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最後に見たい景色 旅行を処方するドクター

2023年6月24日 18:43
最後に見たい景色 旅行を処方するドクター
人生の最期が迫った時、「思い出の場所、行きたかった街を旅行したい」と願う人は少なくない。その思いを叶える“トラベルドクター”という医師がいる。旅行を願う人と家族が、最後に目に焼き付けた景色。医師の原点には、自分らしい生き方を制限する医療への疑問があった。

    ◇  ◇  ◇

“最後に見たい景色” 、かなえませんか?

患者
「3、2、1。うわー! なんじゃ、こりゃ」

諦めていた旅行を、医療の力で。

患者
「ありがとうございます」

伊藤さん
「思う存分楽しみましょう」

難病や終末期の患者の旅行をかなえるトラベルドクター、医師の伊藤玲哉さん。2020年、『トラベルドクター株式会社』を設立しました。

伊藤さん
「たとえ病気があっても、その人がかなえたいとか目標にしていることを、ちゃんと医療の力で背中を押すことができれば、これがやっぱり僕にとっての医療なんじゃないかなと思っています」

2021年6月。

伊藤さん
「よろしくお願いします。旅行医の伊藤といいます」

保田正さん、75歳。末期がんの症状で足がむくみ、歩くことが難しくなっていました。

保田正さん
「もうどうせそう長くないと思うから。家族全員で最後の思い出じゃないけど、作っておこうかなと思って」

長女・彩さん
「今回の熱海も、海が見えるのが」

家族旅行といえば、いつも海。残された時間が迫るなか、もう一度この景色が見たかったのです。

長女・彩さん
「いつ最後になるか分からないというのもあるので。みんなでなるべくおいしいものを食べ、一緒にいろんなもの見てみたいな感じで、思い出の残る旅行にできればなという感じです」

伊藤さん
「ご不安なことって何かありますか」

正さん
「不安なことはない。任せっきりじゃん」

伊藤さん
「そう言っていただけるのは、うれしいです」

正さん
「はっきり言えば、俺、無責任かもわかんないけど」

    ◇  ◇  ◇   

旅行前に現地を下見し、車いすが通れる幅や段差を確かめます。

伊藤さん
「え~! これはすごいぞ」

建築士や看護師も同行し、旅行の安全性を高めていきます。さらに、万が一の急変に備え、現地の医療機関に協力を仰ぎます。

伊藤さん
「旅行医という立場で旅行中も診ながら、旅行中の医療が途切れないような仕組みで、旅行する方が安心して行ける仕組みができたらいいなと思っています」

現地の医療機関担当者
「うちの病院が後方支援できることで、ご家族とかご本人の安心感に繋げればいいなと思いますので」

伊藤さん
「僕も心強いです」

出発当日の朝。保田さんの足のむくみは、以前よりも強くなっていましたが、旅行に行く体力はあると判断しました。

木原さん
「介護タクシーです。お邪魔します」

伊藤さん
「よろしくお願いします」

正さん
「外の空気吸った瞬間に、あっ!と思ってね」

旅行は2泊3日。家族とは2日目に合流します。

伊藤さん
「(波打ち際の)ギリギリまでこれで行っちゃいたい。よし、じゃあここで」

正さん
「あまり行きすぎると、海に入っちゃうよ」

瞳に映るのは、ずっと見たかった景色。

正さん
「水に入った瞬間ですね。“これが海だ”って。もう最高ですよ。それこそ生涯印象に残る」

家族も合流し、楽しみにしていた温泉へ。

伊藤さん
「それ遊ばれちゃってるな。正さん1回出ますか」

正さん
「もう出るの?」

伊藤さん
「とろ~んってなってきてますよ」

長女・彩さん
「大丈夫? 違う世界にいかないでね」

家族とまた、思い出を重ねることができました。

長女・彩さん
「また次の話をしているじゃないですか。希望になったのかなってすごく思いますね」

伊藤さん
「旅行を処方したいというその思いとしては、薬って本来、ご本人にしか効かないものですけど、旅行ってまわりにいる人にもきっと効果があると思っていて」

旅行を終え、無事に帰宅。

「先生、来週(旅行)って言っているんですけど」

伊藤さん
「来週?」

正さん
「さっき言ってオッケー出した」

伊藤さん
「オッケー出しました?」

正さん
「出したじゃない。無責任だな。俺より無責任だぜ!」

    ◇  ◇  ◇   

正さんが亡くなったのは、14日後のことでした。家に帰ったあとも、次の旅行を目標にしていたといいます。

長女・彩さん
「こんな顔していたんだなって感じですよね。でも、何かかみしめている感がありましたよね。家にいて何もできないじゃないですか。だけどそういうなかでは、一番親孝行。私たちは何もしていないんですけど、だけど、親孝行はこれでできたのかな、と感じますね」

2022年、トラベルドクター株式会社の経営は、コロナ禍で旅行の依頼が少ないなか、人件費や医療機器などの設備投資が重なり、窮地に追い込まれていました。

伊藤さん
「本当に私の経営力のなさなんですけど。いま危ない状況。亡くなった後のセレモニー、お葬式で何百万使うって全然ありだと思うんですけど。すごくそれを医療現場で見ていたときに、後悔している方が多い。伝えたかった言葉とか思いとかを、旅行というひとつのセレモニーにしたいなと思っていて」

担当者
「成功させるべきものなのかな、と思います。それは伊藤様のためとかじゃなくて、世の中のためってことですよね、結局は」

    ◇  ◇  ◇   

2022年5月、名古屋から旅行の依頼がきました。

伊藤さん
「はじめまして。きょうは体調いかがですか」

英伸さん
「こんな調子かな。ぼちぼち」

諸熊英伸さん、62歳。3年前に咽頭がんを発症しました。

英伸さん
「薬があっちゃって、なんか3年間生きちゃった。ようやく、もうあかんかなって」

伊藤さん
「でも薬が効いてきてくれたから、きょう僕と出会えたわけですね。今回、どんな景色が見たいですか」

英伸さん
「涙するかな。涙するような景色が見たいかな。大自然が見たい」

プロのカメラマンだった英伸さん。大自然のなかで、シャッターを切るのが願いです。

伊藤さん
「行きましょうか」

英伸さん
「よっしゃー! 行こうよ、本当に」

伊藤さん
「この1週間というのが、かなり大きいかなと。仮にあと1か月の余命の方だったら、(1週間で残りの)人生の4分の1がぐっと進むっていう。1週間という時間のなかでの重みをしっかり感じながら備えていきたいなと思います」

もうひとつ、旅行でかなえたい願いがありました。

英伸さん
「娘とも久しぶりに会うし。のんびりとゆっくりと」

関東で離れて暮らす子どもたちと一緒に旅行できるのが、何よりも楽しみなのです。

旅先に選んだのは、長野県の阿智村。旅行の前日、いつものように下見に向かいましたが。

伊藤さん
「LINE見ましたか。入院になっちゃいましたね。トイレに行こうとしたときに、転んで頭を打ってしまったと。救急車で病院に緊急搬送されて、いま検査を受けている感じですね。悔しいな、悔しい」

旅行は延期に。病状も進行し、意思疎通もままならない状態になっていました。

伊藤さん
「悔しいですよね。何度も経験している、あと1日早ければっていう。きのうだったらかなったんですかね。今回の経験を、どうやって次に生かせるのか。どうやったら次かなえられるかというところを、もがいていこうかなと思います」

旅行に行くはずだった日から25日後。英伸さんは病室で息を引き取りました。この時みえた、1つの課題。遠方から依頼があった場合、どうすれば素早く対応できるのか。伊藤さんは、東京以外にも拠点を増やすことを決意。クラウドファンディングで900万円の寄付を募ることにしました。

伊藤さん
「おー! 80%いきました」

でも、このままでは寄付が成立しません。すると…。

伊藤さん
「うん? ちょっと待って」

突然、100万円もの支援が加わり寄付が成立。多額の寄付。その名前に心当たりがありました。保田正さんの旅行で、送迎を担当した木原正昭さんでした。

伊藤さん
「ちょっと衝撃的なことがいま起きていて、ちょっといま混乱をしておりまして」

木原さん「あら、どうしたんですか。いやいや、ラストスパートなんで、最後。本当に私の夢でもあるので。全力で応援させていただきます」

伊藤さん
「“ありがとう”という言葉では全く言葉が伝えきれなくて」

『旅行に行きたい』という言葉の裏にある、“自分らしく生きたい”という願い。

伊藤さん
「たとえ今の医療では治せない病気を抱えていたとしても、旅行をかなえることもできるよと。それがこれからの新しい医療のカタチなのかなと思っていて。行きたいところに行ける、会いたい人に会える、見たい景色を見る、そういったものが当たり前に選べる未来をつくりたいなと思います」

“最後に見たい景色” を、1人でも多くの人に。

    ◇  ◇  ◇   

2023年5月14日放送 NNNドキュメント’23『最後に見たい景色 旅行を処方するドクター』をダイジェスト版にしました。