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【記者が見た「能登半島地震」】発生から3か月あまり経過 いまなお「避難生活」強いられる家族 本格化する「仮設住宅」建設

2024年4月5日 20:45
【記者が見た「能登半島地震」】発生から3か月あまり経過 いまなお「避難生活」強いられる家族 本格化する「仮設住宅」建設
発生から3か月あまりが経過した「能登半島地震」について、現地を10日間取材した記者が、いまなお体育館での避難生活を強いられる家族や、建設が本格化してきた仮設住宅などについて伝える。

石川・金沢市から能登半島へ向かう「のと里山海道」。

3月15日から、輪島方面は全線で通行可能となった。

金沢市から3時間ほどで到着した石川・珠洲市。

石橋記者リポート
「珠洲市正院地区に来ています。このあたりは倒壊した建物も多く、がれきも積み上がったままです。3か月経った今もなお地震の爪痕が深く残っています」

ひとりで後片付けをする住民の姿。

避難所で過ごす高齢者
「水来ないからね、とにかく。洗濯もできんしね」

8万棟を超える住宅被害。
倒壊した家屋の撤去は、ほとんど進んでいない。

一次避難所で暮らす住民は、石川県全体でいまも4000人余りにのぼる。

地震当日から体育館に避難している杉野智子さん(35)。

小学5年生と中学1年生の娘2人、夫の家族4人で、10畳ほどのスペースに段ボールベッドを並べて生活している。

杉野智子さん
「家がもう全壊判定なので、荷物が出すところがなくて、結局必要なものはもうここに置いておく」

石橋記者)菜那ちゃんは時間あるときは何して過ごしてるんですか?
杉野菜那ちゃん(10)「ゲーム」
菜那ちゃんの母・杉野智子さん「ゲームやね。春休み中 お友達とも、なかなか日程合わんね」

杉野智子さん
「勉強するスペースがなくて、ちょっとしたテーブル置いてすればいいのかなと思うんですけれど、まだ片付けも追いついてなくて」

カーテンで間仕切りをしているものの、制限の多い避難生活。

子どもたちのことを考えると、珠洲市を離れることも何度か考えたと言う。

杉野智子さん
「子どもたちの学校問題もあってなかなか踏ん切り付かずに、金沢に出りゃいいんだろうなと思いながらも、どうしようかなって悩みながらここにいる状態ですね」

杉野さんの自宅は、地震で倒壊はしなかったものの、基礎が崩れ傾くなど全壊の判定を受けた。

杉野智子さん
「こんな感じで傾いちゃっていて、横のここがもう寄りかかってしまっていて、この車庫自体も傾いてしまっていて、自宅で寝泊まりするのは子どもたちも怖くて嫌だというので、仮設住宅ができるまで避難所で待つしかないと思っています。
 (子どもたちは)結構頑張っていると思います。私には言わないところもあると思うが、多分内々にはためていて、言葉にしたらママを困らせると思って言わないところもあったりして。あとは自分で気付いてないところもあると思うんですが、多分それなりにストレスは抱えていると思う」

生業の再建も、手付かずのままだ。

石川・輪島市の鹿磯漁港の現状を教えてくれたのは、漁協職員の天井昭彦さん。

地震により、漁港の海底はおよそ4メートル隆起した。

石川県漁業協同組合・天井昭彦さん
「結局船も出せない、船を出せるところまで移動するにも時間もかかるし、漁の目途っていうのは立たないですね…」

石橋記者リポート
「輪島市里町地区です。倒壊した建物の前では、長期的に住める仮設住宅の建設作業が進められています」

石川県では、8月までに希望者全員分およそ6600戸の仮設住宅の建設を目指している。

行われていたのは、新聞紙をリサイクルした断熱材を壁に入れる作業。

工事責任者
「私たちは、熊本でも仮設住宅(の建設)をやっていて、仮設住宅ではあるんですけれど、個人住宅と同じ思いで作り上げていく」

一部の仮設住宅は、2016年の熊本地震でも採用された木造となっている。

プレハブ型より建設に時間がかかるが頑丈なため、仮設住宅としての2年間の入居期限が過ぎたあとも、市営住宅に転用するなどして長期的に住み続けることが可能だ。

この仮設住宅に入居を希望する1人、輪島市の橋上芳郎さん。

橋上芳郎さん(50)
「(今)金沢市額谷地区の避難所にいます。南志見地区で全員避難となったまま、います」

橋上さんが暮らす集落は、およそ20世帯のほとんどが金沢市に集団で避難している。
橋上さんは、自宅に残した飼い猫の世話のため、週1度 輪島に戻ってくる。

橋上さんが見せてくれたのは、住人同士で作るLINEグループ。
被害の状況や近況を伝え、支え合ってるという。

一方、高齢化が進む地区では、自宅を再建できる人は多くないと、橋上さんは感じている。

橋上芳郎さん
「仮設住宅に入って、みんな顔見知りがいた方が安心できる」

10日間にわたる取材で気になったのは、住宅の片付けなどを手伝うボランティアの姿をあまり見かけなかったことだ。

珠洲市社会福祉協議会・塩井豊事務局長
「(被災者が避難の為に)市外・県外に行かれているということで、本来でしたら(ボランティアのニーズが)上がるべきところ、上がってないんじゃないかと思います」

そうした中、炊き出し支援を行っていたのが、熊本県のからのボランティア。

熊本地震で被災・吉村静代さん(74)
「(熊本地震では)我が家は全壊でした。避難所で4か月、仮設住宅で3年住んでいた」

この日向かったのは、石川・能登町にある一時孤立した集落。

「熊本地震」を経験したからこそ、心がけていたことがあった。

それは一緒にやること。
被災者の自立を促すボランティアを目指している。

石橋記者)こうやって一緒に料理を作るのは?
地元住民)楽しいね

過去の災害の教訓を、それぞれの立場からつなごうとする姿があった。

熊本地震で被災・吉村静代さん(74)
「地域の皆さんがつながってこないとなかなか難しいんですよ。被災地に来た時に、特に避難所生活すればもろにその人たちの生活が見えてくるわけですね。そういったときに、いかにつながって仲良くできるかっていうのが避難所生活だったり仮設住宅だったり。そしてその仲良くなった人たちが、今度は自立再建して(離れる)。そのつながりを続けていくというのが、一番皆さん方が元気になることかなと思います」

245人が亡くなった「能登半島地震」から3か月あまり。
厳しい環境の中での生活は、いまも続いている。

独特な街の雰囲気を生み出す艶のある黒い「能登瓦」。
取材した仮設住宅では、奥能登の伝統をつなごうと「能登瓦」を使う取り組みが行われていた。

杉野 智子さん
「ここの下の浜で海水浴も出来るし、夏になるとみんなで海水浴していたんですけどね。(娘たちは)初めの頃、カレー食べたい、シチュー食べたいと言っていたが、最近はあきらめたのか何も言わなくなっちゃって。だからなかなか食べてくれなくて困っています。これ食べたい、と言ってもどうせないんでしょ。作れないんだったらご飯いらないと、ご飯抜いたり。作れるようになったら、作ってあげたいんですけど、忘れていないかな、美味しくできるかな、心配です。その時に、子どもが食べたいというものを作ってあげようかな」

石川県では、仮設住宅・約6600戸の希望数に対して、4月中に3000戸、8月中には希望者全員分の建設を目指している。

今回取材した長期で住める木造型の住宅は、2016年の「熊本地震」から採用され、従来のプレハブ型ですと1か月程度で建設されるものが、建設に2~3か月ほど時間を要するが、能登の寒さや湿度などの気候にも対応するため断熱材を入れるなどしている。
外観も、能登の住宅に多い「瓦」や「板張り」の作りとなり、地域に馴染めるように配慮されていた。

珠洲市のボランティアセンター担当者に聞くと、ボランティアの・ニーズが上がらないのは、作業には住人の立ち合いが必要だが避難などで地元を離れていて声が上がらない、作業ができないという事情もあるそう。

今後、水道の復旧や仮設住宅が整うと、避難していた住人が戻ってきて新たなニーズが上がってくるのではないかという、
能登の街の復興に向けて、今後も引き続きボランティアや支援が必要だ。

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