【箱根駅伝】度重なるケガで"消えた笑顔" 最後の箱根路へ花尾恭輔を鼓舞した4年生の仲間たち
花尾「ちょっとダメでしたね。戻らなかったです」
持ち前の笑顔が消え、道を見失ったとき、行く先を明るく照らしてくれたのは同期の仲間たちでした。
■「箱根は走れなかった」前回体調不良で欠場
花尾選手が駒澤大学に入学したのは2020年。1年生から箱根駅伝に出場。笑顔で元気よくとび出し、区間4位の好走で97回大会では総合優勝に貢献しました。
全日本大学駅伝では、2年生、3年生で続けてアンカーを任され、2大会連続で優勝のフィニッシュテープを切りました。3年生のこの大会まで、開催された7つの大会にすべてに出場し、同学年では唯一の大学駅伝皆勤を誇っていました。
しかし2022年12月、箱根駅伝99回大会の直前の強化合宿に花尾選手の姿はありませんでした。
花尾「全日本が終わって、コロナになって、直って練習していたときに胃腸炎になって、箱根は走れなかった」
■最後の箱根は一緒に走りたい…世界と戦う姿で鼓舞した同期
7月になっても未だ走れずにいた花尾選手。春先から疲労骨折が重なり、これほど長く走れないのは、順風満帆だった陸上人生で初めての試練でした。「この先大丈夫かなって思いましたし、不安しかなかったです。みんなの前ではちゃんと明るく、一人になったら分からないですけど」と胸中を明かしました。
その不安を一番近くで感じていたのは、普段から仲のよい同期・安原太陽選手。
安原「去年も含めて苦しい部分をずっと見てきているので、本人が一番苦しいと思うんですけど、ただ腐らず常に努力している姿をずっと見ていました」
前回の箱根駅伝、補欠だった安原選手は他の選手の体調不良により出場することになり、欠場した花尾選手の給水に元気をもらったといいます。
安原「僕らよくラーメンを食べに行くので、給水のときに『スープ入れるの忘れた!』って言っていました。一番元気な給水ですね」
その安原選手は、学生世界一を決めるワールドユニバーシティゲームズで5000m銀メダルを獲得。最後の箱根は一緒に走りたいと、自らが戦う姿で花尾選手を鼓舞しました。
花尾選手も「世界の舞台で戦っている姿は本当に感動しましたし、ちょうどケガの最中だったので、すごく元気をもらいました」とその気持ちを受け取り、8月の夏合宿では練習できるまでに回復していきました。
■走るはずのない出雲駅伝に登録
なぜ走らない花尾選手を登録したのか、藤田敦史監督は「(登録の)10人目をすごく悩んでいるという話をしたときに、キャプテンの鈴木や上級生の意見を聞いて、花尾という存在はこれから2年連続の3冠を狙っていく上で間違いなく必要な人材だから、(メンバーに)入れてもらった方がチームとして3冠をとりにいくぞという雰囲気が出る、という意見が出て、それで入れました」と話します。
提案したのは同期のキャプテン・鈴木芽吹選手。花尾選手とは1年生の時から一緒に駅伝を走ってきました。
鈴木「花尾がメンバーに入ることで、何か変わるきっかけになれば良いかなと思っていて、僕としても藤田監督としても、あの選択は絶対間違っていなかったと思っている。チームとしてすごくいい選択だったと思っています」と振り返ります。
入学したとき同期で誓った"100回大会での優勝"。その優勝は史上初・2年連続の大学駅伝3冠につながります。『獲りにいくのは花尾も一緒』そんなメッセージが込められていました。
花尾「ありがたいですよね、すごく。チームにできたことってあるのかなと思っていた中だったので、今まで頑張ってきたのが少しずつ報われているのかなと思いましたし、それと同時に勝たなきゃというか、頑張らなきゃという気持ちになりました」
■帰ってきた花尾の笑顔 箱根駅伝は総合優勝へ
箱根駅伝のメンバー選考を兼ねた11月の上尾シティハーフマラソンは、花尾選手にとって7ヶ月ぶりのレース。みんながくれた思いを結果で返したい。1時間2分台の目標に対し、1時間2分39秒でフィニッシュした花尾選手にはいつもの明るい笑顔が返ってきました。
花尾「本当にしんどかったです。本当にきつかったです。みんなが頑張っている姿をずっと見てきていたので、それが自分の活力になりました」
長い暗闇から抜け出すことができたのは、仲間たちと一緒に戦う目標があったから。残すは4年生で迎える最後の箱根駅伝。花尾選手は「このメンバーで集まることは奇跡に近い。このメンバーで(駅伝)3つ勝って終わるのがチームのためでもありますし、往路復路優勝、完全優勝を目標で挑んでいきたい」と強く意気込みを口にしました。