いよいよ新駅舎が開業!「JR松山駅」昔はどんな列車が走っていた?懐かし映像で振り返る歴史
71年ぶりに生まれ変わる松山のランドマーク。その歴史を、南海放送に残るライブラリー映像から振り返ります。まずは89年前の松山に、時代を巻き戻しましょう。
1935年、昭和10年頃の松山を紹介する映像です。まだ着物姿の人が多かったこの時代…奥に見える三角屋根の建物が、1927年・昭和2年に開業した、初代の旧国鉄・松山駅舎です。
太平洋戦争末期の空襲で焼失後、1953年・昭和28年に四国で初めて開催された国体にあわせて、今の駅舎のベースとなる鉄筋2階建ての駅舎へと姿を変えました。長距離移動の主役といえば、鉄道だった時代です。
1960年・昭和35年頃頃まで蒸気機関車が走っていた愛媛の線路。その後、ディーゼル機関車の導入で一気にスピードアップを果たします。
クリーム色のボディに赤いラインが入った車両は…1972年に登場した、四国で初めての特急「しおかぜ」です。
松山駅ではしおかぜ登場記念の入場券を発売。窓口には、なんと500人の大行列が!用意された3300セットは2時間あまりで完売となる人気ぶりでした。
ピークの昭和40年代には、年間50万人近くが利用していた松山駅。なかなかなくならないのが「落とし物」です。南海放送でも、たびたび取材していました。
1985年・昭和60年の取材で目立ったのは、定番の傘や帽子。中にはセーター、そして弁当箱も!
これが平成になると…高校の襟章に筆箱、サッカーのスパイクと、学生の利用が多い路線ならではの落し物が。
JR松山駅によると、最近は財布や携帯電話の入ったバッグ、弁当や水筒、お土産が多いということです。
1970年代から80年代にかけ航空路線やマイカーの利用拡大で、鉄道の乗客は減少傾向に転じます。
そして1987年4月1日、松山駅は大きな転機を迎えます。国鉄の分割民営化による、JR四国としての再スタートです。
そして2000年、現在のレトロな三角屋根が駅舎となった松山駅。ここからは、その歴史を彩った数々の限定列車を振り返りましょう!
1971年・昭和46年にディーゼル車両に引かれやってきたのは、カラフルなSLその名も「ポンパ号」。
客車の中は…まるでアミューズメントパーク!当時の最新テレビをPRする「ショールーム列車」として、全国を巡りました。
1984年・昭和59年には…
当時のニュース映像:
「列車内では早速ビールや水割りが振舞われ、熱のこもったカラオケ歌合戦がはじまりました」
カラオケ列車が登場!ラジオ番組の特別企画として一日限定で運行しました。みなさん、ノリノリですね♪
さらにJRが発足した1987年・昭和62年。
西山かおりアナウンサー:
「さあそれでは、アイランドエクスプレス四国。私も行ってきます!」
通常の客車よりゆったり座れる3列シートに…吹き抜けの展望デッキ!マージャン台も設置された、豪華仕様です!
乗客:
「すごくゆったりしていて乗りやすくてびっくり。こんなんだったらもっと遠くに行きたいなと」
乗客:
「本当にもう冥土のみやげになる」
ほかにも、口が動くマリンアイランド号に…高級感あふれる寝台特急。トワイライトエクスプレス。
そして、2014年・平成26年。JR四国が社運をかけて送り出した初めての観光列車「伊予灘ものがたり」の運行が始まりました。
レトロモダンな車内に…こだわりの料理。そして車窓を流れる、伊予灘の美しい風景。沿線住民の心を込めたおもてなしも名物となりました。
乗客女性:
「あんなみなさんで歓迎していただけるなんて。とても嬉しい。初めての四国、初めての伊予灘ものがたりで 大感激」
たくさんの人、たくさんの想いが交錯するJR松山駅。新たな賑わい創出の拠点として期待されるのが、「だんだん通り」です。
駅舎の北側エリアに地元松山のコーヒー専門店や土産物店、フードコートの「えひめしや」といった11店舗。
南側エリアには、愛媛初上陸、スシローが展開する寿司居酒屋「杉玉」に、松山市中心部に店舗を持つ中華の「55チャイナ」など、合わせて14店舗が並びます。
”伯方の塩”としては初めてとなる、商業施設のアンテナショップ。
with salt 伯方の塩 木村洸希店長:
「県内の様々なショップとかにも声をかけて、塩を使った焼き菓子であったり。今までにやったことのないジャンルで、伯方塩業という会社が次の新たな一歩を迎えるというのをすごく楽しみにしている」
JR四国ステーション開発 安藤俊明松山支店長:
「これだけ地元のテナントが集まる(駅の)施設って、他県を見ても他にないと思う。ここから新しい松山の新定番と言うのを生み出せるような、そんな施設を目指していきたい」