【NNNドキュメント】あの日見た壮絶な光景… “語ること”を決めた姉 亡き妹とこれからへの思い 東日本大震災13年~生きる支え~ NNNセレクション
東日本大震災から13年。当時の子どもたちも成人し、それぞれの道を歩んでいる。妹を亡くした女性は、いま21歳。10年を経て忘れたくないと語り部の活動を始めた。震災で何を失い、何に光を見出したのか。そして、今の「生きる支え」は。
西城楓音さん
「そこで見たのは、焼け焦げたバスと、焼け焦げた妹の遺体でした」
大好きな妹を忘れないために“言葉”にする。それが、心に刻んだ私の“生きる支え”。
西城楓音さん、21歳。小学2年生だったあの日、妹を亡くしました。幼稚園児だった春音ちゃん(震災当時6歳)です。津波が町を襲った時、妹は幼稚園バスに乗っていました。流されたバスは炎に包まれました。
西城家のムードメーカーだった春音ちゃんがいなくなり、楓音さんの表情から少しずつ笑顔が減っていきました。
母・江津子さん
「お友だちのお母さんが作ってくれたアルバムがあって、それを見たときに、楓音はこんなに笑ってないと思ったの。それを私が見たのが、楓音が中学校のときなのね。『はるちゃんじゃなくて自分が死ねばよかった』って言ったこともあるし、1人でいるのがつらかったんだと思うんだよね」
楓音さんが中学生の時、画家がプレゼントしてくれたのは家族の似顔絵です。
母・江津子さん
「これ誰だっけ?」
弟・春汰くん
「はるちゃん」
大好きだったのに、妹を真っ直ぐ見られない楓音さんがいました。心の中に閉じ込めていた悲しみは、高校生になる頃には抑えきれなくなっていました。
楓音さん
「話したいっていうか、吐き出したいっていう思いがすごく強くて、家族にも震災のことを話さなかったし、友だちにもできなくて、どんどんたまってきちゃったのがあって、なんかモヤモヤするなっていうか」
2018年、高校1年生の夏。震災を体験した同世代の子どもたちと一緒に過ごす時間がありました。
楓音さん
「2週間くらいアメリカに行って地域貢献を学ぶプログラムがあって。人と話すことっていうのが、ちょっとできるようになって」
震災から10年が経った頃でした。語り部として初めて言葉にしたのは、壮絶な記憶でした。
楓音さん
「3月14日。妹の幼稚園バスが見つかった現場に家族みんなで行きました。そこで見たのは、焼け焦げたバスと、焼け焦げた妹の遺体でした。妹の元気な笑顔はどこにもなくて、腕も脚もない。もうなんだかわからない、焼け焦げた妹が地面に寝かされていて、私はそのとき、『とても悲しい』って思ったのと同時に、すごく怖かった」
家族は、この日を待っていました。成長した春音ちゃんの姿が見たい。お母さんが画家に、思いを託していました。6人家族の真ん中でほほえむのは、18歳になった春音ちゃんです。
父・靖之さん
「春汰を抱っこしているって、絶対あり得ないこと。幼稚園の服を着た春音か、最後に見た娘の顔しか自分ではイメージできなくて」
おかえり、はるちゃん。
つらい記憶を語ろうと思えたのは、家族が寄り添ってくれたから。
楓音さん
「私から見るとお母さんは明るい感じだから、『大丈夫、なんとかなるよ』みたいな。その言葉を、やっぱりつらい時は素直に受け入れられなかったけれど、いま振り返ると、そういう言葉とか行動とかに支えてもらっていたなって思うし、お母さんにいろいろ言ってもらえること自体が、すごく支えられるなっていう風に思っています」
2024年3月11日放送 NNNドキュメント’24『3・11大震災シリーズ(105) 東日本大震災13年 生きる支え 私のこれまでとこれから』をダイジェスト版にしました。
西城楓音さん
「そこで見たのは、焼け焦げたバスと、焼け焦げた妹の遺体でした」
大好きな妹を忘れないために“言葉”にする。それが、心に刻んだ私の“生きる支え”。
西城楓音さん、21歳。小学2年生だったあの日、妹を亡くしました。幼稚園児だった春音ちゃん(震災当時6歳)です。津波が町を襲った時、妹は幼稚園バスに乗っていました。流されたバスは炎に包まれました。
西城家のムードメーカーだった春音ちゃんがいなくなり、楓音さんの表情から少しずつ笑顔が減っていきました。
母・江津子さん
「お友だちのお母さんが作ってくれたアルバムがあって、それを見たときに、楓音はこんなに笑ってないと思ったの。それを私が見たのが、楓音が中学校のときなのね。『はるちゃんじゃなくて自分が死ねばよかった』って言ったこともあるし、1人でいるのがつらかったんだと思うんだよね」
楓音さんが中学生の時、画家がプレゼントしてくれたのは家族の似顔絵です。
母・江津子さん
「これ誰だっけ?」
弟・春汰くん
「はるちゃん」
大好きだったのに、妹を真っ直ぐ見られない楓音さんがいました。心の中に閉じ込めていた悲しみは、高校生になる頃には抑えきれなくなっていました。
楓音さん
「話したいっていうか、吐き出したいっていう思いがすごく強くて、家族にも震災のことを話さなかったし、友だちにもできなくて、どんどんたまってきちゃったのがあって、なんかモヤモヤするなっていうか」
2018年、高校1年生の夏。震災を体験した同世代の子どもたちと一緒に過ごす時間がありました。
楓音さん
「2週間くらいアメリカに行って地域貢献を学ぶプログラムがあって。人と話すことっていうのが、ちょっとできるようになって」
震災から10年が経った頃でした。語り部として初めて言葉にしたのは、壮絶な記憶でした。
楓音さん
「3月14日。妹の幼稚園バスが見つかった現場に家族みんなで行きました。そこで見たのは、焼け焦げたバスと、焼け焦げた妹の遺体でした。妹の元気な笑顔はどこにもなくて、腕も脚もない。もうなんだかわからない、焼け焦げた妹が地面に寝かされていて、私はそのとき、『とても悲しい』って思ったのと同時に、すごく怖かった」
家族は、この日を待っていました。成長した春音ちゃんの姿が見たい。お母さんが画家に、思いを託していました。6人家族の真ん中でほほえむのは、18歳になった春音ちゃんです。
父・靖之さん
「春汰を抱っこしているって、絶対あり得ないこと。幼稚園の服を着た春音か、最後に見た娘の顔しか自分ではイメージできなくて」
おかえり、はるちゃん。
つらい記憶を語ろうと思えたのは、家族が寄り添ってくれたから。
楓音さん
「私から見るとお母さんは明るい感じだから、『大丈夫、なんとかなるよ』みたいな。その言葉を、やっぱりつらい時は素直に受け入れられなかったけれど、いま振り返ると、そういう言葉とか行動とかに支えてもらっていたなって思うし、お母さんにいろいろ言ってもらえること自体が、すごく支えられるなっていう風に思っています」
2024年3月11日放送 NNNドキュメント’24『3・11大震災シリーズ(105) 東日本大震災13年 生きる支え 私のこれまでとこれから』をダイジェスト版にしました。
最終更新日:2024年10月30日 10:27