“豊橋のあゆちゃん”競技人生の集大成へ… 日本記録更新でパリ五輪の切符をつかむ! 女子マラソン・鈴木亜由子選手
地元に愛され成長した“豊橋のあゆちゃん”
「大きな試合を終えると(豊橋に)帰りたいと思う」と語るのは、女子マラソン・鈴木亜由子選手、32歳。昨年11月下旬、生活拠点の東京から愛知県豊橋市に帰省していました。今回の帰省の目的のひとつは、地元の支援者へのあいさつ回り。競技人生が終盤にさしかかった今、応援してくれる人の多さに改めて気づかされるといいます。
鈴木選手は、豊橋生まれの豊橋育ち。実家は老舗の米屋です。両親からは「甘えてて、わがままですよ」「抜けてるし、走る以外は」と言われる鈴木選手ですが、小学校の運動会で男の子をあっさりと抜き去る姿は街中で評判になり、中学生になると800メートルと1500メートルで全国制覇も経験。天才少女と呼ばれました。
同じ豊橋市出身の女子バスケットボール・髙田真希選手も「(鈴木選手は)豊橋市民の娘です。自分も嫉妬しちゃうぐらい、みんなが『あゆちゃん、あゆちゃん』という」と話すほど、“豊橋のあゆちゃん”は、子供から大人まで、地元のみんなに愛される存在なのです。
「このままでは終われない」パリ行きを目指し最後の挑戦
2016年のリオオリンピックでは、5000メートルと10000メートルの2種目で代表入り。2度目の東京オリンピックではマラソンで代表入りし、メダルも期待されていましたが、19位という悔しい結果に終わりました。
さらに、次こそはと挑んだ昨年10月のMGC(パリオリンピック選考レース)では、まさかの12位。この時点での代表入りを逃し、試合後には涙を流す鈴木選手の姿がありました。「惨敗だった。“勝ち抜く”という強さが足りなかった」と本人は語ります。
パリ行きの切符は、残り1枚。「このままでは終われない」と、3月10日の名古屋ウィメンズマラソンで最後の代表枠を目指すことを決意した鈴木選手。MGCで惨敗した後、改めて気づいたことがあったそうです。
鈴木亜由子選手:
「走ることを好きじゃないと思っていたけど、でもまたやるというのは、嫌いじゃないんだと気づかされたというか。これまでの競技人生の総括。これまでの経験を全部、全精力を注ぐレースになる」
雪が残るアメリカで過酷な合宿 最後の決戦に挑むもうひとつの理由とは?
1月に前田穂南選手が日本記録を更新したため、鈴木選手が代表入りするには、この2時間18分59秒を上回らなければなりません。厳しいハードルですが、「最後の1枠は生半可な気持ちではとれない」と、20日間で700~800キロも走り込みました。
実は、鈴木選手がパリ行きを目指す理由は、もうひとつありました。毎年、地元の豊橋市で開催されているハーフマラソン大会に、今年から「鈴木亜由子杯」の冠がつくことになったのです。しかも、その大会はパリ行きをかけた名古屋ウィメンズマラソンの2週間後の3月24日(日)。
鈴木亜由子選手:
「ウィメンズマラソンでいい走りをして、鈴木亜由子杯で報告したいというのが一番のモチベーション。地元のみなさんが応援してくれる。それをパワーにして、自分の力以上のものを出したい。死力を尽くすだけ」
みんなの応援を力に変えて、パリオリンピックの切符をつかみ取ることができるでしょうか。最後の決戦となる「名古屋ウィメンズマラソン2024」は3月10日(日)に開催されます。