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終戦翌日に若い111人の命が奪われた『震洋隊爆発事故』 題材の舞台が15日・16日に上演【高知】

2025年3月13日 18:58
終戦翌日に若い111人の命が奪われた『震洋隊爆発事故』 題材の舞台が15日・16日に上演【高知】
戦後80年を迎える今年、日本テレビ系列では「いまを、戦前にさせない」というメッセージを届けています。80年が経ち、戦争を体験した人も年を追うごとに少なくなっているいま、それをどうやって伝えていくのか。
今回は「演劇」の力で高知香南市の悲劇を伝える人たちにスポットをあてます。

3月11日、香南市の夜須公民館マリンホールで行われた舞台の稽古です。

舞台「海の木馬」。3月15日から2日間、マリンホールで上演されることになっていて、開演間近の終盤の稽古に参加者たちが熱のこもった演技をみせていました。

舞台「海の木馬」は1945年8月16日、終戦の日の翌日に香南市夜須町住吉海岸で起きた「震洋隊爆発事故」を基につくられた芝居です。

1945年5月。香南市夜須町の住吉海岸に、旧日本軍が組織した「震洋隊」と呼ばれる部隊の基地が作られました。

「震洋」とは太平洋戦争末期に海軍が開発した特殊兵器です。全長6メートルあまりのベニヤ板で出来た2人乗りの小型のボートで、トラック用のエンジンを搭載。船の前方に250キロの爆薬を積み、敵の艦隊に体当たりする水上特攻艇でした。飛行機で敵艦に突っ込むのが「神風特攻隊」。ボートを使ったものが「震洋」でした。

震洋隊は日本の太平洋岸や東南アジアなどに114部隊が配置されていました。県内では香南市のほか須崎市や土佐清水市など7つの部隊が配置され、香南市の住吉基地には25隻の「震洋」が配備されました。

部隊名は「第128震洋隊」。隊員171人。うち整備隊員102人、士官7人、そして特攻する搭乗員は現在の高校生の年齢、平均年齢17歳の48人です。

太平洋戦争末期、戦局はひっ迫し軍需工場が破壊され、飛行機の生産が減りました。震洋隊搭乗員のほとんどは、海軍飛行予科練習生、つまり「飛行士」を志願してきた隊員たちでした。

一度も出撃することはなかった第128震洋隊。悲劇は昭和20年8月16日、終戦の翌日に起こりました。

陸軍では戦争が終わったという空気感に包まれていましたが、海軍は依然として臨戦状態のままだったそうです。
そんな中、「敵機動部隊北上中」の情報が入り、県内全ての震洋隊基地に出撃準備の命令が下ります。

まだ夏の陽が残る午後7時過ぎ、出撃準備をしていた香南市の住吉基地で震洋艇1隻で原因不明の火災が発生。消火のため船を海に沈めようとしたところ、大爆発が起こりました。横一列に並んでいた他の船に次々と引火。高さ20メートルにも及ぶ火柱が上がりました。連鎖的な大爆発が起こったのです。
25隻のうち22隻が爆発し、県外出身の若者111人の命が「戦争が終わった次の日」に奪われたのです。

この悲劇を題材にしたのが「海の木馬」です。2月14日、稽古初日を迎え台本の読み合わせが行われました。参加する役者は、去年11月オーディションで選ばれた、県内の15人と東京の劇団・桟敷童子の俳優2人です。

「海の木馬」の脚本・演出を手がける東憲司さんは、社会の底辺で虐げられた人々を描く骨太な作品を作り続け、数々の演劇賞を受賞しています。

東さんは、戦後、福岡で起きた「火薬処理中の爆発事故」を題材にした芝居を2021年に上演。「海の木馬」の制作は、その公演が新聞に掲載されたことがきっかけでした。

■東 憲司さん
「高知のおばあさんから劇団に連絡があって、同じような事件が高知でもあったんですよって(電話が)かかってきたんです。お名前も何も分からなかったんですけど。それで僕はこの事件のことを知って、こんな痛ましい事件があったのかと思い、こういうお話を書こうと」

東さんは夜須町の図書館で資料を調べ、現地での取材を重ね、2023年5月に東京で「海の木馬」を上演しました。

物語は、元震洋隊の搭乗員で生きながらえ年老いた主人公が、あの悲劇を回想するというものです。

東京での上演を知った夜須公民館の山下裕矢館長が、東さんに地元・香南市での公演を打診し実現。山下館長には、震洋隊を知らない人が多くなったという危機感がありました。

■山下裕矢 館長
「この震洋隊の話自体を、地元の夜須とか香南市の方でも名前くらい聞いたことあるかなとか、何となく事故があって亡くなったがよねってくらいの知識。または本当に知らないっていう方が多くなってきていると思う」
「(演劇公演を)1回2回とやっていく中で、何かこう地元に関係する題材をやりたいなと、やれたらいいなと思ってたところで、東京の(海の木馬)の話を聞いたので」

役者の1人で、地元・夜須中学校の教員橋場公亮さん。震洋艇の整備班役で、舞台に出るのは初めてです。

■夜須中学校教員 橋場公亮さん
「(参加の)きっかけは館長から中学校に紹介をもらい、夜須で起こった戦争の悲惨な歴史というところで、社会科の教員である自分が出演して子どもたちに知ってもらいたいなという思いで参加した」

千葉県出身で教員になるために高知に来た橋場さんは、夜須中学校に赴任して1年。震洋隊の事故があったことは知っていましたが、

■夜須中学校教員 橋場公亮さん
「授業でも扱うこともあったが、すごくうわすべりの所だけだったので、もちろん『海の木馬』という題材すべてがノンフィクションではない部分もあると思うが、そこにいた人々の想いであるとか気持ちを感じながら体験をさせてもらっている。」

初稽古から10日後の2月24日には立ち稽古が始まり、全員、真剣に台本と向かい合っていました。

舞台には高知大学演劇部のメンバー4人も参加しています。

■高知大学演劇部3年 久保桐子さん
「家に帰っても当時のこととかを想像してみたりして。でもやっぱり私が想像するより実際はもっとしんどかったんだろうなという、分かり木れない部分、国のために命を捧げるということとか、どうしても分かりきれない部分はあるんですけど、稽古を通していってなんだか体が重くなっていく感じはします。」

稽古が終わり、役者やスタッフが向かったのは、住吉海岸。80年前、ここで悲劇が起こったのです。

夕方5時を過ぎたオレンジ色の海。海のそばに、「震洋隊殉国慰霊塔」があります。1956年に建てられ、毎年8月16日に慰霊祭が行われていますが、80年の月日が流れ、今では遺族の参加はなく、地元の有志が数十人集まるくらいになっています。

「青春」と刻まれたブロンズ像。飛行士として志願してきた搭乗員たち。出撃の時も飛行服の姿でした。

■山下館長
「僕は今45なんですけど、慰霊塔がいつからあったとか、あんまり意識したことなくて。詳しくは知らんかった。地元の人間ながら。ただ、ここには小さな時から何百回も来てますし、親に連れられて釣りに来たりとか、自転車で遊びに来たりとか、すごいしてる。40代・50代ぐらいの人だと、震洋隊に関する知識はそれぐらいのもんなんやと思います。そういう悲しいことはもうあって欲しくないしって意味でも知ってもらいたい」

■高知大学演劇部1年 角田洸優さん
「役をやってる皆さんの中で、一番年が近いんですよね。15、6才。私も2、3年前の話ですけど、そんな若い人たちがここで111人もなくなったということで、すごい悲惨な事件だと思いますし、それを私は演じるわけなので、しっかりやりきりたいなという思いが強くなりました」

■夜須中学校教員 橋場公亮さん
「震洋隊の事故について、これからも語り部として、教師として、活動できたらいいなと考えています」

忘れ去られていく悲劇。敗戦の翌日に若い111人の命が奪われた「震洋隊爆発事故」をもとに作られた舞台「海の木馬」は、3月15日と16日に夜須公民館マリンホールで上演されます。
最終更新日:2025年3月13日 18:58
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