イチローが語る阪神・淡路大震災「初めて命について考えさせられた時間」 節目の30年 “語り部”としての思いも
オリックス・ブルーウェーブ時代のイチロー氏(写真:日刊スポーツ/アフロ、1996年撮影)
公益財団法人野球殿堂博物館は16日、2025年野球殿堂入り通知式を開催。プレーヤー表彰でイチロー氏と岩瀬仁紀氏、エキスパート表彰で掛布雅之氏が殿堂入りとなりました。
プロ野球で7年連続首位打者、そしてメジャーリーグで通算3089安打と、数々の前人未到の記録を打ち立ててきたイチロー氏。通知式の場面で語ったのは、1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災への思いでした。
イチロー氏は当時21歳で、兵庫県神戸市に拠点を置くオリックス・ブルーウェーブに在籍。「あの時はオリックスの寮で眠っていて、『自分はこれで死んじゃうかもしれない』と、寮があったエリアは大きな被害はなかったわけですけど、初めて命について考えさせられた時間でした」と当時を回顧します。
あれから30年。「こういうことは、なかなか経験していない人たちに伝えていくのは大変難しいことなわけですけれど、いち被災者として思いを経験しなかった子どもたちに伝えていけたらなと思っています」と、震災の記憶と経験を、“語り部”として次世代に伝えていく思いを明かしました。
そして「神戸は僕にとって今も特別な場所」と改めて語ったイチロー氏。「これからも自分なりに進んでいく姿が、誰かのきっかけになったり支えになったり、そんな風になれたらいいなと思っています。動けなくなるまで野球と携わって、なんとか日本野球の力になりたいと考えています」と、引き続き野球を通じて活動していく意思を明かしました。
さらにエキスパート表彰で殿堂入りした掛布氏も阪神・淡路大震災について言及。「能登半島地震から1年がたちますが、苦しんでいる方が大勢おられると聞いております。殿堂入りは、そういう子どもたちや町を笑顔にする活動をもっともっとやっていきなさいというメッセージを僕に言っているんじゃないかと感じております。その気持ちを大切に、新しい第一歩を踏み出したい」と、野球を通じた活動への意気込みを語りました。
プロ野球で7年連続首位打者、そしてメジャーリーグで通算3089安打と、数々の前人未到の記録を打ち立ててきたイチロー氏。通知式の場面で語ったのは、1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災への思いでした。
イチロー氏は当時21歳で、兵庫県神戸市に拠点を置くオリックス・ブルーウェーブに在籍。「あの時はオリックスの寮で眠っていて、『自分はこれで死んじゃうかもしれない』と、寮があったエリアは大きな被害はなかったわけですけど、初めて命について考えさせられた時間でした」と当時を回顧します。
あれから30年。「こういうことは、なかなか経験していない人たちに伝えていくのは大変難しいことなわけですけれど、いち被災者として思いを経験しなかった子どもたちに伝えていけたらなと思っています」と、震災の記憶と経験を、“語り部”として次世代に伝えていく思いを明かしました。
そして「神戸は僕にとって今も特別な場所」と改めて語ったイチロー氏。「これからも自分なりに進んでいく姿が、誰かのきっかけになったり支えになったり、そんな風になれたらいいなと思っています。動けなくなるまで野球と携わって、なんとか日本野球の力になりたいと考えています」と、引き続き野球を通じて活動していく意思を明かしました。
さらにエキスパート表彰で殿堂入りした掛布氏も阪神・淡路大震災について言及。「能登半島地震から1年がたちますが、苦しんでいる方が大勢おられると聞いております。殿堂入りは、そういう子どもたちや町を笑顔にする活動をもっともっとやっていきなさいというメッセージを僕に言っているんじゃないかと感じております。その気持ちを大切に、新しい第一歩を踏み出したい」と、野球を通じた活動への意気込みを語りました。
最終更新日:2025年1月17日 5:31