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震災で離ればなれになった親子、入試直前の子供たち「今やるべきことをやる」

2024年2月4日 18:42
震災で離ればなれになった親子、入試直前の子供たち「今やるべきことをやる」

令和6年能登半島地震から約1か月。被災地では、多くの子どもたちが親元を離れ、集団で避難生活を送っていた。避難を機に、離ればなれになった親子。それぞれの歩みを取材した。

入試直前の息子「勉強どころじゃない」

最大震度7を記録した令和6年能登半島地震。石川県輪島市では100人以上が亡くなった。発災から3日目を迎えてもなお、激しい揺れが続いた輪島市。大規模な火災が発生した「朝市通り」をはじめ、町並みは大きく変わり果てていた。

そんな町並みで、中京テレビ「キャッチ!」が出会ったのが平野さん親子。父・平野崇さんと、息子・俊輔さんだ。家族と避難所生活をする中、必要な薬などを家に取りにきたという。「かろうじて隣の家が丈夫な家だったので、こっちに傾いて全壊を免れた感じです」と家の前で話す崇さん。

家は壁紙が剥がれ落ち、室内には家具が散乱、天井は一部落ちてしまっていた。キッチンには倒れて扉が開いたままの冷蔵庫。そんな家から崇さんが持ち出していたのが、「やかん」だ。

「かろうじて水が残ってたので、手洗いとかにもって行こうかなと。水の配給は来ていないので、お茶とかはあるけど水が無くて」と、持ち出した理由を話す。被災地は、一杯のやかんの水さえも貴重なほど生活がままならない状況だった。

高校3年生の息子・俊輔さんには、別の心配もあった。1月13日・14日に、「大学入学共通テスト」が控えていたのだ。「学校があるのかないのか、町もどうなっているのか分からない。勉強どころじゃ無かったですね。なんかもう...どうすればいいんですかね」と不安な胸中を明かした俊輔さん。受験という大きな転機を控えるなか、失われた日常に困惑していた。

輪島市から250人以上の中学生が集団避難

地震の影響は、子どもたちの“学びの場”にも広がっていた。震災後、多くの人々が学校を避難所として利用。被害の大きかった地域では、ほとんどの学校が始業式を迎えられず、授業の再開が遅れていた。

そんな状況をふまえ、輪島市から250人以上の学生が白山市へ集団避難を実施。輪島市の中学生3年生山下明日凪さんも、集団避難を決意した一人だ。出発当日、家族に見送られて家を出た明日凪さん。「昨日はみんなで最後、楽しくご飯を食べたりできました」と出発前夜に過ごした家族の時間について教えてくれた。続けて、「寂しいですけど2か月は意外とすぐだと思うので、頑張ってこようと思います」と話す。集団避難する中学生たちは、約2か月間、白山市の施設に寝泊まりし、授業を受ける予定だ。

地震前には想像もしなかったしばしの別れ。明日凪さんの母・明美さんは、「よく野菜食べて、勉強もするんよ」と娘に優しく語りかけた。明日凪さんを乗せたバスがいよいよ出発。大きく手を振りながら、バスを見送った明美さん。「親としては2か月というのが長いですね。行っちゃうと行っちゃうで寂しくなる」と涙を滲ませた。

二次避難先で受験勉強「友達が一緒なので心強い」

震災から2週間、いよいよ大学入試が始まった。輪島市で出会った平野さん親子の息子・俊輔さんは、輪島市から約100㎞離れた金沢市で避難生活を送っていた。
実は中学生だけでなく、石川県では高校生の集団避難を実施。輪島市などの希望した高校生が、金沢市内のホテルに二次避難していたのだ。受験生も多く避難しており、俊輔さんもその1人。「最初は、離れるしどうしようかなと思ってたんですけど、案外友達もいっぱい来て、友達と一緒に勉強してるので心強い。そんなに寂しくなったりはしてないです」と二次避難先での生活を振り返る。

ようやく受験勉強に集中出来るようになったが、避難してきた当初は足りない勉強道具を買い揃えることから始まったそう。離れて暮らす家族とはSNSを通じて連絡。家族からは、受験への励ましが届いていた。「勉強頑張ってる?って聞いてきて、頑張ってるよって返したり。今は受験が第一なので、とりあえず自分の今やらないといけないことをやろうと思います」と俊輔さんは受験への想いを力強く語った。

それぞれの場所で歩んでいく“日常”

同じ頃、輪島市の自宅では父・崇さんが少しずつ片付けを進めていた。家具は倒れ、様々な物が散乱する家の中。「実際のところ何からしていいか分からず、ぼうっとしているだけんですけど」と崇さんはつぶやく。

初めて親元を離れる息子。金沢市への集団避難は、“子どもだけでも安全な場所に”と、家族で話し合い決めたという。「こんな所にいても仕方ないので、向こう行って勉強してくれって。勉強できる環境を少しでも。そう思って、1人で金沢へ送り出した」と受験を控えた俊輔さんへの想いを語った。
集団避難を機に、離ればなれになった親子。大地震で一変した日常を、それぞれの場所で歩んでいる。

さまざまな災害に備え、東海エリアでも多くの学校が避難所に指定されている。名古屋市では、避難所として指定されている屋内施設のうち、幼稚園・保育園・小中学校や高校・大学など“学びの場”は400か所以上。その数は、全体の約4割にあたる。建物も大きく、地域の人にとっても馴染み深い場所であることから避難しやすい学校。しかし、被災すると、このエリアでも、“学びの場”がなくなる可能性は高い。
名古屋市としては、発災後、地元の人たちと相談しながら順次避難所を統廃合を予定。その際、学校や人の少ない施設を優先的に閉めることで、学びの場が早期に回復できるよう努める方針だ。

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