上の地震は33回ありました。このうち、震度3以上の地震は5回でした。
▼9月26日午前8時39分ごろ、宮城県気仙沼市や福島県相馬市などで震度3の揺れを観測する地震がありました。震源は宮城県沖で地震の規模を示すマグニチュードは4.6、震源の深さは77キロでした。
▼9月26日午後11時13分ごろ、大阪府能勢町で震度3の地震がありました。震源は大阪府北部、マグニチュードは3.6、震源の深さは10キロでした。
▼9月27日午前7時21分ごろ、宮城県石巻市や福島市などで震度3の地震がありました。震源は福島県沖でマグニチュードは4.9、震源の深さは55キロでした。
▼9月28日午後11時29分ごろ、石川県珠洲市で震度3の地震がありました。震源は石川県能登地方、マグニチュードは4.3、震源の深さは12キロでした。
▼9月29日午後4時57分ごろ、福島県いわき市や茨城県水戸市などで震度3を観測する地震がありました。この地震の震源は茨城県北部でマグニチュードは4.6、震源の深さは109キロでした。
1994年10月4日午後10時23分ごろ、北海道の東方沖を震源とするマグニチュード8.2の巨大地震が発生しました。震源の深さは28キロ。釧路市と厚岸町では、当時の震度階級で震度6を観測。さらに、津波も発生し、根室市の花咲で高さ168センチを観測するなど、浸水被害が出ました。
津波は北海道から沖縄県にかけての広い範囲で観測されました。震源に近い、択捉島では死者・行方不明者数が10人といわれていて、北海道東部では多くの負傷者も出ました。この地震は「北海道東方沖地震」と呼ばれています。
■プレート内部でM8以上 専門家「珍しい」
北海道東方沖地震は「プレートの内部」でおきた地震でした。地震の専門家で環境防災総合政策研究機構の草野富二雄さんによりますと、「プレート内部でマグニチュード8を超える大きな規模の地震がおきることは珍しい」ということです。
「北海道東部」は網走、釧路、根室地方をさしています。1919年以降、マグニチュード7.0以上の地震が相次いで発生しています。
▼1952年 十勝沖地震(M8.2)
▼1968年 十勝沖地震(M7.9)
▼1993年 釧路沖地震(M7.5)
▼1994年 北海道東方沖地震(M8.2)
▼2003年 十勝沖地震(M8.0)
▼2004年 釧路沖の地震(M7.1)
※1919年~現在までに発生したM7.0以上の地震から抜粋
北海道東部は陸のプレートの下に太平洋プレートが沈み込んでいる場所です。1993年の釧路沖地震と1994年の北海道東方沖地震は「プレート内」でおきた地震です。その他の地震は、陸のプレートとその下に沈み込む太平洋プレートの「境界」でおきた地震でした。
北日本や東日本で地震をおこす太平洋プレートは1年で約8センチずつ沈み込んでいるといわれています。
一方、南海トラフ地震をおこすフィリピン海プレートは1年に3~5センチずつ沈み込んでいます。太平洋プレートは沈み込むスピードが速い分、プレートが引きずり込まれることで「ひずみ」が蓄積されていくので、大きな地震がおこりやすいと考えられています。
また、北海道東部で大きな地震がおきた場合、近くにある釧路湿原や根室平野は、軟弱な地盤が広がっているための、他の地域より揺れが大きくなる可能性があるため注意が必要です。
1994年10月の北海道東方沖地震のわずか2か月後の1994年12月28日には「三陸はるか沖地震」(M7.6)が発生しました。この地震は、1968年の「十勝沖地震」とほぼ同じ震源でおきた地震でした。地震の専門家で環境防災総合政策研究機構の草野富二雄さんはこう話しています。
▼房総沖から青森県東方沖のプレート境界「日本海溝」では、大地震が発生したあとも太平洋プレートは沈み込み続けるため、その後、時間が経過すると、「ひずみ」が蓄積されて限界を迎え、また同じように大きな地震がおきる。
▼海域で大地震が発生すれば津波がおきるおそれがあるため、海岸付近で大きな揺れを感じた場合や、揺れを感じなくても津波警報が発表された時は、速やかに、高台に避難することを心がけてほしい。
1994年の「三陸はるか沖」地震以降、この周辺では大地震がおきていません。日本はいつどこで地震がおきてもおかしくないですが、北海道・東北は特に地震が多い場所のため、大きな揺れと津波への備えを続けてください。