原爆投下80年に向けた新たな活動に迫る 被爆ピアノを慰霊碑前で演奏 【長島カイセツ】
広島テレビの長島清隆解説委員が、注目のニュースを分かりやすく分析・説明する「長島カイセツ」です。原爆投下から間もなく79年を迎えます。被爆者の平均年齢は85歳を超え、被爆体験の継承は、益々難しくなっています。そんな歳月の経過に抗うかのように、被爆ピアノの修復と演奏会の開催に取り組む、調律師の新たな活動に向き合いました。
広島市東区の広島東照宮に、軽トラックで境内に現れた調律師の矢川光則さんは、爆心地から1.8キロ、現在の中区千田町で閃光を浴びた被爆ピアノを運び込みました。この日は、ある目的のために、ここを訪れました。
■矢川光則さん
「来年の8月5日までに、回れるところ(慰霊碑)はすべて被爆ピアノで、無念にも亡くなった被爆者に哀悼を捧げる、鎮魂の被爆ピアノで捧げることができればと思っている。」
被爆2世の矢川さんは、これまで数多くの被爆ピアノを譲り受けるなどして、修復してきました。そして、平和を願う全国各地の演奏会に貸し出し、その調べを披露するなどしています。
2025年の被爆80年を控え、2024年1月から、各地の「原爆慰霊碑」の前にピアノを運び、ゆかりの人に演奏してもらっています。山道を登った先や地元の人も知らない場所に作られた慰霊碑もあり、苦労は覚悟の上です。
広島東照宮は、爆心地から2、2キロの所にあります。当時、湧き水が出ていたことから、多くの被爆者が避難して来たと言います。
■広島東照宮 久保田桂子禰宜
「先代の宮司(父)が、まだ中学1年生だったのですが、水を求めてたくさんの人がこの原爆慰霊碑の回り、石段の下に横たわっているのを見ながら帰ってきたそうなんですが、水を下さいと女学生に言われて、水を飲ませると亡くなってしまうからあげてはいけないと聞いていたためにあげなかったら、残念そうな顔をして息を引き取った。」
境内にある慰霊碑は、被爆から21年後に先々代の宮司が建立しました。この日は、神社を手伝う音楽大学の学生や地元の音楽家が演奏を始め、集まった人たちがその調べに耳を傾けます。
■演奏を聞いた人は…
「知った曲があったので楽しかったです。私は戦前生まれですから、みんな原爆のことを知って欲しいですよね。」
「ここで水を求めて皆さんが集まってきたと聞いているので、そういうのを想像して思って聞くと、胸に染みました。」
慰霊碑というと、平和公園の慰霊碑を思い浮かべる人も多いと思いますが、平和公園以外にも、多くの場所に建てられています。広島市によると、広島市内だけでも平和公園の原爆慰霊碑以外にも少なくとも206基あります。慰霊碑は、地域から中心部に行って原爆の被害に遭った人や、中心部で原爆に遭い、治療のために地域に運ばれたが亡くなった人たちを慰めるために建てられました。このような歴史を知らなかった人も、被爆ピアノの演奏をきっかけに、自分の地域も原爆とは無関係ではないこと、原爆は自分ごとして考えなければいけないということを再認識できます。
矢川さんは「79年前に広島で大変なことが起きた。戦争をするとどうなるか考えて貰うきっかけにしたい」と話しています。矢川さんは、被爆80年となる2025年の8月5日までに、慰霊碑が建つ206基すべての前で、被爆ピアノを演奏したいとしています。