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不名誉な“フードロス大国”ニッポン 隣国では…寄付・リサイクルが「当たり前」に いま私たちにできることは? 【沸騰化時代の処方箋】

2024年5月24日 11:44
不名誉な“フードロス大国”ニッポン 隣国では…寄付・リサイクルが「当たり前」に いま私たちにできることは? 【沸騰化時代の処方箋】

猛暑や豪雨など、気候変動の影響が私たちの身近に迫るなか、国連はこれまでの“温暖化”から「地球沸騰化」という表現を新たに用い、警鐘を鳴らしています。変わりゆく地球の中で、私たちにはいま、何ができるのか。

「沸騰化時代の処方箋」として、今回は”フードロス”の現状について考えます。

「お肉を見て涙が出そう…」フードロスを“寄付”に

名古屋市内に置かれた1台のロッカー。そこに女性が表れると、中から袋を取り出した。中に入っていたのは…

■女性
「ごはんとか、子どもたちが喜ぶお菓子とか」
「最初にお肉を見たときには、涙が出そうで」

女性が受け取ったのは、袋いっぱいの食品。ロッカーの正体は“冷蔵庫”でした。

廃棄すれば、そのぶん環境負荷に…

これは「みんなの冷蔵庫」という取り組みで、生活に困った人が、非対面で食品を受け取ることができます。

食品はどこから来たのか。団体のもとを訪れた食品加工業者の男性に話を聞くと…

■男性
「店売り用で作って、余ってしまったもの」
「明日は休みだからもったいないと思って、子どもさんに食べてもらえればと思って持ってきました」

ロッカーの中身は、まだ十分に食べれるものの、売れ残ってしまった食品たち。廃棄となれば、その処理にエネルギーをかけることになりますが、寄付することによって、福祉と環境を両立することができるのです。

「まだ食品が回っていない」日本の現状

「みんなの冷蔵庫」の利用者は、8割近くがひとり親家庭。これまでに3000世帯以上が支援を受けました。

しかし、運営する団体は、課題を感じているといいます。

■運営団体
「フードロスを世の中に回すということは、企業にとってリスクが高い話なので、まだまだ食品が回っていないんじゃないかと」

年間約500万トン以上ともいわれる、フードロス大国・日本。まだ食べられる“ロス”を寄付に回すということが当たり前になるには、まだ時間がかかるようです。

国策として「フードバンク」広がる韓国

そんななか、隣国・韓国では、国策としてフードロス削減に取り組んでいるといいます。

実際に、韓国・ソウルを訪れると、コンビニのような建物に多くの人が。ここはフードバンクで、賞味期限が近いなどの事情がある食料のほか、日用品なども並びます。すべてが、企業や個人からの寄付で成り立っているといいます。

フードバンクは、韓国では行政が全国に400か所以上設置し、年間約35万人が食料を受け取っています。

こうした量の食品を「廃棄しなかった」ことによって、年間で40万本ものマツの木を植えられるほど、炭素の排出量を減らせているというのです。

カギは…一人ひとりの“当たり前”

日本では「まだ時間がかかる」のが現状の、食品の寄付。なぜ、韓国ではこれほど盛んにおこなわれているのでしょうか。

実際に売れ残ったパンを寄付している、ソウル市内のパン屋に話を聞くと…

■パン屋
「今はロスがほとんどなくなりました」
「廃棄を減らす、寄付をするということを考えている人は多い」

市民にとって、廃棄を減らしたり、食品を減らしたりすることが“当たり前”のこととして根付いているようです。

驚異の「生ごみリサイクルほぼ100%」

「まだ食べられる」食品を寄付に回しても、調理の家庭などでどうしても発生するのが、生ごみ。

韓国では、生ごみのリサイクルも盛んに行われていて、30年前には2%だったリサイクル率は、今ではほぼ100%になっているといいます。

実際にソウルで暮らす男性の自宅を訪ねると、カレー作りの真っ最中。野菜の端など、生ごみを集めます。

すると、男性は生ごみを持って、ゴミ収集所へ。カードを取り出し、生ごみの重さをはかり、捨てました。

■男性
「これは生ごみを捨てるためのカードです」
「1か月に2000ウォンから3000ウォンぐらい払います」

生ごみは、他のゴミとは混ぜずに集め、さらに、その重さによって料金がかかるシステムだというのです。

「負担とは考えていない」市民の意識

生ごみを分けて集め、その処理に費用がかかる。日本ではあまりなじみのないシステムですが、市民側は、どのように考えているのでしょうか?

■男性
「負担とは考えていないです」
「これは環境のための費用なので」

男性にとっては、支払うお金は“負担”ではなく、どうしても出てしまう生ごみをリサイクルするための「当たり前」のことだといいます。

世界的に見ても、多くのフードロスが発生している日本。

隣国では「一人ひとりの“当たり前”」によって、国レベルでの削減に取り組んでいたが、私たちも、市民と国、それぞれのレベルで、フードロスの削減について改めて考えてみるべきかもしれません。

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