全日本U-12サッカー選手権 カタールW杯日本代表・板倉滉が選手達へエール「ワールドカップを目指して頑張ってほしい」
写真(左):アフロ ※右の写真は第32回大会(小学6年時の板倉選手)(C)テレビ神奈川
◇全日本U-12サッカー選手権大会・決勝(29日、鹿児島市)
12月26日に開幕した小学生のサッカー日本一決定戦「JFA第46回全日本U-12サッカー選手権大会」は、いよいよ29日に決勝戦を迎えます。
過去には、カタールW杯日本代表の森保一監督(1980年第4回大会)や、三笘薫選手(2008年第32回大会/2009年第33回大会)が出場するなど、数多くの日本代表選手が、この大会を経験しています。
そして、カタールW杯で3試合に出場し、日本代表として初めての2大会連続ベスト16入りの原動力となった、板倉滉選手(25)もその一人です。
日本テレビの取材で、小学生当時のことを振り返ってくれました。
「今でも覚えています。準々決勝で名古屋に負けた時、僕がPKを外していて。絶対優勝できるし、もう優勝しかないって思って戦っていたのは、すごく覚えていて。負けて号泣していましたね」
板倉選手は、川崎フロンターレU-12の一員として、第32回大会に出場するも、準々決勝でPK戦の末に名古屋グランパスに敗れ、"日本一"には届きませんでした。
当時のチームには、のちに日本代表でプレーする三笘薫選手や三好康児選手らが所属していました。板倉選手含め、プレースタイルは、当時から変わっていないといいます。
「三好は、左足が本当に上手くて、ドリブルが上手くて、シュートも上手くて、自分で打開できてっていう選手で。三笘も、本当に上手い選手。もうあの時からドリブルが得意でしたし、ドリブルの仕方とかっていうのが変わっていないなとすごく感じます。僕はその時はセンターバックかボランチかどっちかをやっていたと思うんですけど、守って前に繋げるというところはやっていました。」そんな、三好選手、三笘選手らと共に過ごした少年時代。
板倉選手は当時のチームを「本当に意識の高い集団だった」と振り返ります。
「プロを目指す集団というところを植え付けられていたし、チーム内でもすごい厳しく言い合っていたし、よく頑張っていたなと思います。みんなといる時にお菓子食べていたらチームメートが『滉、何の為に食べてるの?』と怒られる。炭酸を飲んでいたら『何のために飲んでるの?サッカーするのに必要ないでしょ』って。携帯を長く触っていたら『携帯何の為にあるの?』って言われるんです。あとは、普段から『川崎フロンターレのエンブレムを背負って戦っているんだぞ』と日頃から言われていたので、電車の中でうるさくしていたら、チーム内でも注意しあっていましたし。僕は注意されていた方なんですけど。でもそういう集団でした」小学生からプロを目指す、意識の高いチームの中で成長し、やがて日本代表としてW杯の舞台で世界と戦う選手になりました。
そんな板倉選手に憧れ、W杯での活躍を夢見る小学生へ伝えたいことを聞くと、こう話します。
「ワールドカップは素晴らしいです。僕は今回初めてのワールドカップだったんですけど、やっぱり想像以上に素晴らしい大会だなって感じましたし、本当にここを目指してやってほしいなと。もう言葉でどうこう言うよりも、やっぱ行ってみないと分からない凄さっていうのは、今回、僕自身が肌で感じたので。小学生のみんなもワールドカップを目指してとにかく頑張ってほしい。僕も小学生のみんなと一緒にプレーしたいですけど、みんなが日本代表に早くなってくれないと、僕もどんどん年取っていくので。楽しみにします」
最後に、板倉選手から"日本一"を目指す小学生へメッセージをもらいました。
「もうとにかく全力で今持っている力をいつもどおり発揮してほしい。全国大会だからといって難しいことはする必要ないし、普段から練習でやっていることを一生懸命試合で出して、なおかつ優勝を目指して戦ってほしいなと思います」
■全日本U-12サッカー選手権大会 決勝
柏レイソルU-12(千葉)×レジスタFC(埼玉)
29日(木)午前9時30分キックオフ 白波スタジアム
12月26日に開幕した小学生のサッカー日本一決定戦「JFA第46回全日本U-12サッカー選手権大会」は、いよいよ29日に決勝戦を迎えます。
過去には、カタールW杯日本代表の森保一監督(1980年第4回大会)や、三笘薫選手(2008年第32回大会/2009年第33回大会)が出場するなど、数多くの日本代表選手が、この大会を経験しています。
そして、カタールW杯で3試合に出場し、日本代表として初めての2大会連続ベスト16入りの原動力となった、板倉滉選手(25)もその一人です。
日本テレビの取材で、小学生当時のことを振り返ってくれました。
「今でも覚えています。準々決勝で名古屋に負けた時、僕がPKを外していて。絶対優勝できるし、もう優勝しかないって思って戦っていたのは、すごく覚えていて。負けて号泣していましたね」
板倉選手は、川崎フロンターレU-12の一員として、第32回大会に出場するも、準々決勝でPK戦の末に名古屋グランパスに敗れ、"日本一"には届きませんでした。
当時のチームには、のちに日本代表でプレーする三笘薫選手や三好康児選手らが所属していました。板倉選手含め、プレースタイルは、当時から変わっていないといいます。
「三好は、左足が本当に上手くて、ドリブルが上手くて、シュートも上手くて、自分で打開できてっていう選手で。三笘も、本当に上手い選手。もうあの時からドリブルが得意でしたし、ドリブルの仕方とかっていうのが変わっていないなとすごく感じます。僕はその時はセンターバックかボランチかどっちかをやっていたと思うんですけど、守って前に繋げるというところはやっていました。」そんな、三好選手、三笘選手らと共に過ごした少年時代。
板倉選手は当時のチームを「本当に意識の高い集団だった」と振り返ります。
「プロを目指す集団というところを植え付けられていたし、チーム内でもすごい厳しく言い合っていたし、よく頑張っていたなと思います。みんなといる時にお菓子食べていたらチームメートが『滉、何の為に食べてるの?』と怒られる。炭酸を飲んでいたら『何のために飲んでるの?サッカーするのに必要ないでしょ』って。携帯を長く触っていたら『携帯何の為にあるの?』って言われるんです。あとは、普段から『川崎フロンターレのエンブレムを背負って戦っているんだぞ』と日頃から言われていたので、電車の中でうるさくしていたら、チーム内でも注意しあっていましたし。僕は注意されていた方なんですけど。でもそういう集団でした」小学生からプロを目指す、意識の高いチームの中で成長し、やがて日本代表としてW杯の舞台で世界と戦う選手になりました。
そんな板倉選手に憧れ、W杯での活躍を夢見る小学生へ伝えたいことを聞くと、こう話します。
「ワールドカップは素晴らしいです。僕は今回初めてのワールドカップだったんですけど、やっぱり想像以上に素晴らしい大会だなって感じましたし、本当にここを目指してやってほしいなと。もう言葉でどうこう言うよりも、やっぱ行ってみないと分からない凄さっていうのは、今回、僕自身が肌で感じたので。小学生のみんなもワールドカップを目指してとにかく頑張ってほしい。僕も小学生のみんなと一緒にプレーしたいですけど、みんなが日本代表に早くなってくれないと、僕もどんどん年取っていくので。楽しみにします」
最後に、板倉選手から"日本一"を目指す小学生へメッセージをもらいました。
「もうとにかく全力で今持っている力をいつもどおり発揮してほしい。全国大会だからといって難しいことはする必要ないし、普段から練習でやっていることを一生懸命試合で出して、なおかつ優勝を目指して戦ってほしいなと思います」
■全日本U-12サッカー選手権大会 決勝
柏レイソルU-12(千葉)×レジスタFC(埼玉)
29日(木)午前9時30分キックオフ 白波スタジアム