羽生結弦 プロ転向後テレビ初演技「前に進むきっかけになったら」被災地の女性と再会
今年の「24時間テレビ」で、羽生結弦さんがプロ転向後初となる演技を披露しました。演目は、北京オリンピックのショートプログラム「序奏とロンド・カプリチオーソ」。一方で、東日本大震災で被災した福島県の女性との嬉しい再会もありました。
■福島県・楢葉町の人々との交流
8月16日、「24時間テレビ」の収録に臨んだ羽生結弦さん。嬉しい再会がありました。
その人は、福島県楢葉町に住む、高原カネ子さん。2人の出会いは2015年にさかのぼります。当時、羽生さんは、福島県いわき市に避難した楢葉町の人を訪問。いわき市の仮設住宅で裁縫教室を開いていたのが高原さんでした。当時、福島第一原発の事故の影響で楢葉町の全住民が避難を余儀なくされていました。
ふるさとに戻れない中、高原さんは羽生さんに思いを語りました。
高原さん
「私たちは4年間ふるさとを追われていて。ふるさとって・・・母の子宮の中にいる、羊水の中にいるような安心出来るもの」
帰れないふるさとへの思い。人々の目に涙が浮かびます。
一方、不安な日々の中で、羽生さんの訪問は避難していた楢葉の人々にとって嬉しいひとときにもなりました。金メダリストの訪問に「夢みたい」と笑顔を見せる楢葉の人々に、羽生さんは「スケートで結果をとればみんなが元気になってくれる」と答えました。
金メダルには、人々を笑顔にする力があったのです。
■2018年 楢葉町訪問
2018年には平昌五輪の金メダルを持って楢葉町を訪問し、高原さんたちと再会しました。楢葉町は2015年に避難指示が解除され、仮設住宅に住んでいた人々もふるさとに帰ることが出来たのです。
羽生さんはまた、楢葉の学校を訪ね、子どもたちとも交流しました。当時小学生だった酒主大誉君は、「すごくうれしかった。勉強も遊びも全部頑張りたいなと思った」と笑顔で羽生さんの訪問を振り返りました。
■北京五輪 被災地に金メダルを
そして今年2月の北京オリンピック。再び、被災地に金メダルを。羽生さんにはそんな思いがありました。
しかしショートプログラムでは、冒頭の4回転サルコウを跳ぶ際にリンクの溝にはまるアクシデント。そして、巻き返しを狙うフリー前日の練習では右足首をケガ。それでも羽生さんはフリー本番で、前人未踏の4回転アクセル(4回転半ジャンプ)に挑戦しました。4回転アクセルは転倒したものの、これまでで一番の出来。フリー後半には4回転を成功させるなど追い上げますが4位。金メダルには届きませんでした。
当時の思いを羽生さんはこう振り返ります。
羽生さん
「今回は(金メダルを)持って行けなかったなと強く思いました。悔しいより苦しいの方が大きかった」
■楢葉町の今
今年7月。羽生さんは楢葉町の高原さんとリモートで会話しました。
高原さんは羽生さんにこう語りかけました。
高原さん
「今回の五輪も金メダル、悔しかったってききました。それが自然な感情だと思いますけど、あそこまで努力した、挑戦したということ自体が私たちからしたら心の中の金メダル。大きな頑張る力になったと私は思っています」
温かな高原さんの言葉に、羽生さんも笑みがこぼれます。
羽生さん
「ありがとうございます。やって良かったなという気持ちになれました」
楢葉町への帰還が始まって7年。現在、人口のおよそ6割が戻り今年度からは、小学校も開校しました。高原さんは現在、小学生にも裁縫を教えています。高原さんは羽生さんに「楢葉町は幸せに復興している」と話しました。
そしてもう一人、懐かしい顔との再会がありました。
4年前、羽生さんが楢葉町の子どもたちと交流した際は小学生だった酒主大誉君です。「勉強頑張ってる?」と話しかけた羽生さんに、酒主君は「頑張ってます」と即答。
酒主君は現在、楢葉中学校の2年生。学校では授業の一環として楢葉町の特産品を使った商品を開発しています。
酒主君
「楢葉町のことを日本の皆さんによく知ってもらえるために、色んな商品を考えています」
学校での活動を説明する酒主君に羽生さんは「すごい」と感嘆。「頑張りは絶対どこかで実る」と酒主君を励ましました。
■北京五輪のショートに挑戦
そして今月16日、私たちは、高原さんを宮城県仙台市で行われた「24時間テレビ」のアイスショーに招待。
「しばらくぶりなのでワクワクしています」高原さんは笑顔で会場に到着しました。
今回、羽生さんが滑ったのは、北京オリンピックのショートプログラム、「序奏とロンド・カプリチオーソ」です。演技を前に羽生さんは思いを語りました。
羽生さん
「オリンピックでミスしてしまったある意味心の傷。だからこそ自分はまた改めて挑戦したいなと思った」
高原さんが見守る中、羽生さんの挑戦が始まりました。競技のプログラムをアイスショーで滑るのは異例のことです。このプログラムを滑るのは恐怖もあったと羽生さんはいいます。
「自分にとって胸に突き刺さっている傷」冒頭は4回転サルコウ。北京でアクシデントがあったジャンプです。
決めました。
続く4回転トウループからの連続ジャンプも成功。
3つめは世界で一番美しいと称されるトリプルアクセル。こちらも美しく決めました。
このプログラムは挑戦がテーマ。「自分たちの過去がありつつ、それが原動力となって前に突き進む。自分が夢をつかみ取るという物語」その思いを復興への道のりにも重ねます。
完璧な演技にガッツポーズ。思いがあふれました。
「初めてこのプログラムが自分の中で完成形として滑りきれた。やっとこれを乗り越えてまた前に進めるなって僕自身が思えたので、みなさんの中で何かほんの1秒でもいいので、何か前に進むきっかけになったらいいと思う」
■4年ぶりの対面
演技後、羽生さんは高原さんと4年ぶりに対面しました。
「4年ぶりです。本当はやっぱり金メダル持ってきたかったなって、やっぱり対面すると思うんですけど」そう口にした羽生さんに高原さんは「これはもう持ってきたも同然です」と笑顔で答えます。
そして、プロに転向したばかりの羽生さんには、こんな思いもありました。
羽生さん
「自分から前に進むんだって思って、違う環境に進んだばっかりなんですけど、やっぱり何だろう。先が見えないっていうか、すごく怖いものが正直あって」
将来への不安を口にしました。
「そうですか」高原さんは続けます。
高原さん
「でも先が見えない恐怖っていうのは、ずっとその先があるから先を見なくちゃいけないって思う。それだけでも幸せですよ。先があるっていうことだと思うので、大丈夫絶対羽生君なら!」
高原さんの温かい言葉に、羽生さんは「なんか僕が励まされる立場だ」と笑顔。
これからも、共に、前へ