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【皇室コラム】天皇陛下とエリザベス女王

2022年9月20日 19:00
【皇室コラム】天皇陛下とエリザベス女王
9月17日午後6時半ごろ(現地時間)イギリスに到着された天皇皇后両陛下

【皇室コラム】「その時そこにエピソードが」第20回 天皇陛下とエリザベス女王

英国のエリザベス女王は、留学中の天皇陛下を王室メンバーの一員のように温かく迎えてくれた人でした。天皇皇后両陛下が参列された19日の葬儀をテレビ中継で見ながら、女王は二男と同い年の陛下の成長をずっと気にかけ、君主のあり方を示してくれた人だったことを思いました。(日本テレビ客員解説員 井上茂男)

■渡英翌日に招かれて見学した国会開会式

1983(昭和58)年6月22日。天皇陛下の留学先での〝社会勉強〟は、渡英の翌日、英国議会の上院で行われた開会式を見学されたことに始まりました。

陛下の著書『テムズとともに――英国の二年間』(学習院教養新書)によると、上院議員たちが赤や金の礼服で着席するなか、フォーマルな装いのエリザベス女王が夫の故フィリップ殿下と入場します。やがて使者が下院を訪ね、ドアをたたきます。開けては閉められること2度。3度目にやっと開けられ、下院議員が上院へ向かいます。女王は第2次サッチャー内閣の施政方針を読み上げ、30分ほどで終了しました。

女王の使者に〝三顧の礼〟を尽くさせる流れに、陛下は「ピューリタン革命にまで遡る、王権から自立した、議会を主体とする政治の理念」を思います。伝統の国イギリス――それを実感する最初の機会をつくってくれたのが女王でした。

■女王が自らいれてくれた紅茶

翌23日。エリザベス女王は陛下を「ティー」に招きます。バッキンガム宮殿の2階のプライベートな部屋で、女王は自ら紅茶をいれてもてなしました。

「もう旅の疲れはとれましたか」。女王は優しく尋ねます。

「オックスフォード大では何を勉強されるのですか」。陛下は中世の交通史を研究する抱負を話されました。

「ティー」には、二男のアンドルーと三男のエドワードの両王子も加わりました。同い年のアンドルー王子は「生年月日が4日違うだけ」と陛下に気さくに声をかけました。約1時間。緊張しつつも楽しい時間で、陛下は女王の紅茶のいれ方や、紅茶と共に並べられたサンドイッチとケーキの組み合わせに興味を持たれました。報道によれば、女王がいれてくれたのは「英王室風の薄い紅茶」でした。

■「英王室ファミリーの一員」

語学研修のホームステイを経て、陛下のオックスフォードでの寮生活が始まります。女王はその後も陛下を園遊会や競馬などの王室行事に招いて温かく迎えます。1984(昭和59)年9月には、スコットランドのバルモラル城でのバカンスに誘い、陛下は女王と夫君の故・フィリップ殿下と広大な敷地で楽しい時間を過ごされました。

駐英大使だった平原毅氏の『英国大使の外交人生』(河出書房新社)によると、平原大使が陛下の留学先についてフランシス・ピム外相に相談すると、「英国を選んで下さったことに感謝する。エリザベス女王陛下にもサッチャー首相にも直ちに報告するが、お二人とも心から喜ばれるであろう」と感激し、ほどなく推薦されたのがマートン・コレッジでした。古いコレッジの一つで、学生が少なく、学生や教授との関わりが親密になるのが理由でした。

「浩宮殿下は英王室のファミリーの一員」。フィリップ殿下は陛下のことをこう話しました。サッチャー首相は「あの若さで人に気を使わせない心遣いはたいしたものだと女王も感心しておられます」と語っています。昭和天皇は殿下に「英王室の一員として扱っていただきうれしく思います」とお礼を述べていますが、陛下の生活ぶりを報告する大使館発の電報は昭和天皇にも届けられていたそうですから、実感の上のお礼だったのでしょう。

■初めて会ったのは1975年の来日時

天皇陛下がエリザベス女王に初めて会われたのは1975(昭和50)年5月、女王夫妻が国賓として来日した時でした。陛下15歳、学習院高等科1年生の時です。

滞在3日目の夕方。女王は迎賓館から庭伝いに当時の東宮御所を訪ね、皇太子ご一家との時間を持ちます。その時の映像は、紀宮だった6歳の黒田清子さんが庭の畑で花を摘み、「カーテシー」という膝を折るお辞儀をしながら女王に花を贈るシーンが印象的ですが、奥に立つ陛下に笑顔は見えず、シャイな感じを受けます。

その様子に2日前の宮中晩さん会での女王のスピーチが重なります。「両国民に共通する顕著な特質は、相手に対する好意を明確に表現し得ずにいても、深い心情を内に宿している内気な気性であると申せましょう」。女王はこの時、同い年の二男のアンドルー王子を思い浮かべ、陛下の内に宿る「深い心情」を感じたのかもしれません。

■訪日見直しで迫ったパレード

エリザベス女王が来日した時の秘話を、接伴に当たった外務省の内田宏・儀典長が「エリザベス女王陛下との6日間―儀典長の女王陛下訪日記」(『皇室』平成22年夏号、扶桑社)に詳しく書いています。

日程の中で最後まで決まらなかったのがオープンカーでのパレードでした。女王の訪問先での慣例行事です。日本の警備当局は「事故があっては」と国賓初のパレードに慎重で、来日まで1か月となっても固まりませんでした。焦燥を強める英側から強い意向が伝えられます。

「女王は何が起こっても責任はすべて自分が負うとのお気持ちであるが、もし日本側の警備にそれほど自信がないのなら、訪日自体を見直さざるを得ない」

こうしてパレードは実現に向けて動き出します。帝国ホテルから国立劇場までのお堀端で11万4000人が歓迎したパレードの陰に、隠れたエピソードがありました。

■国鉄のストライキで断念した行きの新幹線

気をもみ続けたのが新幹線のストライキでした。女王の希望で東京と京都を新幹線で往復する日程が組まれましたが、国鉄の労働組合は女王が京都に向かう4日目にストライキを構え、「女王より賃上げ」と強硬な姿勢を崩しませんでした。

2日目の夜。内田儀典長は英側から「すぐに打ち合わせをしたい」と呼ばれます。行ってみると女王とフィリップ殿下、英側の公式随員たちがいて、女王がおもむろに話を始めました。

「労働組合はどうしてもその日のストライキを譲らないそうです。鉄道当局は『全管理職を動員してでも運転するのでぜひとも新幹線で』と申し出ているそうですが、私としては、労働争議は純然たる国内問題、外国から干渉を受けるべきではなく、ましてやお招きを受けて来ている私どもがそれに影響を与えるようなことをしてはならないと思います」

女王は整然と考えを語り、最後に自身の結論を示します。「それで私は日本政府の了承を得て、女王機で大阪まで行くことにしたいと思います。それに鉄道ストライキも2日も3日も続けられず、多分帰りは新幹線に乗れることでしょう。これでいかがでしょうか」

異論はなく、女王は内田儀典長に伝えます。「それではその旨、日本側にお伝えください」。こうして4日目は女王機で大阪入りして車で京都に移動し、5日目に近鉄特急で伊勢を訪ねた後、6日目の帰りに名古屋から新幹線に乗ることになりました。ストライキは決行され、報道は「政治判断」とも伝えていますが、女王の冷静な判断に救われていたのです。

■「喜びの姿を」と撮影された新幹線車内の様子

当時の読売新聞には新幹線のお二人の写真が大きく掲載されています。「待望の新幹線にニッコリ」という見出しがあり、「車内でくつろがれるエリザベス女王ご夫妻(静岡―三島間で)」という説明が添えられた写真です。

当初、新幹線内で取材の予定はありませんでした。富士山が近づき、カメラマンの代表が呼ばれます。海が見える右側に座っていた女王は、富士山が見える左側のフィリップ殿下の前に移り、富士山をバックにお二人の姿が撮影されました。残雪に彩られた7合目より上がうっすらと見えたそうです。ストライキで待った新幹線です。「ご夫妻の喜びの姿を日本のみなさんにも」。撮影の背景には英王室の特別な配慮がありました。

■陛下の留学に触れた女王のスピーチ

それから23年後の1998(平成10)年5月、上皇ご夫妻が天皇皇后として英国を訪問されました。歓迎晩さん会のスピーチは先の大戦に対するお言葉に注目が集まりましたが、女王のスピーチはユーモアで始まり、会場に笑いが広がりました。

「皇太子は18世紀英国の水路に対する造詣を深められただけでなく、同じオックスフォード出身の方と結ばれるほど大学がお気に召されたようにお見受けします」(朝日新聞)

オックスフォードでの陛下の研究テーマは、18世紀のテムズ川の水上交通です。皇后雅子さまも外交官になってオックスフォードで学ばれていますから、それを踏まえたスピーチです。女王は先の大戦について「当時のいたましい記憶は、今日も私たちの胸を刺すもの」と触れつつも、「英国は、日本にとって晴れの日だけの友人ではなく、本当の友人ですから」と結びました。

■最後となった2001年の訪問

その陛下がエリザベス女王と最後に会われたのは21年前の2001(平成13)年5月です。日本を紹介する「ジャパン2001」の名誉総裁として、雅子さまと一緒に訪問される予定でしたが、雅子さまは愛子さまをご懐妊中で、陛下お一人の訪問になりました。

この時、女王はウィンザー城に近いテムズ川のクルーズに陛下を誘い、城内の図書室で秩父宮妃から皇太后に贈られた象牙の扇子などを披露しています。レオナルド・ダビンチのデッサン600点が収録された日本語版の版画集も陛下にプレゼントされました。

映像の女王は優しい眼差しで、陛下との近しさがにじみ出ています。プライベートな場所なのにカメラの位置が非常に近いと思ったら、当時の読売新聞が英王室の話として「城内の非公式行事で女王にカメラが向けられるのは極めてまれで、取材には女王の日本側に対する特別な計らいがあった」と伝えていました。ここにも女王の気配りがありました。

■君主の姿を見せ、国民との接し方を示してくれた人

ウェストミンスター寺院で行われた19日の国葬をテレビの中継で見ました。女王旗に包まれたひつぎを中央に、右手にチャールズ国王ら王室メンバーが、左手にデンマークのマルグレーテ女王をはじめ各国の王室メンバーが座っています。天皇皇后両陛下の姿も6列目に見えました。哀悼のお気持ちの文書にあった「幾多の御配慮をいただいたことに重ねて深く感謝したいと思います」という言葉が胸に迫ります。

ひつぎを前に、陛下は、女王がいれてくれた薄い紅茶や、テムズ川でのクルーズを思い出されたでしょうか。コロナがなければ2020(令和2)年5月に即位後初の外国訪問としてお二人で訪英し、女王やフィリップ殿下とオックスフォードの思い出話に花が咲いていたはずです。

エリザベス女王の胸の内を内田儀典長が書き留めています。

「女王は孤独なものです。重大な決定を下すのは自分しかいないのです。そしてそれから起こる全責任は自分自身が負うのです」「この立場が分かっていただけるのは、ご在位50年の天皇陛下しかおられません」「教えを受けられるのはこの方しかいないと信じて地球を半周して来たのです。十分報われました。陛下のひとこと一言に、私は多くの、そして深いものを感じました。感謝で一杯です」

この気持ちを踏まえると、陛下に対する女王の温かい眼差しは昭和天皇への感謝の上にあり、やがて日本の「象徴」となる陛下に君主の姿を見せ、国民との接し方を示してくれた人だったのではないかと思えてなりません。在位70年。昭和天皇、上皇さま、今の陛下と3代の天皇と友好を深めてきた女王であり、陛下にとって英国は「第2の故郷」です。両陛下がそろって国葬に参列し、お別れができてよかったと思います。厳かな葬列に、エリザベス女王がいかに愛されていたかがわかります。安らかにと祈り、テレビ中継を見守りました。


【略歴】井上茂男(いのうえ・しげお)日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年東京生まれ。読売新聞社会部の宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご成婚や皇后さまの適応障害、愛子さまの成長などを取材。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。