“被災した女の子”から記者に…命を守った経験を伝えたい 東日本大震災から11年
東日本大震災から11年が経ち、津波の被害を知らない子供たちが増えました。あの巨大な津波から、なぜ逃げることができたのか。当時、小学生だった女の子が社会人となり、自ら命を守ったその経験を伝え始めようとしています。
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三陸海岸の入り組んだ場所にある、宮城県石巻市の雄勝町。今月、news every.の藤井貴彦キャスターは、地元・ミヤギテレビの記者とその町を訪れました。
藤井貴彦キャスター
「これが防潮堤、高いですね。これ何メートルくらい?」
ミヤギテレビ・伊藤有里記者(22)
「9.7メートル」
ミヤギテレビの伊藤有里記者(22)は雄勝で生まれ育ち、去年、社会人となったばかりの新人記者です。
新たな街へと生まれ変わっていく故郷。
藤井キャスター
「ここを登下校していた?」
伊藤記者
「小高い坂を上って、校舎が広がっていた」
震災が起きたあの日まで通っていた旧石巻市立雄勝小学校は取り壊され、太陽光発電所に様変わりしました。
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11年前の3月11日、東日本を襲った最大震度7の揺れ。
当時、藤井キャスターは放送で、「海や川から離れてください。海や川から離れてください」と必死に呼びかけていました。
雄勝も津波にのみ込まれ、町全体の約8割にあたる1304世帯が全壊しました。津波は、海から約300メートル離れた小学校にも押し寄せました。学校に残っていた児童と教職員、あわせて53人は全員高台へ避難。6年生だった伊藤記者もその中の1人でした。
伊藤記者
「生き延びることができた自分たちであるからこそ、震災を知らない子供たちに伝えていくことが“私たちの使命”」
あの時、なぜ津波から生き延びることができたのか。その理由を被災者、そして記者として伝えようとしています。
恵み豊かな海に育まれてきた雄勝町。その一方で、昔から何度も大きな津波の被害に見舞われてきました。明治と昭和の三陸地震、さらにチリ地震でも津波が襲来しました。雄勝の子供たちは、その話を日々、聞かされて育ったといいます。
伊藤記者
「近所のおじいさん、おばあさんにも、雄勝は『津波が来る地域だから、地震が来たら山に行くんだよ』っていう話を」
藤井キャスター
「頭の中に刷り込まれたもの?」
伊藤記者
「1回だけ話を聞いたら、きっと忘れてしまうかも。繰り返し、繰り返し、色々な人の話を聞くことで“体になじんでいく”」
東日本大震災のあの日、大きな揺れの中で津波の話がよみがえり、同級生と当たり前のように高台へ逃げたといいます。
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地震の後には津波が来る。それは、83歳の木村昇一さんも子供の頃から聞かされていた教えでした。
伊藤記者
「おじいさん(が子供の)時から『津波が来たら逃げろ』って話はあったの?」
雄勝町に住む漁師 木村昇一さん(83)
「親たちから聞いたり、先輩たちから聞いていたから。小学校1年生の時からずっと津波訓練、(昭和三陸地震のあった)3月3日は津波訓練させられたから」
3月3日。それは、木村さんが生まれる前に起きた、「昭和三陸地震」の日です。その被害を伝える写真は、伊藤記者が通っていた小学校にも飾られ、毎日のように目にしていたといいます。
藤井キャスター
「(過去の津波被害を)伝えてもらえていなかったら?」
伊藤記者
「『津波が来たら、高い所に逃げなきゃいけない』と聞いていたからこそ行動できた。それを知らなかったと思うと想像できない。“知っていることが大事”」
次は東日本大震災を知らない子供たちへ。震災後、新たに建てられた小学校が伝え始めています。廊下の一角には、地震がきた時間に止まった時計がありました。
伊藤記者
「ちょうど地震がきた時間。飾られていたら自然と頭の中に残っていく」
津波にのまれた学校の旗もありました。展示を決めたのは、今月で定年を迎える校長でした。
伊藤記者
「なぜ飾ってあるんですか?」
石巻市立雄勝小学校・中学校 横江良伸校長
「雄勝に震災遺構的な物ってないんだよね。公民館の上のバスもなくなった。何かで伝えていかなきゃいけないと思ったときに、学校関係のものになると、こういうものになる」
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「津波の記憶を紡ぎ、命を守る」。今は、その方法を模索している伊藤記者に藤井キャスターが打ち明けたのは、被災地取材での葛藤でした。
藤井キャスター
「(東日本大震災の)被災地に入って11年たつ。外から来た人間が地元のことを伝えていいのかってジレンマもあった。震災を経験している人が伝える側に来てくれるっていうのは、すごく心強い」
藤井キャスターが被災地に入ったのは震災の翌日でした。「ここにあった町並みも、人々の暮らしも知らない自分が、何を伝えられるのか」11年間、問い続けてきました。その藤井キャスターに、伊藤記者が質問を投げかけました。
伊藤記者
「藤井さんは、どういうことを考えて伝えていますか?」
藤井キャスター
「伝える上で大切にしているのは、自分の言葉で誰かが動き出してくれること。伝わるその先に行動が生まれてくれたら、何か現状が変わるんじゃないかな」
伊藤記者
「私が伝えたことをずっと覚えていてほしいわけじゃなくて、いつか危険な状況になった時にちょっとした行動ができるように、記憶の片隅をつくっていく」
“被災した自分だからこそ伝えられることがある”胸に抱く思いを語りました。