【速報】「桜田門外の変」の"遺恨"乗り越え…165年ぶりに彦根市・鹿児島市が交流連携協定を結ぶ 「この締結式が新たな歴史のリスタート」
165年前、江戸幕府の大老・井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」で関わりがある、滋賀県彦根市と鹿児島県鹿児島市が交流連携協定を結び、16日午前に締結式が開かれました。
井伊家が藩主の「彦根藩」があった彦根市と、暗殺した武士が出身の「薩摩藩」があった鹿児島市が協定を結ぶことになり、締結式には彦根藩主の井伊家と薩摩藩主の島津家の子孫のほか、暗殺に関わった有村家の子孫が立ち合いました。
「桜田門外の変」は1860年、江戸城の桜田門外で、井伊直弼が水戸藩と薩摩藩を脱藩した武士らに襲撃された事件で、薩摩藩出身の有村次左衛門が井伊直弼の首を持ち去ったとされています。
今年で事件から165年となる中、有村次左衛門の弟の子孫にあたる有村國俊・滋賀県議会議長が、彦根市と鹿児島市の交流について両市長に提案したことがきっかけで、協定の締結に至ったということでです。
「桜田門外の変」の他にも、井伊家と島津家は歴史的につながりが深く、1600年の関ケ原の戦いでは東軍と西軍に分かれて交戦したものの、合戦後には、勝利した東軍の井伊家が敗戦した西軍の島津家と徳川家の和平の仲立ちをしたといわれています。
締結式が行われた16日は、井伊家・島津家・有村家の子孫と両市の市長らが、彦根市にある井伊家の菩提寺「清凉寺」で井伊家の墓所にお参りしたあと、彦根城内の楽々園で締結式が開かれました。
協定の締結後、彦根市の和田裕行市長は「感無量です。未来志向で両市の関係を築いていきたい」と述べ、鹿児島市の下鶴隆央市長は「たいへん嬉しく思っています。島津家・井伊家で紡がれてきたご縁が、未来に向かって更に深まっていくことを期待している」と応えました。
両市は都市間交流を進めるとしていますが、具体的な取り組みは今後検討していくということです。
子孫らが正式に顔を合わせるのは今回が初めてということで、有村家の子孫は「幕末当時、日本中がいろいろな思いで、日本のために活動されていた。この締結式は(新たな歴史の)リスタート」と話していました。
なお、桜田門外の変で井伊直弼の暗殺に加わった中には、水戸藩を脱藩した武士もいましたが、彦根市は1968年に水戸市と親善都市になっています。