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クビ覚悟で演説…ミャンマー国連大使語る

2021年3月6日 18:36

2月26日、国連総会の会合で、ミャンマーでの軍によるクーデターを終わらせるために「あらゆる手段」を取るよう国際社会に呼びかけ、抗議デモの象徴である「三本指」を掲げたチョー・モー・トゥン国連大使。実は、2002年から2004年まで新潟県の国際大学に留学し、経営学修士を取得した親日家でもある。

国連での演説後、軍は大使の解任を発表したが、その後も「PERM REP(Permanent Representative=常駐代表」と書かれた通行パスを首にかけ、国連内外で支援を求める活動を続ける。

そんな「渦中の人物」に、あの演説後、日本メディアとして初めて、話を聞くことができた。

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■“クビ覚悟”の演説…家族の安全は?

Q.なぜ国連の場で抗議の演説を行うことを決断したのか?

私は、ミャンマー市民と共にある、ということを示したかったのです。道に出て抗議している人々は素晴らしく、とても勇敢です。何も持たずに銃を持った治安部隊に立ち向かっています。また、市民による不服従運動に参加している人々もいます。私もその一員となり、ミャンマーとその市民のために協力しなければいけないと思ったのです。

Q.母国にいる家族の安全などは心配ではなかった?

もちろん心配はありました。こうした行動は、公務員や外交官として難しいことでした。母国には80代の両親もいますが、リスクを取りました。実は、あの演説をしたことを、両親は演説後に知りました。その後、私の姉妹から、両親が「心配しないで。誇りに思っている」と言っていたと聞いて安心しました。

■“2人の大使”が並び立つ異例の事態

演説後、ミャンマー軍は、チョー・モー・トゥン大使の「解任」を発表した。その後、国連では軍と大使との間で熾烈な情報戦が行われた。

NNNは、ミャンマー国連代表部のレターヘッドのついた4通の書簡を入手した。2月28日には、ミャンマー国連代表部が「次席大使が臨時の代理大使となった」とする書簡を全ての代表部に送付。一方、大使は3月1日、「自分は大使のままだ」とする書簡を国連総会議長やアメリカのブリンケン国務長官に宛てて送った。こうして、ミャンマーから”2人の国連大使”が並び立つ異例の事態となった。

Q.あの時、何が起きていた?

軍は私を解任したと発表しましたが、演説でも述べた通り、私は選挙で選ばれた政権を代表しています。だから、私が今もニューヨークの国連大使です。

通常、大使がいなくなると、ナンバー2の次席大使が指名されることになっていることから、次席大使が(軍が掌握する)外務省から臨時の代理大使に指名されました。しかし、その翌日、彼は私に「辞任すると外務省に通知した」と言ってきました。代表部の中では、誰も軍によるクーデターを認めていません。ただ、その度合いは人によって違っていて、私のように抗議する行動を取れる人ばかりではないのは理解しています。

■日本に「ありがとうございます」支援に感謝

Q.今、国際社会に求めるものは?

軍のクーデターが失敗するべく、国際社会のしっかりしたアプローチが必要です。現在、人々は希望を失っています。今は時間が大切です。国際社会が取れる、どのような方法も大切です。無実の人々が殺されるのを防ぐこと、軍によるひどい犯罪を止め、クーデターを止めるための措置が必要だと信じています。

Q.日本に対して求めることは?

日本政府は最初から軍のクーデターと軍政権に反対する強い姿勢を見せていました。とても感謝しています。日本のような国は経済的、政治的、外交的にも大きな影響をもたらします。どのような方法でも他の国に影響を与え、圧力をかけられれば、ありがたいです。

――そして、最後に、日本語で「ありがとうございます」と語り、このように述べた。

とても感謝しています。日本の政府と皆様にミャンマーの人々を引き続きご支援いただけることに感謝しています。あなた方の支援は、私たちにとって本当に大切です。軍のクーデターと残酷な行動をやめさせるため、どのような方法でも日本の皆様ができることを是非お願いします。本当に感謝しています、ありがとうございます。