羽生結弦に「会いたい!」プロ転向後テレビ初演技 被災地へ・・・ 17歳少女へ・・・ ”想い”を込めたSPアイスショー
「やっと乗り越えてまた前に進める」そう語った、羽生の思いとは。
■プロ転向後テレビ初演技
今年7月。その決断に、日本中が注目した。
「これからはプロのアスリートとして、さらに高いステージにいけるよう頑張っていきます」
今後競技会には出場せず、プロに転向することを表明した羽生結弦。プロ転向後初となる演技を8月27日放送の「24時間テレビ」で披露した。
演目は、北京五輪のショートプログラム「序奏とロンド・カプリチオーソ」。今年2月の北京五輪では、冒頭の4回転サルコウジャンプの際にリンクの溝にはまるアクシデントが起き、1回転になってしまった。
「オリンピックでミスしてしまったある意味心の傷っていうか。だからこそ自分はまた改めて挑戦したいなと思いました」
演技を前にそう語った羽生。自分自身が挑戦することで伝えたい思いがあった。
■西日本豪雨で被災した高校生
そんな羽生と今回、番組で交流したのは、高校3年生の三浦葉鈴(はれ)さん。広島県の高校でチアリーディング部の部長をつとめる、いつも笑顔いっぱいの17歳。しかし彼女は現在、家族と仮設住宅に住んでいる。4年前の西日本豪雨で自宅が被害にあったのだ。
2018年の西日本豪雨では、広島、岡山、愛媛など14の府と県で304人が死亡。住宅6800棟以上が全壊した。三浦さんが家族で避難した際のドライブレコーダーの映像には、川があふれた道路を間一髪で避難する様子が映し出されている。「これヤバいんじゃないのかなって。のまれそうって思って」三浦さんは、当時の心境をこう振り返る。
一方、三浦さんの自宅は土砂やがれきが押し寄せ、大規模な半壊と判定。土砂は家の中にも流れ込んだ。三浦さんの自宅周辺は今もなお工事が終わっていないため住むことは出来ない。広島県の仮設住宅に住むのは三浦さん一家を含め9世帯のみとなった。
被災当時中学2年生だった三浦さん。しばらく外出も出来ず、高校受験が近づく中無気力な状態が続いたという。
「やっぱり思い出のある家。すごくショックでした。これからどうするんだろうって。不安しかなかったです」
■前を向くキッカケ
三浦さんが前を向くキッカケの一つとなったのは、羽生の存在だった。豪雨の前に見た羽生のドキュメンタリーを思い出した。
◇ ◇ ◇
羽生は16歳で東日本大震災にあった。自宅は後に全壊と判定、家族と避難生活を送った。練習拠点だった地元のスケートリンクも被災し閉鎖したため、羽生は全国各地を回って、練習を続けた。当時16歳の羽生は私たちの取材にこう心境を語っていた。
「失ったものは本当に大きなものをいうと日常です。昔(震災前)と同じように過ごしたい」
それでも羽生は、努力を重ね、子どもの頃からの夢を叶えた。
2014年のソチ五輪で金メダル。そして、2018年には平昌五輪で連覇を達成。このときのフリー「SEIMEI」は三浦さんが一番気に入っているプログラムだという。震災にあいながらも前に進み夢を叶えた羽生の姿に勇気づけられたと三浦さんは言う。
「私も豪雨にあったからと言って豪雨を言い訳にせず、高校受験をもっと頑張ろうって」
■北京以来の「序奏とロンド・カプリチオ-ソ」
8月16日、宮城県のアイスリンク仙台で「24時間テレビ」のスペシャルアイスショーが行われた。
番組では三浦さんを招待。会場に到着した三浦さんは「見るだけなのに緊張しています」と一言。ショーに先立って、三浦さんと対面した羽生は「少しでも日常を忘れられる瞬間になったらいいなと思います。是非楽しんで下さい」と笑顔で挨拶した。
一方、アイスショーを前に羽生も緊張していた。「序奏とロンド・カプリチオ-ソ」の演技は、リンクの溝にはまるアクシデントがあった北京五輪以来初となる。
「やはり自分自身オリンピックでミスをしてしまった。ある意味心の傷というかオリンピックとしては心残りがあるプログラム。だからこそ、自分はまた改めて挑戦したいなと思いました」
北京と同じ失敗をするかもしれないーそんな恐怖があったと羽生は言う。それでも羽生は挑戦することを選んだ。それは、このプログラムのテーマでもあった。
「自分たちの過去がありつつ、それが原動力となって前に突き進む。自分が夢をつかみ取るという物語。被災された方々にとっては復興への道じゃないですけど、記憶たちと共に前に進んでいくんだという事を届けられると自分も滑った意味があります」
◇ ◇ ◇
三浦さんが見守る中、羽生がリンクに入った。十字を切るようなしぐさで体の軸を確認。ジャンプのイメージも確認した。競技と同じルーティーン。アイスショーで競技のプログラムを滑るのは異例の事だ。会場には緊張感が漂っていた。
リンクに「序奏とロンド・カプリチオーソ」のピアノの調べが鳴り響く。冒頭は北京でアクシデントのあった4回転サルコウ。美しく成功。続く4回転トウループからの連続ジャンプ、そしてトリプルアクセルも成功。ジャンプだけでなく、スピンやステップも全て最高難度のレベル4、北京五輪と全く同じ超高難度の構成に挑んだ。完璧に演技を終えた羽生は思わずガッツポーズ。思いがあふれた。
「初めてこのプログラムが自分の中での完成形として滑りきれたという思いがある」
演技後、そう語った羽生。
「僕もすごく怖くてなかなか踏み出せずにいたプログラムの1つですけど、でもやっとこれを乗り越えてまた前に進めるなって僕自身が思えた。皆さんの中で何か、ほんの1秒でもいいので、何か前に進むキッカケになっていたらいいなと思います」
緊張から解き放たれた羽生からは安心したような笑みがこぼれた。
「疲れた。泣きそうだった緊張しすぎて。オリンピックで出来なかったものをノーミスしなきゃいけないっていう」
しかしまだ、やり残した事があった。
■三浦さんへのサプライズ
今回のショーの前、三浦さんの話を聞いた羽生は私たちにこんな提案をした。
「サプライズを出してもいいかなって」
羽生自身が計画したサプライズとは・・・
羽生は演技後、リンクサイドの三浦さんの元へ。
「ということでサプライズします!」そう話して、音楽担当者へ手で合図。流れた曲は、平昌五輪のフリー、「SEIMEI」。そう、三浦さんが一番好きだと話していたプログラムだ。
「えー!」思わず叫んだ三浦さんの目の前で、羽生は最後のコレオシークエンスを披露。羽生の代名詞・ハイドロブレーディングや美しいイナバウアー。平昌の感動が再現された。
「感動しました」三浦さんは目を輝かせて語った。
「一番記憶に残っているSEIMEI。すごかったです」
■自分を幸せに
そして演技後、羽生は三浦さんと対面。大学受験を控える三浦さんは羽生に聞きたいことがあった。
「難しい事に挑戦する時、どうやってモチベーションを保っていますか?」
羽生は自らの経験を交えて語った。
「誰かから良い演技を期待してもらえたら、良い演技をしたいと思います。それがたとえ誰かに求められてなかったとしても、自分が目指したいと思う事だったら、きっと自分が自分に期待しているから、自分のことを幸せにしてあげて。自分のことを幸せにしてあげようと思えば、頑張れるから」
その思いは三浦さんにも届いた。
「被災のことや受験のことも前を向いて進んで、羽生さんみたいに挑戦していこうって思いました。自分を幸せにするために最後まで頑張ろうって思いました」
つらい過去があった。それでも、その全ての記憶たちと共に、前へ。