ベラルーシ代表亡命 なぜポーランドに?
東京五輪に出場した後、帰国命令を拒否し、ポーランドに亡命したベラルーシ陸上代表のクリスチナ・チマノウスカヤ選手。なぜ、彼女は亡命先にポーランドを選んだのか?現地を取材した。
■家族と相談しポーランドへ
代表コーチの不手際をSNSで発信したところ、帰国を命じられ、身の危険を感じ、命令を拒否してポーランドに亡命したチマノウスカヤ選手。今月1日に羽田空港で警察に助けを求め、そのわずか3日後に日本を出国した。
母国ベラルーシに隣接するポーランドに到着した翌日、NNNのインタビューに応じた際には、亡命直前「支援してくれる国について両親と話し合った」「ポーランドが良いと両親が言った」と明かした。
いったいなぜ、彼女の両親は、身の危険を感じたチマノウスカヤ選手に、ポーランドを勧めたのだろうか?
■ベラルーシから亡命した人たちのネットワーク
チマノウスカヤ選手の亡命には、ベラルーシからポーランドに亡命している人たちのネットワークが大きく関わっていた。
ベラルーシは30年前、旧ソビエトの崩壊に伴い独立。ルカシェンコ大統領は、27年にわたって大統領を務め、メディア統制や反政権派を徹底的に弾圧する前近代的な恐怖政治で「ヨーロッパ最後の独裁者」と呼ばれている。
去年8月の大統領選で不正疑惑が持ち上がった際には、市民らによる大規模な抗議活動が起きたが、これに対しても自ら直接指示し、治安部隊が暴力的に市民を弾圧した。今年5月、上空を通過中の旅客機をベラルーシに強制的に着陸させ、乗っていた反政権派のジャーナリストを拘束したのは記憶に新しい。
ルカシェンコ政権が、対立する候補者やその支持者、反政権派の活動家らを次々と逮捕するなど圧力を強める中、多くの人たちが身の安全を求めてベラルーシから亡命している。
亡命先の1つでベラルーシに隣接するポーランド。ポーランド政府は、去年6月から今年7月までの間に、ルカシェンコ政権の迫害から逃れる反政権派の人たちなど、12万人以上に人道的理由でビザを発給。さらに、亡命を支援する団体に資金援助するなど、積極的に支援する姿勢を示していて、今回チマノウスカヤ選手に対しても人道的理由からビザを発給し、亡命を受け入れた。
亡命したベラルーシ人たちも、ポーランド内でさまざまなコミュニティーを作り、そのネットワークは、徐々に強くなっている。情報発信しながら、自分たちより後に亡命する人たちをサポートする準備もできているという。
今回、チマノウスカヤ選手の亡命には、ルカシェンコ政権から圧力を受けるスポーツ選手を支援する団体が関わり、その団体は日本国内のベラルーシ人支援者を通じて選手をサポートしていた。
■ベラルーシからポーランドに亡命した家族
実際にベラルーシ人コミュニティーのネットワークを利用し、家族とともにポーランドに亡命したタラーシュクさん。ベラルーシでは、去年の大統領選をめぐるデモ活動に参加し、治安部隊と激しく衝突。腕と腹には生々しい傷痕が今も残っている。その後、警察から頻繁に電話がかかってくるようになり「デモを全て計画し、法律を破っている」と一方的に言われ、脅されたという。
自ら計画を立てたことはないというが、タラーシュクさんは去年12月、身の危険を感じたため、亡命を決意。ポーランドを選んだ理由については「生まれた町が(当時は)ポーランド領だった。ベラルーシとポーランドは地理的に近く、安全で人も友好的だ」と明かした。
タラーシュクさんの妻も「受け入れてもらって本当に嬉しく、感謝している。普通のポーランド人と同じように生活ができている」と安心した表情で語った。
■元記者が明かすベラルーシのメディア事情
ベラルーシ人の元記者で、現在ポーランドでシンクタンクに勤務するカリトナウさんは、ベラルーシのメディア事情についてこう語る。「今、メディアは自由に活動することはできず、ジャーナリストのほとんどは国を出ることを強いられている。数社のオンラインメディアだけが水面下で活動している状態だ。そのような状況下で、新しい情報発信の手段として活用されているのが“テレグラム”というSNSで、政府がユーザーを特定できないため、一番安全でメディアに人気がある」。
その上で、ポーランドが亡命者を積極的に支援する姿勢を示している背景についてこう解説する。「ポーランドが亡命した人の安全を提供する理由の一つは、ポーランドはEU(ヨーロッパ連合)の一員であるため。EUでは、市民は法的保障と身体的安全の保障をされている。ポーランドは、ベラルーシ人の亡命者や政治的圧力を受けた人にとても友好的だ。ポーランドとベラルーシは共通の歴史を持ち、私たちは長い間一つの国だったためアイデンティティーがとても似ている。歴史的に、共有しているものが多い」。亡命先をめぐっては「ロシアやウクライナに逃げるのは、危険だ」と付け加えた。
チマノウスカヤ選手は、ベラルーシから逃れた夫と再会を果たし、新たな生活をポーランドで始める。NNNのインタビューでは「ポーランドでアスリートのキャリアを続ける。練習ができることをとても期待している」と抱負を語った。2024年のパリ五輪で、再びアスリートとして活躍する姿を見られるだろうか。