アゼルバイジャンと日本の意外なつながり
カスピ海沿岸の国、アゼルバイジャン。日本とはあまりなじみがないように思えるが、実は、意外なつながりがあった。原田敦史記者が取材した。
5月上旬、アゼルバイジャンの首都バクーで、67の国と地域が参加するアジア開発銀行の年次総会が開かれた。バクーとはペルシャ語で“風の街”を意味し、その名の通り毎日カスピ海から風が吹き付けている。主な宗教はイスラム教だが、旧ソ連の構成国だったこともあってか、イスラム色は薄め。街を歩く女性の服装も自由で、お酒も広く親しまれている。
バクーは、古くから水陸の交通の要衝として、シルクロードの中継地点として発展。旧市街には12世紀から16世紀頃の街並みが残る。その一方で、街には近代的な高層ビルもあちこちで建てられている。アゼルバイジャンは2002年から6年間、GDP成長率が2桁となるなど急速な経済発展を遂げている。その背景は、オイルマネーだ。今、その勢いを象徴する巨大なプロジェクトが進行している。
約50の人工の島を造成し、橋や鉄道も整備。将来、200万人が居住する新たな巨大な街をつくろうという壮大なプロジェクトだ。事業を手がける開発会社“AVESTA CONCERN”のハジ・イブラヒム会長によると、「世界で最も費用がかかるプロジェクトで、事業費は1000億ドル(約12兆円)です」とのこと。シンボルとなる高層ビルの高さは1050m。ドバイのブルジュ・ハリファよりも220mも高く、世界で最も高い建物になる予定だ。ハジ会長は、すでに油田の開発などで参加する日本に対しても、さらなる投資に期待を寄せる。
「世界中の国々の建設会社に参加してもらっています。日本の参加も期待しています」
そして、アゼルバイジャンでは今後、両国の関係をつなぐであろう人材も育っている。訪れたのは、アゼルバイジャン言語大学。看板を見ると、日本語で“日本センター”と書いてある。授業中の学生に挨拶をすると、日本語で元気よく「こんにちは!」と返ってきた。取材したこの日、授業を受けていたのは約10人の大学1年生だ。
日本語を教えるのは96年から4年間、日本で生活したヤシャール先生。
「アゼルバイジャンで本格的に日本語の教育が始まったのは2000年から。その時から私は日本語を教え始めました」
アゼルバイジャンで日本語を話せる人は、ほとんどが先生の教え子という日本語教育の第一人者だ。なぜ日本語を学ぶのかを学生に尋ねてみると、こんな声を聞くことができた。
「アゼルバイジャンで日本語を話せる人が少ないからです。新幹線と日本車に興味があります」
「日本語はおもしろいですから。東京大学へ行きたいです」
中には、日本の大学に留学した学生もいた。
「今後の二国間関係の更なる発展に自分なりに貢献しようと意欲を持って、日本学科に入学した」
ヤシャール先生の教え子は、双方の国で、すでに大使館職員などとして活躍している。先生はこう語る。
「これからどんどんアゼルバイジャンと日本の関係は良くなっていくと思います」
近年、石油・天然ガスに依存した経済から脱却しようと、産業の近代化や外国資本の積極導入を進めるアゼルバイジャン。今後、日本の企業がさらに参入しようとするとき、こうした人材が両国を結びつけるのかもしれない。