宗教2世 当事者のマンガ家が描く“特有の生きづらさ”「普通に仲良くお友達になって」
アルコール依存症の父と、宗教を熱心に信仰する母のもとで育った菊池さん。14歳の時に母を亡くし信仰から離れましたが、その後も“宗教2世”であることが自分の考えや価値観に影響していると感じたことなどをきっかけにこの作品を描くことを決めたといいます。
『「神様」のいる家で育ちました ~宗教2世な私たち~』は“宗教2世”が抱える苦悩について問題提起することを目的に制作されたノンフィクションコミックで、菊池さん自身や、菊池さんが取材した当事者たちの実体験をもとに、7人の宗教2世たちのエピソードが描かれています。
――発売された今の気持ちは?
今はどういうふうに読まれるのかなとドキドキしています。
――現時点で菊池さんのもとに届いている反響やうれしかった言葉はありますか?
「私の友達の○○さんに読ませたい」って言ってくれる人がいるのがうれしいですね。リアルな誰かを思い浮かべてくれて、「あの子が苦しんでいるから、本をプレゼントします」とか、そういった声はすごくうれしいです。
――このマンガを描く上で特に意識したことは?
それぞれの“宗教2世”の人生の話なので、教義や教団の批判が目的ではないということがまずありました。“宗教2世”の彼らの人生の、みんなが見過ごしてきたような部分を拾いたいと思っていました。誰にも言えなかった部分や、言っても理解されなかった部分など、すごく伝わりにくいものを何とか上手に伝えられないかなと思って描いていました。
■宗教2世特有の“生きづらさ” 「疎外されている感覚がある」
――この作品では、登場する宗教2世が大人になるにつれ、“どこか生きづらい” “宗教2世ということを打ち明けたいけど打ち明けられない”と葛藤する姿が描かれます。宗教2世が共通して抱いている苦悩とはどんなものなのでしょうか?
それぞれの宗教による個別の体験がもちろんありますが、共通しているものもたくさんあります。日本の社会で常識とされているものと自分たちの常識があまりにも違うので、その常識が違うことにおかしいと分かっても一般の常識の中に入っていくことも難しい。つまり、一般社会の中で生きていくのが生きにくい、ということかと思います。
例えば、世の中の人は悪だと教えられていた子どもたちは、大人になってから「世の中を悪」だと言っているそっちがおかしいなと思って脱会したとしても、どうしても世の中は悪に見えてしまう面もあるし、悪に見えないけど、どうしてもそこに自分は入っていけない。疎外されている感覚があるんじゃないかなと思います。
――当事者の方が、宗教2世であることを周囲に打ち明けにくい背景には何があると思いますか?
友達と話していた時に、誰かが私の母が信仰していた宗教の話を始めた時に「ここに信者の人いないよね? いないよね?」と言われた時にショックでした。その人たちは悪気があって言っているんじゃないのは分かるんだけれども、やっぱり共有の感覚として多くの人が“怪しいもの”っていう感覚を持っているのかなと思うとショックですよね。
――自身は宗教と関わりがない人が、宗教2世問題に対してできることは?
宗教2世は自分たちで宗教を選んでいなくて、生まれた時から宗教がある生活の中にいたんです。だから彼らが大人になって“生きづらい”と言ったときに、彼らに対して「それは自己責任だ」とか「大人なのだから自分で何とかしなさい」とか「いつまでも親にとらわれているんじゃない。宗教にとらわれているんじゃない」というような言い方は違うと思うんです。「もし自分がその立場だったら彼らと同じような感じになるんじゃないか」と想像して、彼ら自身が悪いわけじゃないっていうような見方で接してほしいです。
そして、2世だけじゃなくて、1世や現役の信者さんたちに関してもやっぱり偏見の目で見てはいけないと思います。1世を相いれない人だと言ってしまったら、彼らは余計に社会や世間の人が怖くなってしまうだろうし、偏見の目をなくしてほしいなと思います。
――宗教2世に対する偏見をなくすために、何を心がけて行動をするのがよいと思いますか?
「自分は宗教2世だ」「家族が宗教を信仰している」と言った時に普通に受け入れてくれることですね。「えーっ! どうだったの?」とか根掘り葉掘り聞かれるのではなくて、「あ、そうだったんだ」のように普通に接してほしいです。当事者は、自分がしゃべりたくなったらしゃべるので。
最初にちょっと言った時の相手の反応で、「この人にはもう言いたくない」と「この人に言っても大丈夫」が分かれると思うんですよね。なので、当事者が「言っても大丈夫」と思える人ばかりになってほしいです。
――作品制作の取材の中で、印象的なエピソードは?
第2話に出てくる主人公のお友達がすごくいい人で。子どもの頃、主人公の信仰からの行動に対して「まあしょうがない。お前がやりたいならいいよ」と受け入れてくれていた友達がいた方の話です。主人公が成長して脱会した後、その友達が笑い話として「あれな! 内心めっちゃ引いてたからね」って言うシーンがあるんです。普通の会話ができるお友達、相手がどんな行動をしていようが、まだ宗教を信仰していようが、“俺とお前は友達で、人としては好きだから”というスタンスでいてくれたあのお友達が本当に宝物だなと思ってお話を聞いたので、すごく心に残っています。
■このマンガを置いてほしいのは“学校の保健室”
――この作品を学校の保健室においてほしいと話していましたが、どういう理由ですか?
最初にそういう発想に至ったのは、自分のお母さんが“毒親”だったという話を描いた田房永子さんの『母がしんどい』っていう本が、学校の保健室に置いてあったというのを聞いたことです。学校に行っても不登校の子とか、教室に居づらくて保健室にくる子がいると思うんですけど、そういう子は親との葛藤を抱えているケースもあって、保健室でその本を読んで救われたって子がたくさんいたと聞いたんです。お小遣いもそんなにない子もいるし、本を買ったところで家に置いていたら親ともめ事になってしまうから家に置いておけないという子もいると思ったので、保健室や図書館に置いてあったらいいなと思いました。
――このマンガを通して読者の方に伝えたいことは?
本当に誰にも言えなくて悩んでいる人がたくさんいると思うんです。そういう人に「1人じゃなくて、他にもいるよ」っていうことを知ってほしいっていうのが第一ですね。あとは、宗教と無縁だった人々で「宗教2世という人たちがいるんだ」「大変な思いをしているんだ」と知ってくれた人たちにも届いてほしいなと思います。怪しい人ではなくて、もしその人たちが苦しんでいるのなら、何かしらの支援をしなくてはいけない人たちだっていうことを知っていただいて、その上で“普通に”仲良くお友達になってほしいと思います。