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ガレッジセール・ゴリ “復帰っ子” から見た沖縄本土復帰50年「沖縄に恩返しをし続けたい」

2022年5月14日 22:35
ガレッジセール・ゴリ “復帰っ子” から見た沖縄本土復帰50年「沖縄に恩返しをし続けたい」
故郷・沖縄への思いを語るガレッジセール・ゴリさん
沖縄がアメリカ統治下から日本本土に復帰して50年の節目の年となる今年、お笑いコンビ・ガレッジセールゴリさん(49)が、本名・照屋年之の名義で初の児童小説『海ヤカラ』を発表しました。今作で作家デビューとなったゴリさんにインタビューを行い、故郷・沖縄への恩返しの気持ちや、繰り返される戦争への思いについて聞きました。

ゴリさんは、沖縄が日本本土に復帰した1972年5月15日の1週間後となる1972年の5月22日に那覇市で生まれました。ゴリさんたち、復帰の年に生まれた子供は、沖縄では“復帰っ子”と呼ばれています。


――沖縄では“復帰っ子”と自然に呼ばれているんですか?

僕自身が沖縄が日本に復帰した日の1週間後に生まれて。復帰した年に生まれた子供は全員、沖縄では“復帰っ子”って呼ばれているんですね今も。だから「あんたいくつね~?」って言われると「今年50です」って言うと、「あ~あんた復帰っ子だね~」とかって、みんなが言うくらい当たり前の沖縄では言葉になっているんです。


――“復帰っ子”という言葉はゴリさんにとっても特別ですか?

特別感はなんか感じていますよね。ニュースにもなりますし。復帰っ子が成人式を迎えたら「復帰っ子が成人を迎えた」って絶対になりますし。入学式も卒業式も「復帰っ子が卒業」とかってけっこうありましたよ、昔は。だって僕らの世代だけですから復帰っ子って言われていくのは今後も。貴重な子供ですよね、その1年に生まれた子って。70歳になっても70歳で復帰っ子って言われますから、おじいちゃんなのに。常に沖縄が日本に復帰して共に生きてきたんだなって思いますね。

■復帰っ子から見た戦争「戦争って全員被害者」

そんな、沖縄で生まれ育ってきたゴリさんは、児童小説『海ヤカラ』(発売中)で作家デビューを果たしました。1970年の沖縄県の糸満市を舞台に、10歳の小学5年生の国吉ヤカラが、立派なウミンチュ(漁師)のオトウ(父親)との絆や、アメリカ人の父と日本人の母のもとに生まれた転校生との出会いなど、主人公・ヤカラの日常を通して沖縄県が本土に復帰する当時の様子が描かれています。この作品を通して、ゴリさんは沖縄の歴史や繰り返される戦争への思いを伝えたいといいます。


――沖縄の現状についてどう感じていますか?

太平洋戦争が終わって沖縄戦が終わって、戦争が終わりかっていうと、その後の統治時代もあったり、日本に復帰しても基地問題とかあって。結局沖縄って、いまだに戦争が終わってないじゃないですか。終戦の日がくるたびに、6月23日の慰霊の日が来るたびに、生き残りの方のインタビューを聞くと、「自分の家族が真横でさっきまで笑っていたのに、急に爆弾が落ちてボンって。失った悲しみを、生き残った人は延々背負って苦しんで生きていくわけですよ。かといって、加害者の文章もつらいんですよね。自分が銃剣で刺した時の感触がいまだに忘れられないって言って。だから全員被害者なんですよね、戦争って。過去の争いで散々わかって来ているのに、ウクライナのようなことがまた起きてしまうわけじゃないですか。学んできたはずなのに。でも世界中で起きていますからね争いって。だから、どうやったら学ぶのかなって思いますよね、人って…。

■エンターテインメントで故郷・沖縄へ恩返し

――今後、故郷・沖縄のためにどんなことをしていきたいですか?

僕自身っていう人間性を作ってくれたのは、沖縄以外のなにものでもないので。やはりこの芸能界でもこういうふうにやって来られたのは、沖縄出身だからってとても強いんですよね。沖縄だからもらえた仕事とかもいっぱいありますので。そういう部分では、何か沖縄に恩返しをし続けていきたいなっていう。そのためには、エンタメっていうものしか僕は道具を持っていないので、その中で笑いであったり、本であったり映画であったりを作り続けていくことですかね。

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