高津監督「サンキュありがとう」聞きたくて
去年2月11日に84歳で亡くなった野村克也さんのしのぶ会が11日に神宮球場で行われました。
ヤクルトを3度の日本一に導いた野村さんの教え子、ヤクルトの高津臣吾監督が弔辞を述べました。
現役時代は野村さんのもと、抑え投手としてともに歩んだ高津監督。
今季、野村監督イズムを継いで20年ぶりにヤクルトを日本一に導いたことを恩師に報告しました。
▽以下、高津臣吾監督の弔辞
野村監督、まずは日本一の報告をさせていただきます。日本シリーズの指揮は苦しく、難しく、それでも楽しく、勝つ喜びは何ものにも代え難いものがありました。
そして日本一になった今、野村監督が勝った後に、どんなことを思っていたんだろうと考えたりします。
野村監督は非常に言葉を大切にされる方でした。私はいつも、その監督の言葉に救われていました。
抑えて戻ってくると「サンキュ、ありがとう」この言葉が聞きたくて、頑張ってこられたといっても大げさではありません。
監督がスワローズを離れた後、球場であいさつに行くと、必ず第一声は「抑えにして悪かったな」。
監督は抑え投手がどれだけプレッシャーを背負い、どれだけつらいポジションかを理解してくれていました。
「頭を使え、頭を使えば勝てる。最下位なんだから思い切って好きなようにやりなさい」
この言葉は、昨年1月のスワローズOB会で最後にかけてくれた言葉でした。
課題を与え、グラウンドではのびのびと野球をやらせてくれる野村監督らしい最後の言葉でした。
私の役目は野村野球を継承していくこと、残すこと。そしてそれに新しいものを加えたスワローズウエーを、今の選手に伝えていくことじゃないかと思っています。
野村監督が作り上げた野村野球、すなわち考える野球、頭でやる野球の遺伝子は今も、そして未来も生き続けています。
勝負に厳しく、そして人に優しく、大きな腕時計、派手なネクタイ、おそらく今も大好きな金つばを食べながら、スワローズの野球に、日本の野球にボヤいていることでしょう。全てを忘れません。
どうかこれからも、我々の野球を見守ってください。そして大好きな野球を楽しんでください。最後に、監督にこの言葉を送ります。感謝、感謝、感謝。