高校生2人が犠牲になった事故から13年 母は息子に誓った「飲酒運転ゼロ」をあきらめない 検挙者にアルコール・インターロックの義務付けを 福岡
飲酒運転の車にわが子を奪われた母親は犠牲者をなくそうと活動を続けてきました。13年たっても飲酒運転がゼロにならないなか、母親の心境にも変化が生まれています。
2月6日、山本美也子さん(55)の姿が福岡県粕屋町のイベントホールにありました。飲酒運転の撲滅を訴えるシンポジウムを開くためです。
■山本美也子さん
「飲酒運転撲滅ゼロに向けてできること、何かつかみ取っていただければと思いますし、私たちも発信できればと思っています。」
長男・寛大(かんた)さん(当時16)の命を奪った飲酒運転をゼロにする。そんな決意を胸に活動を続けて、ことしで13年になりました。
2011年2月9日夜、粕屋町の道路を歩いていた寛大さんと友人の皆越隼人さんは、飲酒運転の車に後ろからはねられ、死亡しました。当時、高校1年生、16歳でした。
美也子さんは悲しみと怒りを胸の内にとどめ、事故の直後から飲酒運転の撲滅を訴える活動を始めました。
■山本美也子さん
「加害者がいなければ被害者も生まれない、簡単なことがなんでできないんだろう。」
訴えてきたその言葉は少しずつ、飲酒運転ゼロを目指す社会の機運を高めてきました。
それでも悲しい事故は後を絶ちません。福岡県大牟田市では1月末、飲酒運転の車と原付バイクが衝突し、高校生が死亡しました。
■山本美也子さん
「頑張っていても、事故もなかなかなくならなかったり、高校生が犠牲になったり、もう本当に、もうやってもやっても。」
訴えても、呼びかけても、飲酒運転はいっこうになくなりません。美也子さんの心境にある変化が生まれていました。
■山本美也子さん
「私たちの大きなテーマとして、思いやりで社会を変えるというのは、今でもずっとそのテーマで活動しているが、やはり限界があるというか。どうしても変わらない人たちは、物理的な何かが必要な時期になったんじゃないか。」
飲酒運転の悲惨さだけではなく、具体的な対策についても呼びかけていこうと決めたのです。
飲酒運転を強制的に止めることはできないのか。美也子さんが注目しているのは、アルコール・インターロックです。
車に装置がつけられると、運転手はエンジンをかける前に呼気検査をしなければいけません。実際にアルコールを飲んでエンジンをかけると、どうなるのでしょうか。
■機器
「アルコール数値が検出されました。」
■樋口淳哉 記者
「この状態で車のエンジンをかけようとすると、かけることができません。」
ドライバーに不正がないよう、遠隔で確認も行われます。
■東海電子・杉本哲也 社長
「飲酒運転しているという現実をなくしていく。(飲酒運転の車が)いかに路上に出ないようにするかがインターロックの一つの使命。」
しかし、認知度が低いことが普及の課題となっています。
■山本美也子さん
「これが大臣に出した意見交換書ですね。」
去年6月、全国から飲酒運転をなくすために、美也子さんは国土交通相と意見交換を行いました。
その中で訴えたのは、一度検挙されたドライバーに対しアルコールインターロックを取り付けることを、法律で義務化してほしいということです。
福岡県内では、過去2年間で5年以内に2回以上飲酒運転で検挙された人は、118人に上ります。
かつては技術的に実用化は難しいと指摘されていましたが、装着を進める時期に来ていると専門家は話します。
■福岡大学 法学部・小佐井良太 教授
「実際には今は、アルコール・インターロック装置の、かつて指摘された技術的な難点というところはクリアできているので。飲酒運転で違反をして検挙された人に、その再犯を防止するという形で装置を義務付けるということを考えるべき時期に来ているのではないか。」
寛大さんの命日が近づくと、美也子さんは毎年、飲酒運転の撲滅を訴えるイベントを開いています。ことし訴えたのは、飲酒運転の悲惨さだけではありません。
■山本美也子さん
「若い皆さんが社会に出ていくときにアルコール・インターロック付いていますよ、当たり前、という社会になっていくためにも、大きな国の整備が必要ということですよね。」
アルコール・インターロックついて、警察や県の職員、高校生らに情報を発信しました。
■山本美也子さん
「こんなにたくさんの人とアルコール・インターロックについて考える機会はあまりなかったように思う。実現していくための、単なる機会ではなく実現への一歩を踏み込むためのものだと思っています。」
飲酒運転ゼロを息子に誓って13年、そこにいたのは決して息子との約束をあきらめず、前に進もうとする母の姿です。
■山本美也子さん
「妥協はしません。何があっても。いかなる手を使っても、飲酒運転をゼロにするために頑張りますっていうのは変わりません。」