「荒川」通水から100年…堤防決壊や氾濫ゼロのワケ
流域に1020万もの人が暮らす「荒川」。これまで一度も決壊することなく、都心の街と人を守り続けてきました。100年もの間“氾濫ゼロ”の理由を取材しました。
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東京と埼玉を流れる「荒川」。
その荒川のシンボルで、隅田川との分岐点にある「岩淵水門」。
この場所で、川が二手に分かれたのは、いまから100年前――。
国交省荒川下流河川事務所・渡辺健一副所長
「台風・洪水がやってきて大きな被害があった。これが契機になって『荒川放水路』がつくられることになった」
「荒ぶる川」という名前の通り、過去、幾度となく洪水が発生していた荒川。
かつて、荒川の下流部は現在の隅田川でしたが、明治時代、1910年の台風で荒川が氾濫し東京の下町は大洪水に。
これをきっかけに新たに水を流すための巨大な放水路がつくられることになったのです。
幅およそ500メートルの川を河口まで22キロ、機械だけでなく、人の手でも掘り進めていきました。
そして、100年前の1924年に水が通され、いまでは「荒川」と呼ばれるようになりました。
荒川は大都市・東京を守るためにつくられた人工の川なのです。
100年もの間、堤防が決壊、氾濫したことは一度もありませんが、岩淵水門の近くには、大水害の記録があります。
国交省荒川下流河川事務所・渡辺健一副所長
「7.17メートルとある、東日本台風で記録した水位。(旧岩淵水門の)開いている水門のところに水がかかるか、かからないかまで水がきた」
2019年の東日本台風です。
当時、荒川は戦後3番目となる7.17メートルを記録しましたが、ぎりぎりのところで、氾濫を回避しました。
気候変動が進み災害が激甚化する中。もし、荒川が氾濫したら――。
浸水シミュレーションをみてみると、板橋区高島平では水位がみるみる上昇し、6メートルを超えます。
足立区北千住も6メートル近くまで浸水、駅前の広場が濁流にのみこまれました。
さらに、水は、東京駅や銀座など都心まで達し、長期間にわたって浸水が続く地域があると想定されています。
首都・東京を大水害から守るため次々と新たな対策が。ひとつは、堤防。この土の下にはブロックや遮水シートが隠れています。
水が入るのを防ぎ、堤防が崩れないようにするこの対策は、荒川下流部の22キロにおよぶすべての堤防で完了しているということです。
そして、「荒川の弱点」ともいわれるこの場所。
地盤沈下によって低くなってしまった堤防のかさ上げを進めてきましたが、京成本線の荒川橋梁部分は橋があるためにかさ上げができず、周辺よりも4メートル近く低い状態のまま――。
このため、国交省と京成電鉄は去年から堤防のかさ上げと橋のかけ替えという大規模工事を進めています。
国交省荒川下流河川事務所・渡辺健一副所長
「堤防が決壊しない荒川放水路が100年続いた。この先も安心して暮らしていける、よりよい形で荒川を将来に引き継いでまいりたい」