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2次避難「覚悟していた」珠洲の漁師富山へ 所有船は漂流先の糸魚川で発見も生活再建遠く

2024年1月22日 19:34
2次避難「覚悟していた」珠洲の漁師富山へ 所有船は漂流先の糸魚川で発見も生活再建遠く
能登半島地震で被災した石川県珠洲市の漁師が先週、富山市に2次避難しました。

津波で流された漁船はその後見つかりましたが、自宅などの被害は大きく先が見通せないといいます。

今の思いを聞きました。

1月18日、富山市に軽トラックでやってきたのは木下太助さんと妻の弘美さんです。

木下さんは67歳、能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県珠洲市の漁師です。

避難先の施設で木下さん
「すみませーん、珠洲の木下です」

地元の集会所に避難していましたが、今回、新たな避難先として富山市の宿泊施設に身を寄せました。

木下さん(1月16日・珠洲市で取材)
「あれ、2mくらい堤防が。あの堤防を(津波が)乗り越えてきた」

木下さんの自宅は津波で大きな被害を受けました。

さらに津波警報の解除とともに港の様子を見に行くと。

目にしたのは転覆したいくつもの漁船です。

木下さん
「奥に浮いているうちの左側の小さいほうが自分のだと思う。もうロープがこんな状態でロープが切れて(船が)流れていった」

所有する2隻のうち1隻は転覆、もう1隻は流されてしまいました。

しかし地震から4日後、思わぬ連絡がありました。

珠洲市から直線距離でおよそ77キロ離れた新潟県糸魚川市の浜辺で流された船が見つかったのです。

木下さん
「いずれどこかで転覆なり、残骸なり言われると思ったけど、きれいな姿で、砂浜に上がりにかかっていたということで、見たときはもう涙が出ましたね」

船が見つかったとはいえ、住み慣れた自宅は被害が大きく、倒壊する恐れを示す「赤い紙」が貼られました。

木下さんは、新潟県上越市に住む息子が手配してくれた富山市に2次避難することを決断しました。

妻の弘美さんと最低限の荷物を取り出し、出発の準備をしました。

木下さん
「しゃあないかなと思います、覚悟していました」

妻・弘美さん
「思い出の品はいっぱいあるけどやっぱりきりがないから。今は避難しよう。やっぱり帰ってきたいです。30何年間住んだところなので、涙出ますよね、何回見ても、ごめんなさい」

複雑な思いを抱えながらも前を向いて珠洲市を後にしました。

1月18日、富山市に到着した木下さん夫妻に今の気持ちを聞くと。

木下さん
「あれだけ損傷していますし、津波も入っていますので、生活も、電気もなし水もなしですから、下が水入って洗われて住める状態じゃないですので」

妻・弘美さん
「さみしいですけど、またみんな元気で会おうねって別れてきたので、それがかなえば、うれしいと思いますけど、ちょっとまだ、気持ちがまだそこに行かないんで」

2人は1月いっぱいは富山市で過ごし、今後のことを考えたいと話します。

木下さん
「復興次第というか、あの状況ではいつ復旧するかと思えばちょっとなんとも、この先、自分だけではちょっと決定できない状況です」

木下さん夫妻は、2月には石川県が被災者向けに用意するアパートなどに生活拠点を移し、自宅の片付けなどにあたりたいと考えています。

今はまだ先が見えないと思いますが、まずは富山で体と心を休めてください。
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