サッカーを始めたきっかけは原爆だった… 戦争を乗り越えてつないだ思いを後輩へ ~広島・修道高校サッカー部~
2024年の広島県大会の決勝の舞台は、プロの試合も行われるスタジアム『エディオンピースウイング広島』です。多くの人の思いがつながってできた夢の器で迎える初の決勝。高校生のつながる思いを深堀りします。第1回目は、創部98年の歴史を誇る修道高校。戦争を乗り越えて歴史をつないできた先輩の思いに迫ります。
大正15年創部の修道高校サッカー部は、全国優勝経験もある広島県内屈指の伝統校です。今年、23年ぶりに決勝トーナメント進出を果たしました。
■修道高校2年 近藤結人主将
「高校1年生と2年生しかいないんですけど、中学生からずっと一緒にやっているので、チームワークは他のチームよりいいかなと思っているので、そこを強みに頑張っています。素晴らしい先輩方の思いを背負って頑張りたいなって思っています。」
懸命にボールを追う生徒達を真剣なまなざしで見つめるのは、卒業生の下村幸男さん、92歳です。後輩たちの活躍に目を細めます。
■卒業生 下村幸男さん
「戦後の人生の始まりも、ある意味サッカーみたいなもので。修道のこのグラウンドで、サッカーに出会ったことがすべてですね。」
母校の修道中学校は、戦前から県立広島一中(現・国泰寺高校)、広島高等師範附属中(現・広島大学附属高校)と共に、全国にサッカーの名門として、その名をとどろかせていました。
下村さんは、自動車メーカーのマツダの前身・東洋工業で、ゴールキーパーとして活躍しました。日本代表にも選ばれたほか、代表チームの監督を務めました。下村さんとサッカーの出会いのきっかけは「原爆」でした。79年前の8月6日。学徒動員に駆り出され、爆心地から1キロの地点で閃光を見ました。木陰にいたため、大きなけがはありませんでしたが、一緒にいた同級生の大半が、亡くなりました。13歳でした。
■卒業生 下村幸男さん
「同級生に申し訳ないよね。自分で考えて生き残ったわけじゃない。たまたま、いろんな機会が巡りあって、助かっているんですけどね。」
「将来は軍人に」という目標を失いました。戻った学校で無気力な日々を過ごしていた少年が目にしたのは「サッカー」です。戦争に奪われた青春を取り戻したいと、練習に打ち込みました。戦後間もない頃、仲間とともにボールを追いかけたのが、修道のグラウンドです。
■卒業生 下村幸男さん
「(現在のグラウンドを見て)いいねえ。こんなにね。部員の数がずいぶん増えているね。我々の時は20人足らずだったと思いますがね。元気ですよ。」
大先輩から、後輩たちにエールです。
■卒業生 下村幸男さん
「持っている力を十分に発揮して、がんばってほしい。頑張ってください。」
そして、2024年の広島県大会の決勝が行われる『エディオンピースウイング広島』へ。
■卒業生 下村幸男さん
「素晴らしいですよね。言葉がないですね。大したもんだ。平和の建物という感じがしてきますね。すごいなぁ。」
新スタジアムを訪れるのは初めてで、そのピッチに初めて足を踏み入れます。
■卒業生 下村幸男さん
「すごいなあ。考えられないなあ。こんなところで、高校のサッカーもするとは。選手はやりがいがあるでしょうね。(驚いたところは)全部ですね。かつてのプレーヤーとしたら、やはり芝のグラウンド、この緑の良さですね。我々の現役の頃の土のグラウンドでやったことを思いますとね、じゅうたんの上でやっている感じですよね。だから、いまの子どもはうらやましいです。」
自身も戦った広島県大会。優勝した決勝の雰囲気は、卒業から70年以上経った今も忘れられません。
■卒業生 下村幸男さん
「決勝になるとね、両校の生徒がほとんど全員集まって、両サイドに分かれて大変な応援なんですね。ある意味では独特の大会。それは、おそらく広島だけじゃなかったかと思います。広大附属、広島一中、修道の3校が競ったから、そういう風になったのではないかと。全部サッカーの思い出。それをたくさんもらって卒業した。これは何にも代えがたい時代だったと思います。」
1発の原子爆弾で友が奪われ、夢を失った少年が、高校でサッカーに出会い人生を変えました。下村さんは今、自らが友と築いたサッカー王国・広島の新たな歴史を夢見ます。
■卒業生 下村幸男さん
「高校生も決勝の日になったら、どんな気持ちになるか。おそらく、味わったことのない感情を持って、ゲームをするのではないでしょうか。思った以上のいいゲームになると思いますね。」
新たな広島の聖地『エディオンピースウイング広島』で行われる決勝のチケット情報です。決勝は11月10日、日曜日、当日現地で販売されます。座席は自由席で、般観覧の方はバックスタンドでの観戦にご協力をお願いいたします。詳しくは、広島テレビでご確認ください。