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【解説】「東京・平壌の連絡事務所には強く反対」焦る拉致被害者家族が譲れないワケ…「親世代」は横田早紀江さん1人に

2025年3月20日 7:30
【解説】「東京・平壌の連絡事務所には強く反対」焦る拉致被害者家族が譲れないワケ…「親世代」は横田早紀江さん1人に
石破首相と面会する拉致被害者家族ら 2月20日 首相官邸

■96歳まで闘い続けた「父」有本明弘さん…娘との再会果たせぬまま

「諦めきれへんさかい、みんな運動しとるんやで」(拉致被害者 有本恵子さんの父・明弘さん)

2月15日に96歳で亡くなった有本明弘さん。その関西弁の独特の語り口は、いつも“言いたいことは、とことん言うてやるんや“という熱を帯びていた。

恵子さんが拉致されたのは、1983年のこと。ロンドンに語学留学中“帰国が遅くなる”との手紙が届いたのを最後に行方がわからなくなっていたのだ。

北朝鮮に拉致されたとわかったのは、失踪から5年後。同じく拉致被害者の石岡亨さんから家族に届いた手紙に、恵子さんらとともに北朝鮮・平壌で暮らしているとの内容が書かれていたのだ。手紙には、恵子さんの写真のほか、孫娘とみられる赤ちゃんの写真も同封されていた。

明弘さんと妻・嘉代子さんは、その手紙のコピーを手に、神戸から上京。外務省や警察庁、何人もの国会議員のもとを訪ね歩き、娘の救出を訴えた。

「まさか北朝鮮が日本人を拉致するなんて…」と、多くの国民が拉致を信じておらず、拉致事件は“拉致疑惑”とされていた頃。訴えても、まともに取り合ってもらえないことも多かったという。

しかし、いち早く活動を始めた明弘さんと嘉代子さんは、先駆者となり、家族らによる救出活動のうねりをつくった。

2002年の日朝首脳会談で、北朝鮮は「恵子さんは、すでに死亡している」と説明したが、後に北朝鮮の情報には誤りがあることが判明。有本夫妻は諦めることなく、恵子さんら被害者を救うための活動を懸命に続けてきた。

しかし、進展しない時間は長すぎた。

2020年2月に明弘さんの妻・嘉代子さんが94歳で亡くなり、6月には横田めぐみさんの父・滋さんが87歳でこの世を去った。

それでも諦めないと、車椅子に身を預けながら、何度も神戸から上京。集会に参加し、首相との面会にも駆けつけ、訴え続けた。

明弘さんが亡くなった今、日本に帰国できていない政府認定の拉致被害者の「親世代」は、横田めぐみさんの母・早紀江さんのみとなった。2月で89歳になった早紀江さんは「むなしい思いをしているし、私もどうなるかわからない」。明弘さんの死去を受け、こうこぼした。

これ以上、無念のまま亡くなる家族が出てはいけない。家族らの焦りは、一層募っている。

■「連絡事務所は有効」石破首相の発言に…家族から危機感

明弘さんの死去から5日後の2月20日、首相官邸を訪れた拉致被害者の家族ら。石破首相を前に、横田めぐみさんの弟で家族会代表の横田拓也さん(56)は、いつになく厳しい口調で訴えかけた。

「なぜ、私たちの必死な叫びは放置され続けるのでしょうか。なぜ国家は無実の拉致被害者を取り戻すために何もしようとしないのでしょうか。私たちの人権、尊厳、自由は、どうしてここまで国家によって無視され続けるのでしょうか。こうした作為は、国家が被害者である私たちに寄り添っていると言えるのでしょうか」

石破首相にこう迫った横田代表は、さらに、ある“懸念”について述べた。

「私たちは、あらゆる機会を通じて、『連絡事務所』と『合同調査委員会』の設置に対して強く反対していることをお伝えしています」

横田代表が強く反対とする「連絡事務所」。東京と北朝鮮・平壌の相互に「事務所」を設置するということで、石破首相は去年の総裁選の際、公約に盛り込み「拉致被害者の帰国を実現するため、交渉の足がかりをつくる」などとしていたものだ。

「北朝鮮の時間稼ぎと幕引きの工作に加担してほしくありません。連絡事務所の設置によって、この問題の可視化は期待できません」「もうこれ以上、待てません。もうこれ以上、私たちを苦しめないでください。連絡事務所設置を論じている段階ではありません」(家族会・横田拓也代表)

■なぜ「連絡事務所」でなく「首脳会談」なのか

「連絡事務所」について、家族がここまで反対するのには理由がある。

歴史を振り返ると、拉致問題をめぐって何かが“進展”したのは、日朝首脳会談だった。被害者5人が帰国した2002年、その後に、その家族が帰国した2004年、いずれも「帰国」という結果が伴ったのは、当時の小泉純一郎首相と金正日総書記によって行われた日朝首脳会談だ。

その後、2008年には、北朝鮮が拉致被害者について「再調査」を行うと約束。2014年にも拉致被害者を含む、すべての日本人に関する「全面調査」を約束し、「特別調査委員会」を設置したものの、その後、結局自ら“解体”を宣言。2002年以降、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」などと主張し、一人も被害者を帰国させないまま、今年で23年になる。結果、いずれも北朝鮮の“パフォーマンス”と“時間稼ぎ”に終わっていると言える。

こうした経緯を踏まえれば、たとえ北朝鮮と「連絡事務所設置」で合意ができたとしても、北朝鮮にさらなる時間稼ぎを許してしまうばかりで、解決にはつながらないのではないか――。

横田代表も、
▼北朝鮮では、金正恩総書記のみが権限を持っており、連絡事務所を作っても、そこには決定権がないため、意味がない。
▼被害者は拉致されて以降、ずっと北朝鮮当局によって監視されているため、いまさら誰がどこで、どうしているかを調べる必要はない。
▼「一から調べましょう」というような連絡事務所や合同調査委員会では、時間だけが過ぎてしまう。
などと指摘。

時間とともに、日本で待つ家族が相次いで亡くなってきた中、一刻も早い解決のためには、“金総書記が「被害者全員を返す」と決断さえすればいいのであって、そのためには日朝首脳会談しかない”。これは、家族らが譲れない点だ。

■家族が反対表明する中…石破首相は「連絡事務所は有効」

石破首相も、これまで「(金正恩総書記に)実際に会いもしないで、見もしないで、相手を非難していても、これは始まるものではない。私は本当に、正面から向き合うことによって、皆様方とともに、この思いを実現してまいりたい」などと、金正恩総書記との首脳会談に前向きな姿勢を示している。(去年11月、国民大集会での発言)

ただ、一連の「連絡事務所」をめぐる石破首相の発言に、家族は懸念をさらに大きくしている。

1月31日の衆議院予算委員会。「私は北朝鮮と交渉するにあたりまして、連絡事務所があるということは、それなりに有効なことだと思っております。しかしながら、それをやることは北朝鮮の術中にハマることはという反対の御意見があることも、よく承知をいたしております」(石破首相)

反対意見があることを承知としつつも、「連絡事務所は、それなりに有効」と述べたのだ。

家族会と支援団体の「救う会」は、この発言後の2月に決定した今後の活動方針の文書の中で、石破首相に向け、「連絡事務所や合同調査委員会の設置は、どのような名目であれ、時間稼ぎにしかならない」との反対のメッセージを盛り込んだ。

■いてもたってもいられない…嘆願書に込めた思い

家族の一部からは首相や政権への「不信感」すら感じられる。

1978年に拉致された田口八重子さんの長男で、拉致被害者家族会事務局長の飯塚耕一郎さん(48)は去年12月、石破首相に宛てた嘆願書を送った。

母・八重子さんは47年前、北朝鮮に拉致された。当時1歳だった耕一郎さんは以来、母に一度も会えていない。

「岸田前政権、石破政権及び拉致対策本部は本年(2024年)中に救出のため何をしたのか全く見えてきません。救出のための行動を即時に起こしてください」「我々の焦りに対し、現政権で動きがわかりません」(飯塚耕一郎さんの嘆願書より)

拉致問題の解決に向けた交渉は、国と国との問題。救出活動は、政府が北朝鮮と対峙して行うことしかできないからこそ、首相が代わるたびに、何度も官邸に足を運び、丁寧に解決に向けた対応を「お願い」してきた家族たち。

しかし、耕一郎さんの嘆願書には、普段は使うことがないような強い言葉が並んでいる。

■「時間がない」からこそ、家族の納得できる対応を

拉致事件の発生から、過ぎてしまった40年、50年という月日。

「被害者の一刻も早い帰国」だけを願い続け、訴え続けてきた時間に重なる。

政府は家族の置かれた状況や思いを改めて認識し、今すぐにでも解決に向けた具体的な手だてを講じる必要がある。

また、こうした家族の切実な思いを、政権に“伝える”役割を果たすべき拉致問題対策本部という組織も日本政府にはある。今こそ、その役割が求められているのではないか。

相手がある外交交渉において、北朝鮮との具体的なやりとりを途中段階で明らかにするのは、交渉の是非にも関わるため難しく、また家族が求める内容を北朝鮮側がどう受け止めているのかも不透明だ。

しかし、石破首相や日本政府には、日本で待ち続ける家族が納得できる対応を取ってほしい。

(日本テレビ社会部拉致問題担当・猪子 華)

最終更新日:2025年3月20日 8:38