【箱根駅伝】無念の欠場を経て…青山学院大・若林宏樹を支えた言葉
■箱根デビューで"若の神"に
若林選手が青山学院大学に入学したのは2021年。当初から「山の神と言われるような選手になりたい」と語ったように上りを得意とし、2022年の第98回大会では1年生ながら5区に抜てきされます。
区間3位の力走を見せ、往路優勝のテープを切った若林選手。原晋監督に"若の神"と命名され、"山の神"という目標に大きく近づいた箱根デビューとなりました。
■大きな重圧…無念の箱根駅伝欠場
しかし、翌年の2023年夏にけがをしてしまった若林選手。その影響で本格的な練習は11月からとなり、箱根駅伝が近づくにつれて大きなプレッシャーに苦しめられていました。
「『山が勝負になるぞ』というようなことを言われ、自分が走らなければ負けると、考えなくてもいいことをずっと考えてしまっていた。箱根に近づくにつれて、それが布団に入って目をつむるとずっと頭に残るというか。寝られなくて体調が大きく崩れてしまった感じですかね」
精神的な重圧のせいか、若林選手は大会2日前に発熱。99回大会は無念の欠場となり、チームも3位と連覇を逃します。主力として舞台に立てず、大会後には「あえて厳しいこと言うと、本来主力で山を上らなきゃいけないのに、そもそも走らないやつ、もっと責任を感じてほしい」と原晋監督から厳しい言葉をかけられました。
■「一番心にグサッときた」若林選手を変えたある言葉
「気にするなよ」「お前のせいじゃない」
一時は周囲からの励ましの言葉も、若林選手にはなかなか届かない状態に。しかし、原監督の妻・美穂さんからのある一言が転機となります。
若林「奥さんから『お前が走らないとだめなんだよ』とズバッと言われて。そのときに一番心にグサッときたかなと思いますね」
寮母として、若林選手を一番近くで支えてきた"もう一人の母"である美穂さん。「2日前に熱を出している場合じゃないでしょ、というお話はしたのかな。あなた(若林選手)がいる間の4年間の山は『俺以外は走らないぞ』くらいの気持ちで走ってもらいたかったので」と当時を振り返ります。
■「万全の状態でスタートラインに」
12月には第100回箱根駅伝のエントリーメンバーに選出。「山に関しては自信がある」とチームメートを前に意気込んだ若林選手。自身2度目の箱根駅伝へ「今年の箱根で体調を崩してから、何度も(美穂さんに)『今回は体調崩すなよ』と言われ続けた。万全の状態でスタートラインに立って走る。本当にこれだけですね」と話します。
美穂さんは、身近で支えてきた若林選手へ「山の神にちょっとなりきれなかったから若の神じゃないのかな。やっぱり山の神4代目・5代目とか命名してもらえるように頑張りましょう」とエール。若林選手も笑顔で「頑張ります」と答え、第100回大会での活躍を誓いました。