『ぐりとぐら』60周年 作者・中川李枝子さん 87歳 物語のもとは保育士時代のエピソード
■誕生から60年 作者・中川李枝子さん「感無量です」
『ぐりとぐら』は、1963年にお母さん・お父さん向けの雑誌『母の友』で読み切りのおはなしとして登場しました。その時のタイトルは『たまご』です。そして、同年12月に月刊絵本『こどものとも』(93号)で絵本『ぐりとぐら』が登場し、たちまち子どもたちの人気者になりました。
これまで刊行されたシリーズは『ぐりとぐら』、『ぐりとぐらのおきゃくさま』、『ぐりとぐらのかいすいよく』など、その数、20作品超え。また、発行部数2170万部超え(2023年7月14日現在)を記録しています。(出版社発表)
――今年『ぐりとぐら』が誕生から60周年を迎えますが、どんな気持ちですか?
感無量です。はじめに書いたときには、こんなにたくさんの方に読んでいただけるなんて思ってもいませんでしたから。本当に読者のおかげです。
――『ぐりとぐら』シリーズの制作で、60年で特に思い出に残っている出来事はありますか?
いろいろありますが、保育士の17年間、毎日「今日は何して遊ぼうか」と考えた日々を思い出します。その時代のことが全部お話の元になっていますから。出てくる人はモデルがいることもあります。たとえば、『ぐりとぐらのえんそく』のくまさんは、いつも家の脇をジョギングしていた人、「ぐりとぐら」が大好きだったけれど病気でなくなってしまった4歳の女の子です。すみれちゃんっていうんですよ。お母さんを励ましたくて書きました。
■“ぐり”と“ぐら”の名前の由来はフランスの絵本
――“ぐり”と“ぐら”の名前の由来を教えていただけますか?
ある日、保育園で、白猫と黒猫が登場するフランスの絵本『プッフ・エ・ノワロ』を子どもたちと楽しんだときに、キャンプ場で野ネズミの一団が大騒ぎするシーンがあって、そこに「ぐりっぐるっぐら、ぐりっぐるっぐら」というリフレインが出てくるんですよ。そこにくると、子どもたちは、待ってましたとばかりに、一緒になって、楽しそうにさけぶんですよ。だからね、そこからもらったのです。
■食べ物を“カステラ”にした理由
シリーズの中で最初に発表されたストーリーは、ぐりとぐらが大きなカステラを焼くお話です。中川さんは、食べるものを“カステラ”にした理由について、ホットケーキが出てくる絵本からの影響を受け、思いついたといいます。
――大きなカステラを焼くお話がありますが、このストーリーは、どのように思いついたのでしょうか? また、食べ物をカステラにした理由を教えていただきたいです。
保育士時代に、いつも目の前に子どもがいて、私は「今日は何して遊ぼうか」って、楽しいことを追い求めていました。子どもが喜ぶことって、食べること。絵本も大好きで、いつも子どもたちと一緒に世界中の絵本を楽しんでいたのだけれど、こっちはもっとおいしいものをごちそうしようと思って、たまごが入った上等なカステラにしたというわけ。
■大切にし続けた思い「子どもが喜ぶということ」
――読者からもらった印象に残っている言葉はありますか?
ありがたいことに、読者は小さい子から大人までいて。当たり前ですが、昔はみんな小さい子どもだったでしょ、『ぐりとぐら』を読んでもらって楽しかったことが忘れられず、大人になっても「大好き」と言ってくれる人が多いです。幸せですね。子どもたちは、ぐりとぐらの絵を描いてくれるの。みんなぐりとぐらを友だちだと思っているんですね。おたよりで覚えているのは、高熱で寝込んでしまったお母さんの枕元で、五つの坊やが『ぐりとぐら』を開き、「ごはん作ってくれなくても、ぼくカステラたべてるからへいき」とお母さんにいったというおたより。子どもって、本当にかわいいです。
――『ぐりとぐら』シリーズを制作される中で、中川さんが一貫して大切にし続けていたことや思いはありますか?
やっぱり子どもが喜ぶということ。子どもは遊んで遊んで大きくなる。楽しい遊びを絵本にとり入れることですかね。子どもは正直だから、おもしろくないと、すぐにそっぽをむいてしまいますからね。崖っぷちですよ。
――『ぐりとぐら』シリーズを読んでくれた人に、どのようなことを感じてほしいですか?
ご自由に。とにかく楽しんでください、のひとことです。
■妹・山脇百合子さんへの思い「安心して絵を任せていました」
――百合子さんに今だからこそ、伝えたい思いなどはありますか?
いつも電話でいろいろな話をしていたので、今はそれができなくて寂しいです。絵本では安心して絵を任せていましたね。小さいころは、誰からもかわいがられていた子でした。思い出はたくさんあります。