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認知症…物忘れなどの“頻度・程度”に注目 基本法成立「正しい理解を」…専門医に聞く

2023年6月25日 21:02
認知症…物忘れなどの“頻度・程度”に注目 基本法成立「正しい理解を」…専門医に聞く

今後、高齢者の5人に1人が認知症になると言われる中、認知症の人が尊厳を保ちながら希望を持って暮らせるように、必要な政策を進めるという「認知症基本法」が6月14日成立しました。認知症になるとどんな変化があるのか?家族はどう接すればよいのかなどを、認知症に長年携わってきた順天堂大学大学院前教授でアルツクリニック東京の新井平伊医師に聞きました。

◆全体の5%弱だが…「治療すれば治る認知症も」

──認知症の種類について

大きく言って、認知症全体の9割くらいを占めるのが4大認知症疾患で、「アルツハイマー病」、「血管性認知症」、「レビー小体型認知症」と「前頭側頭葉型認知症」です。アルツハイマー型が認知症の約7割を占める。

この4大疾患は、今の医学では、根本的には治らない部類に入る。大事なのは、治療や回復が可能な認知症も一部にはあること。例えば脳外科の疾患として、正常圧水頭症、または転んだ後に血液がたまって起こる慢性硬膜血腫、それから、例えば甲状腺機能低下、あとはビタミンB12の欠乏などは、認知症全体の5%に満たないが、治療すると治るというのはとても大事なんです。

認知症の分類というと、もっともっとたくさん実はいっぱいあって、感染症もあるし、以前話題になったように、数年で命を落としてしまうプリオン病とか、原因は無数にあるので、それをきちんと最初に判別することが大切。「認知症=アルツハイマー病」と思う人もいるけど、それは違う。

◆物忘れは誰にでもある。が、ヒントを与えても思い出せないのが認知症

──自分自身、あるいは周りの人が、認知症かなというのは、どうしたらわかるのでしょうか?

例えば夕食に食べたものを忘れるのは、誰にでもあることだと思うんですけど、認知症の場合、“食べたこと自体を忘れる”といわれています。ヒントを与えると「そうだ、そうだ」と思い出すのはまだいい。認知症の場合、“ヒントを与えても思い出さない”と言い換えることもできる。

ただ、リストがあって、“何個当てはまると認知症の疑いだ”というのはあまりあてにならない。住んでいる環境とか、仕事をしているかとか、男性か女性か…などで全然状況が違い、誤差が大きすぎる。

そして、一番大事なのは、以前は、健常者と認知症という二分法だったが、今は、健常者と認知症、その間に「軽度認知障害(МCI)」という考え方になっている。これは微熱と高熱みたいなもの。さらに新しい考え方は、健常者とMCIの間に主観的認知機能低下(SCD)が入り、4つとすること。

例えば、新型コロナウイルスでも平熱の人がいて、潜伏期は平熱ですが、ちょっとだるいなと自分で感じるようになって、ちょっと顔が赤くなって、他人にも気づかれて微熱の状態。それから高熱になって、入院となりますね。

同じようにもの忘れも、自分で気づく段階、他人にも気づかれる段階、そして認知症、つまり仕事や生活に支障をきたしてくる、というふうにレベルがある。

◆変化…実は一番最初に気付くのは自分

「あれ?ちょっと前よりも何か思い出せないな」という変化は実は自分が一番最初に気づくんです。でも、たとえばお腹が痛い場合もそうですが、不調を認めず、「大丈夫だ」と放っておいてしまうのが人間なわけです。すると腹痛が強まり、座りこむ状態になって、人から「どうしたの?」と気付かれる。ついには胃潰瘍がひどくなる、そういうグラデーションがあるわけです。

認知症も同じで、最初、本当は自分で気づくんです。キーワードは「変化」ですね。

例えば“昨日何食べたっけ”と思いだしにくいとか、調理中に電話に出て、鍋の中身を焦がしてしまうことなどは、誰にだってありますよね。実は、注意が電話の方にいって、鍋のことはとんでしまう。これは「注意障害」であって「記憶障害」ではないけれども、こういう変化が現れるとすると、その“頻度”と“程度”と“範囲”がポイントなんです。

要するに、鍋を焦がすとか、人の名前が思い出せないといったことが起きる頻度が以前より増えたか。あとは程度の問題です。例えば仕事上のお客さんと会う予定をすっぽかす、会議を忘れるなど、他の人にも迷惑をかけるような、程度が少し重いものかどうか。三つ目は範囲で、忘れることに加え、「言葉が出にくい」、「歩きづらい」、「意欲がない」など、他のことがプラスされてきた時は要注意。

◆発症をある程度遅らせる「予防」が可能

── 家族に何だか変化がみられる、その場合どうしたらいいのでしょう

家族が気付くようになるのは、SCD(注:健常者とMCI=軽度認知障害の間の段階)の次のあたりです。大事なのは、認知症に関する情報をもつこと。認知症も一つの病気でなく、いろいろ種類があるといった知識を普及する大切さを盛り込んだのが今回の「認知症基本法」です。

アルツハイマー型認知症は治すことはできないが、早い段階で見つければ、いろいろ介入することで認知機能を回復、健常者レベルまで戻るということがある。必ずしもSCDとかMCIになったからすぐ認知症になるわけではなく、ある程度発症を遅らせるという意味の「予防」が可能であるという知識も大事です。

そもそも認知症にならないようにするのが「一次予防」ですが、今の医学では一次予防の方法は本当にない。認知症の発症をなるべく遅らせるよう、適切な食事、運動をするというのは「二次予防」。「三次予防」は発症してから進行を遅らせること。こうした段階について正しい知識を伝える必要がある。

認知症の症状は、決して特殊なものではない。たとえばアルツハイマー病では、病気自体で命に別状があるわけでないですが、軽度、中等度、高度障害と三つにわかれる。大体、軽度は5年、中等度は5~8年、高度が5~8年、つまり5~20年ぐらいの経過をたどります。

その中で最初は物忘れが中心です。計算とかいろいろできなくなるが、軽度の方は生活は自立できている。中等度になると、周りの助けが必要になる、いくら認知症になっても、記憶などの問題は脳の一部の機能なわけで、喜怒哀楽とか社交性とかの性格は元々の状態なので、正常な脳の機能がほとんどなわけです。

◆正常な心理なのに…実は“ボタンの掛け違い”

記憶の間違いは“最初のボタンの掛け違い”のようなものです。

例えば、お年寄りが財布などをどこかにしまい、その後で「財布がない、とられた、盗まれた」と訴える場合もありますが、それは軽度から中等度にかけて出やすい。認知症になったらすぐ出るわけではない。症状の流れ、経過を正しく理解する必要がある。そういった言動が強調されると誤解を生んでしまうので、誤解されないようにするのが、認知症基本法の大事なところです。

その「財布をしまう」というのは、盗まれちゃいけないから、大事にしまうわけで、正常な行動です。しまったところを忘れることは記憶障害だから、認知症と関係があるかもしれない。しかし「どこにあるかな」と探すのは正常な行動。で、どこにしまったか忘れる、もしくは、しまったこと自体も忘れているかもしれないけど、いずれにしても財布が見つからないことは事実。自分は財布を持っていない、そうすると「誰かが持っているかも」と考える。これも正常な心理でしょう。だから「しまった場所を忘れた」というところだけがボタンの掛け違いで、あとは正常な心理なんです。異常なことではない。そういう心理を理解しないといけない。そのあたりを理解すると、周囲の人も「否定してもしょうがない、理解できる」となりますね。

◆「出来事」は忘れても、感情が伴う記憶は残りやすい

──言われた言葉は忘れても、感情は忘れないと聞いたことがあります。どういう風にその方の感情と向き合っていくのが良いのか。

それも“認知症の人に限らず”だと思いますよ。記憶にはいろいろ種類があります。

「エピソード記憶」は毎日いろいろ話す、誰かに会うという出来事の記憶。それから「意味記憶」は漢字の読み方とか、いろいろな法則を覚えていること。あとは「手続き記憶」という自転車の乗り方、水泳など体で覚えているものです。

エピソード記憶は一番抜け落ちてしまう。意味記憶も、そのうち読んだり書いたりすることもなくなってしまう。三つ目の、手続き記憶の水泳、自転車に乗るなどは認知症になってもできる。そしてエピソード記憶の中でも、単なる出来事は、きっと我々も同じで、抜けてしまうわけですが、感情をともなう記憶は、感情というか情動に関係するような、脳の別のところもかかわるので、記憶の保持が強いんです。

記憶というのは、“覚えて”、それを“保持して”、“思い出して”ーーーの三段階なんです。保持する段階で、感情が伴うとより残っているわけですよ。そうすると、アウトプット(=思い出すこと)もできてくる。感情が伴う記憶は、単なる出来事のエピソード記憶と違って、脳に残りやすいんです。それは認知症でも、健康な若い人でも同じです。楽しかったり悔しかったり。正常の脳の働きです。認知症かどうかで分断しちゃいけない、基本法の本質です。

◆発症前後で人生を「区別」しないことが大切

──共生していく上で我々が一番理解すべきところは?

今までのオレンジプラン(認知症に関する国の施策)の中では、共生という考えで、認知症になっても住み慣れた地域で、健やかに、健康な人と一緒に過ごせるみたいなことだった。そして、令和元年からは「共生」だけでなく、「予防」という考えが入って、ものすごく大きな反対意見があったんです。“予防をさぼったがために、認知症になった”という誤解を生むと心配された。

ここで「共生のためにどう理解するのか」という質問に答えると、認知症になってから対策しても駄目なように、共生も、認知症になってからだと、一方は認知症の人、もう一方は健常者で、そこから一緒にやろうとしてもなかなか難しい。だから大事なのは、「認知症は(症状が出る)20年前から始まるんだ」といったことを普及させて、予防活動からみんな一緒にやっていくこと。その中で、残念ながら認知症になってしまう人がいるけど、認知症を発症した後の世界だけでなく、その前から一緒にやっていくことが大切です。

だから知識をきちっと普及しなくちゃいけないと言っていて、誰が認知症か、健常者かと区別がない段階から予防活動も始めた方が、誤解と偏見がないし、差別もない、理解も深まる。つまり社会生活というか人生を、認知症の発症前後で区別しないことが大切なんです。

令和元年からの認知症施策は、「共生と予防」だとせっかくなったので、それと基本法はマッチングしないといけない。認知症の前段階から地域でともに予防活動をしていくことによって、共生は結果として生まれてくると思います。