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8割が耕作放棄地…かつて米どころとして名を馳せた「千町の棚田」守るために必要なことは

2024年9月5日 17:00
8割が耕作放棄地…かつて米どころとして名を馳せた「千町の棚田」守るために必要なことは

シリーズでお伝えしている「千町の棚田」物語。かつて東予の千枚田と称された愛媛県西条市の棚田で保全活動に奮闘する人たちがいます。稲の成長とともに、活動の輪も広がってきています。

棚田を守るために奮闘する高校生たち

今年6月。田植えの季節を迎えた西条市、千町の棚田。

10年前から保全活動を続けている、西条農業高校の通称「棚田チーム」。かつてこの場所で多く作られていた“農林22号”、コシヒカリの親にあたる品種の苗を植えていました。

標高150mから500mにかけて広がる、千町の棚田。かつては県内有数の米どころとしてその名を馳せていましたが、過疎と高齢化で荒廃が進み、2500枚ほどあった棚田のおよそ8割が、耕作放棄されています。

稲の栽培と合わせ、“棚田を知ってもらう”取り組みを続けてきた西条農業高校、「棚田チーム」。少しずつ、その成果が表れ始めています。

棚田に新たなシンボルを

エジプトやタイなどで活躍するベトナムの彫刻家、チャン・バン・アンさん。「棚田に新たなシンボルを作ろう」と今年4月に千町を訪れ、創作活動を行いました。

チャンさん:
「(千町は)山の絶景があり、穏やかな雰囲気を感じる。緑がすごくきれいだと思う」

地元の岩を使って制作した彫刻…石鎚の山々と西条のうちぬきをイメージした作品が出来上がりました。

空き家をリノベーション 海外からも訪れる宿泊客

地区に暮らす人たちも、人を呼び込むための工夫に取り組んでいます。

山内さん:
「もう100年以上になってるからね。見てくれは大したことないけど、中はきれいにリフォームしてあるんで」

生まれも育ちも千町地区の山内隆彦さん、68歳。今年、空き家をリノベーションして宿泊もできる体験ハウスをオープンさせました。棚田の景色を楽しんでもらおうとヒノキ風呂も完備しています。

山内さん:
「おーい、おはようデニス」
オータムさん:
「おはよう」

山内さん:
「よく眠れた?」
デニスさん:
「うん、とてもよく眠れた」

この日のお客さんは、ニュージーランドから来たという2人。去年初めて日本を訪れ、改めて日本の文化にふれたいと再来日しました。

Q.なぜ千町に来た?
デニスさん:
「静かで山があって何もなくて昔の写真を見たり記事をみたりしてここに来たんだ。すごく歴史を感じる」

オータムさん:
「理想的な場所。とても静かですごく心落ち着ける場所で」

デニスさん:
「日本でもこんな田舎を知っている人は少ないかもしれないけど「田畑を耕したり大自然の中で昔ながらの生活を営むことができる場所。千町には日本の原風景というべき風景が広がっています。

山内さん:
「やっぱり棚田はねすごい歴史があるからね。これ(石垣)は人の手で積んだんだぞっていう。ここへ来て泊まってくれてそんなことを感じてくれればそれでいいんじゃないですか」

7月。千町地区の寺で、夏の伝統行事が行われました。

山内さん:
「これを座ってぐるぐる回すだけですよ。これ昔はもっと大きくなかった?」

女性:
「一緒じゃない?子供の時は大きく見えたけど」

3メートルもある大きな数珠をくりながら念仏を唱える「虫祈祷」です。

30年前まで千町で暮らしていた高橋フクエさん(85):
「小さいときから毎年やってるから。ここへ遊びに来て一緒に数珠を回したりしました。昔はねここにお店をたくさん並んでね…楽しかったですよ」

70年前に600を数えた人口は、現在15人ほどに。古くから続いてきた伝統行事。

千町の住民 伊藤賀穂利さん:
「地元の人間はほとんどおらんし、下から来てる人が手伝ってくれるから(虫祈祷が)何とかできよる。やめよういう人もおらんし、でもこれから先はやめるようになると思いますわ」

「イネ」と「ヒエ」見分けられる?高校生たちが悪戦苦闘

田植えから約80日。夏休みも終盤となったこの日、棚田では…

棚田チーム 成高久豊先生:
「こういうようなヒエをとっていかんといかんのよ。米とは違うやろ?ヒエね」

西条農業高校「チーム棚田」のメンバーたちが、米の天敵「ヒエ」の駆除作業を行っていました。

棚田チーム 伊藤政喜さん:
「全然わからんっす。見分けつかんし。あったー?わからんよね」

棚田チーム 得居大次朗さん:
「うわぁ!蜘蛛の巣あった」

一見、イネとよく似ているヒエ。初心者ぞろいの棚田チームには判別が難しいようで…みんなで悪戦苦闘です。それでも…

伊藤さん:
「あっあった。これですね。ヒエです。結構大量に一か所に生えてますね」

棚田チーム 芝快心さん:
「稲の方が粒が大きいんですよ。ヒエの方が小さくて背が低いんですよ」

さすが高校生!あっという間に見分けるポイントををつかんだようです。

成高先生:
「ヒエで負けるから稲が。だから本当は若いうちにやってたら一番楽なんやけどね。もう草刈りが忙しくて手が回らないというのが現状。いっぱいありすぎて」

学校が休みの日に限られる、棚田チームの活動。棚田の管理に十分手が回らないのが、成高先生の悩みです。

水の管理も、米作りに欠かせない大切な作業の一つ。この日、急な坂道の先にある水源の沢の様子を確認です。

成高先生:
「昔の人は田んぼが全面にあったから、上から順番に水がおりてきてた。耕作放棄地になって水が入らなくなってきた。水源がどこにあるかわからなくなっている所もある」

保全活動を始めて10年…成高先生の思いは

棚田の保全活動を始めて今年で10年…

棚田チーム卒業生 三好さん:
「でも定年60過ぎでしょ?成高先生今年いくつっすか?」

成高先生:
「今年?25!こんなん軽いもんよ~」

棚田チームの卒業生やかつての教え子も加わって、少しずつ広がってきた保全活動の輪。

成高先生:
「ちょっとずつ育ってきよるから少しずつ」

Q.先生にとってうれしい?
成高先生:
「うん譲れるから。なんぼ僕らがやれてもあと5年ぐらいやから」

Q.これだけの広さを守っていくとなったら何が大事か?
成高先生:
「やっぱり人とのつながりかな一番はね。あと関心をもってくれる方とかね。関心をもってくれたら少しずつ広がるから」

過去から現在、そして未来へ。米作りを通して人と人とを結びつけてきた石積みの棚田。千町の棚田に、間もなく実りの秋が訪れます。