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有働が聞く スノボ竹内「卵子凍結」…前編

2021年6月5日 0:59
有働が聞く スノボ竹内「卵子凍結」…前編

日本テレビ「news zero」より
~五輪メダリストが選んだ「卵子凍結」~前編

     ◇

看護師
「今日の処置は採卵で間違いないですか?」

竹内智香選手(以下、竹内)
「はい」

看護師
「よろしくお願いします」

スノーボードの竹内智香選手(37)。選手としてのキャリアと、女性としての現実の間で見つけた1つの答え。30代半ばで選んだ道は「卵子凍結」。その葛藤を、日本テレビ『news zero』の有働由美子キャスターに明かしました。

■妊娠・出産を考え、引退を考えた

2014年のソチ五輪。竹内智香選手はスノーボードアルペンで、日本女子初の銀メダルを獲得。続く2018年の平昌五輪では、冬季競技日本女子最多タイとなる5大会連続出場を達成しました。

長年、世界のトップで戦い続けてきた竹内選手ですが、その後、競技を休養。引退を考えていました。

竹内
「34歳で迎える平昌五輪が、私の中でも最後という風に決めていて」

有働キャスター(以下、有働)
「なぜ?」

竹内
「やっぱり34歳という年齢は、女性としての決断する年齢って。そこにはやっぱり子供や出産すること、結婚することとか、1人の女性として生きていく上で、タイムリミットが35歳って思っていました」

女性は加齢により、妊孕力(妊娠しやすさ)が変化します。20代前半を100%とした時、30代後半から大きく低下し始め、40代前半では、約40%。女性の卵子は年齢とともに数が減り、その質も低下するからです。
(一般社団法人 日本生殖医学会 ホームページ掲載 『生殖医療Q&A』より)

これは「卵子の老化」と呼ばれます。

竹内
「(北京五輪まで)競技を続けるイコール38歳まで、その(妊娠・出産の)可能性がさらに低くなるというのは十分に分かっていたので」

有働
「何パーセントくらいもう辞めよう、引退しようと?」

竹内
「99.99%もう」

有働
「ほとんど、じゃあもう引退」

■引退を覆し、選んだ道は“卵子凍結”

しかし、去年8月。

竹内
「この度、2022年の北京五輪に向けて、もう一度競技生活に戻ることを決めました」

記者会見で北京五輪出場を目指し、競技に戻ることを発表。現役続行へ、竹内選手の背中を押したのは、ある技術でした。

竹内
「卵子凍結」

卵子凍結とは、女性の卵巣から卵子を取り出し、凍結保存しておくこと。その後、子供を授かりたいと思った時に卵子を解凍。体外受精させて、女性の子宮に戻し、出産を試みます。

卵子凍結の目的は、大きく2つ。1つ目は、ガンなどの患者が、抗がん剤や放射線などの治療後も、妊娠できる能力を保つために行う「医学的適応」。2つ目は、健康な女性が、将来の妊娠・出産に備えて、卵子を保存するために行う「社会的適応」です。

「社会的適応」は医療行為として認められておらず、保険は適用されません。

凍結後の維持費を含めると、費用は100万円を超えることもあります。また、イギリスの研究機関によると、受精していない、自身の凍結した卵子を用いた出産の確率は18%。決して高くはありません。
(Human Fertilisation & Embryology Authority HPより ※2016年のデータ)

それでも…。

竹内
「すべての手段を使っても、もし子供に恵まれない、授かれないのであれば、私はそれを100%受け入れることができると思っている」

有働
「そこまで」

竹内
「スポーツでもそうですけど、全てにおいて、やりきってベストを尽くした結果というのは、きっと受け入れられる。卵子凍結とか、将来の子供の可能性も、今できる最善を尽くしておく。後悔の形が、自分の中で納得のする形になればいいのかなって考えました」

■卵子凍結 公表の理由

有働
「卵子凍結を公表しようと思ったのはなぜですか」

竹内
「30歳くらいから、いろんなところで、『彼氏はいるの?結婚は?子供は?』この質問がどんどん増えてくる。30代中盤になってくると、今度は『そろそろ子供が産めなくなるよ』って。

それは本当に心配してくれての言葉なのかもしれないですけど、決して心地よい質問ではなくて。きっと私自身が一番向き合いたくないところだから、心地よくない質問だったと思うんですね。

それであれば、もう堂々と、なぜ次の五輪を目指すのか。38歳という年齢と、どう向き合ったかって、公表した方が、自分の気持ちが楽になるんじゃないかなって。

でもきっと30代の女性で、同じように考えて、悩んでいる女性はたくさんいるとは思いますし、私は競技と、女性としての人生の選択肢で迷いましたけど、キャリアで迷っている方たちもたくさんいると思うので。こういった選択肢が推奨するわけではないですけども、あるということを知れるだけで、救われる女性はいるんじゃないかなって思いました」

有働
「分かります」

■卵子凍結 有働キャスターの思い

有働
「私は、(NHK時代に)サラリーマンとしてニューヨークに行ったんですけど。その時点で30代後半だったんで、そっちで出産しながら仕事するとかもなくて。ここはもう死ぬほどやって結果を出さなきゃっていうところだった。ああもうこれ、こっち側の人生は、捨てなきゃなって思っちゃった」

有働キャスターが子供を切実に産みたいと思ったのは、3年間の特派員生活を終え帰国した時。40歳でした。

有働
「自分の中では割り切ってたんですけど、もう仕事があるからいいやと。(でも)ぎりぎりの年齢になったら『すごい産まなきゃ』みたいな。私は、卵子凍結を40歳過ぎてからトライしたので、ダメだったんですけど」

竹内
「トライされたんですね。とれなかったんですか?」

有働
「そうです。やっぱりもう、産婦人科の先生には『40歳じゃもう無理』と。『卵子は劣化しているから』って言われたんですけど」

1年半かけて卵子凍結を試みましたが、採取することが出来ませんでした。

有働
「相当苦しかったです。今までを全否定するというか。周りを見ると出産して、子供を産んで同じように働いて活躍してる人がいて。自分はこれだけやってきて、仕事を続けているから、この1個を手にしてますけど、あとはもうノーチャンスなので。人間として50点じゃないですけど、持っているものが50点みたいな気持ちになった。

それも超えると、それはそれで、家族もいなくて、子供もいなくて。これからは分かんないけど、自分で選んだんだな、というふうに思えたんです」

※対談は後編に続きます。