東芝メモリ成毛社長“反撃へのシナリオ”2
東芝メモリ代表取締役社長・成毛康雄氏に聞く「飛躍のアルゴリズム」。1つ目のキーワードは、「東芝メモリー事業、虎の子の売却は苦渋の決断?」。メモリー事業売却時は、東芝の副社長だった成毛氏。当時の心中はいかほどだったのか。
■「東芝に残りたい気持ちあった」
――2017年1月、東芝が“稼ぎ頭”のメモリー事業を売却することを決めた時に、成毛さんは東芝の副社長でした。成毛さんとしても、(虎の子のメモリー事業は)東芝にとどめたいけれど、債務超過・上場廃止を避けるために、東芝本体に資金を入れるための苦渋の決断だったということなんでしょうか。
はい、私も従業員も東芝という名前に非常に慣れていましたし、できることなら東芝の中でやりたいという気持ちはありました。やはり多額の負債がある中では、やむを得ないということで、売却のほうに一丸となって進んだということです。
メモリーのビジネスという観点から言えば、ものすごく大きな投資をタイムリーに決めていかなければいけない。大きな東芝という中でやるよりも単独になって、自分たちでマーケットから資金を集めて、投資を決めていくということのほうが本来の事業スタイルかなという思いもありました。
まあ、東芝の本体に2兆円のお金を残すということは、かなりの負債を私たちが背負うことになるんですが、IPOをちゃんとやれば、その先は自己責任でお金を集められるということで、それに向かって、非常に苦しい時期ではありましたが、みんなで頑張ったということです。
――東芝のほうでは、「稼ぎ頭のメモリー事業を出してどうするんだ」みたいな声が、株主からもあったので、そのへんはどうやって調整されたんですか。
ひとつはメモリー以外の半導体のグループが東芝本体に残ったということですが、そのグループの車や自動運転とか、そういうキーとなるデバイスを開発しておりましたので、それはそれでやっていけるだろうと。そういうことで、私はこれからいろいろ起こるであろうということで、メモリーに専念しているという状況です。
――そういう意味では社内は一枚岩となってというところだったのでしょうか。
過去にDRAMで苦労した経験とかあるので、そういう苦労を一緒にした世代は、非常に意識も共通になっていましたので――報道でいろんな情報が出るたびに社員のみなさんは不安だったと思うんですが、何とか信じていただいて、やってきたという状況です。
■“NANDを日本に残す”は絶対条件
――売却に関しては、どれくらい売るかや売却先、売却国に関してもいろいろあって、報道の中では「迷走」などという言葉も使われましたが、成毛さんの中ではぶれていなかったんですか。
何割売るかという選択肢は、いろいろ判断が迷うところではありますが、全面的に売るということが決まりました。その時は私たちのビジネスは、やはりNANDフラッシュの発明ということを社員の中で認識できた、それから我々のチームで先端を走る開発が今までできていた、それから工場も国内ということで、一番効率よくやるためには国内に残すということだと考えてすすめてきました。
――東芝メモリの株式構成を見てみます。東芝が40.2%、日本企業のHOYAが9.9%、残りがアメリカのベインキャピタル49.9%で、日本が過半数を押さえたということで、この辺りは成毛さんの望んでいた通りになったと。
はい。売却益をまた東芝から再投資してもらうということと、HOYAさんということで、日本の方たちで半分以上を持ってもらうということは、大きな安心材料になりました。
――今の話の中で、日本の中に残すということが譲れない点だったということですが、一般的には、日本市場は縮小してしまって、海外に市場があり、生産コストの面を考えても海外ということで、人材採用も海外といったグローバリズムが先端的なイメージがある中で、日本にこだわるというのはぶれないというところでしょうか。
ずっと日本にこだわっていました。NANDフラッシュを発明したということで、そのまま日本人が発明したものをちゃんと我々が事業として続けたいという思いもありましたし、日本人のチームで先端のNANDフラッシュをずっと開発し続けてこれたということもあるし、それから製造という意味では相当自動化が進んでいますので、現場の人件費という意味では非常に小さくなっておりますので、そういう意味では日本でやっていけるということで、その方向に苦労した仲間と一緒に進んできたということです。