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由伸×NBA渡邊雄太「大谷の活躍に刺激」

2021年7月10日 1:27
由伸×NBA渡邊雄太「大谷の活躍に刺激」

バスケットボール世界最高峰のリーグ・NBAで日本人史上3人目のプレーヤーとなったトロント・ラプターズの渡邊雄太選手。大きな男たちを次々とブロックする2メートル6センチの長身を生かしたディフェンスが持ち味で、NBAでも高評価を受けています。

この夢をつかむまでの挫折と努力、そして刺激を受けたアスリートを、日本テレビ「news zero」のプロ野球解説者・高橋由伸さんに明かしました。

実は巨人の大ファンである渡邊選手。2年前、高橋由伸さんと2人で食事をしたことについて渡邊選手は「昔から高橋由伸さんは(僕の)大ヒーローで、お食事をご一緒させていただいたときは感激しました」と振り返りました。

渡邊選手の両親は、バスケットボール元実業団選手の父・英幸さんと元日本代表の母・久美さん。幼少期は両親からバスケットボールを教わったといいます。「普段はすごく優しかったんですけど、バスケットに関してはすごく厳しい鬼コーチでした」。

すると高橋由伸さんからは「僕自身も父親が(野球を)教えてくれて、庭に竹が生えいたのでそれを振らされたりしていた。渡邊選手はどんな練習をしたのですか?」と質問が。

渡邊選手は「僕は“電柱シュート”といって、電信柱に向かってひたすらシュートを打つ練習をやっていました」と答えました。

これは渡邊選手の両親が考案した練習方法で、シュートの基本である「まっすぐ打つ」技術が身についたそうです。

その渡邊選手がNBAを意識したのは小学生の時。「小学生の2年生ぐらいの時に初めて(NBAを)テレビで見て、その時にお父さんに『自分もああいう有名選手になりたい』」と語っていたそうで、小学生の時に書いた“10年後の自分への手紙”には「チームはどこに入っているんですか。NBAにいってるんですか。10年後の自分まだNBAに入っていないならがんばれ~!」と記されていました。

高校卒業後、NBAプレーヤーになるためにアメリカへの進学を決意した渡邊選手。「予想はしていたんですけど、向こうの人は身体能力が高くて、体が強い。本当に努力しないともう絶対ここでは生き残っていけないという、危機感を初日から感じました」と当時を振り返り、何よりも大変だったのが言葉の壁だったといいます。

「ただでさえ英語がしゃべれないのに、勉強もしっかり成績は取らないと向こうは競技もさせてくれなくなる。一番早い時は朝8時から授業があって、授業と授業の間に家庭教師みたいな人に(英語の)勉強を教えてもらって。昼食食べて、チーム練習をやって。僕はその後また夜9時10時あたりまで勉強を一緒にやって。バスケでももっと努力しないといけないと思ってたので、体育館に戻ってシューティング練習をして。いつも寮に戻るのは12時とか、遅いときにはもっと午前1時とか。今思うと、もう1回やれって言われても絶対できないです、あの生活は」と過酷だったアメリカでの生活を教えてくれました。

NBAの世界では、有望な選手は大学生の時にドラフトで指名を受けます。しかし渡邊選手にドラフト指名はありませんでした。卒業後はNBAの下部リーグでプレー。必要とされれば一定期間、NBAでもプレーできる契約でしたが、2年間でスタメン出場は一度もなし。最初のチームでは契約解除になりました。

「自分が成長できているっていうのは感じてはいたんですけども、いざNBAのコートに立つとなかなか結果が出ずに悔しい時期が本当にあった」と振り返る渡邊選手ですが、ついに今年、レギュラー選手のケガで出場のチャンスをつかみます。課題と言われてきた攻撃面でも、日々取り組み続けてきた練習の成果を発揮し、得点を量産。ついに夢だったNBAチームと本契約を結ぶことになりました。

 「両親はすごく喜んでくれましたし、母親は僕がテレビ電話で伝えたんですけども、本当にもう泣きながら喜んでくれて。良かったなという部分とまたこれからも頑張ろうと思いました」

NBA選手になった今、渡邊選手の心を突き動かすアスリートが存在するといいます。それが同じアメリカでプレーするメジャーリーガーの大谷翔平選手。

 「大谷選手は同い年で、今シーズンの彼の活躍を見ていると正直すごく刺激になると同時に、なんかちょっと圧巻されますね。僕はまだNBAでいうと全然下のレベル、でも大谷選手を見ていると“日本人だ”というのは、今はもう言い訳でしかない」

大谷翔平選手に刺激を受ける渡邊選手は、日本代表のキャプテンとして五輪の舞台に挑みます。

実は渡邊選手は2019年のFIBAバスケットボールワールドカップでもキャプテンとして大舞台に臨んでいました。結果は5戦全敗、世界相手に1勝もできなかった当時を「あの時の悔しさだとか、その自分の実力不足だとかふがいなさっていうのは本当に覚えている」と振り返りました。

アメリカでの挫折と努力、大谷選手からの刺激、2年前の悔しさ、そのすべてを糧にして渡邊選手は44年ぶりに出場する東京五輪での活躍を誓いました。「本当に自分がもっと成長して日本代表を絶対強くしてやるって思って過ごしたこの2年間でもあったので、どれだけ自分が成長できているのかっていうのを自分自身、感じられるのも楽しみ。やるからには勝ちにこだわりたいので、一戦一戦戦っていかないといけない」