【単独取材】ロシアによるウクライナの子どもの連れ去り 脱出した10代の少女らがアメリカで訴えた、連れ去りの実態
ロシアが侵攻したウクライナの占領地から子どもを連れ去っているとされる問題。その数は2万人近くにのぼり、「ロシア化」教育も行われているという。連れ去り先から脱出した2人の少女が2023年7月末アメリカを訪問し、問題解決を訴えた。2人が語った連れ去りの実態とは。
(NNNワシントン支局・渡邊翔)
2023年7月末、ワシントンのアメリカ連邦議会で1本のドキュメンタリーが上映された。タイトルは「ロシア人からの脱出」。ナスチャ(取材時19歳)とマーシャ(同17歳)、2人のウクライナ人の少女が、ロシア側に連れ去られ、その後脱出してウクライナに帰還するまでを描いた作品だ。ウクライナ政府は、ロシア側がこれまでに2万人近くの子どもをウクライナの占領地から連れ去っているとしていて、侵攻に伴う大きな問題のひとつとなっている。
このドキュメンタリーで特徴的なのが、2人が「連れ去り」の間、随所でスマートフォンを使って映像を撮影していたことだ。InstagramなどのSNSに投稿された映像、さらに救出に関わったジャーナリストらの勧めによって2人が撮影していた映像から、連れ去られた先で彼女たちがどのような扱いを受けたのかが明らかになっている。2人へのインタビューやドキュメンタリーを制作したウクライナメディア「Slidstvo.info」の取材によると、経緯は以下の通りだ。
■「2週間の旅行」と偽りクリミアへ ヘルソン解放でも帰れず
ロシアによる侵攻が始まった当時、南部の都市ヘルソンに住んでいたナスチャとマーシャ。ヘルソンは侵攻直後にロシア軍に占領された。2022年10月の初め、在籍していた学校の教師が2人を含む学生たちに、「クリミア地方への2週間の休暇旅行」を提案したという。すでに成人年齢の18歳になっていたナスチャの年齢は17歳ということに偽られ、未成年の扱いになったという。そして2022年10月8日、7歳から18歳までの300人以上が十数台のバスに乗り込みヘルソンを出発。ナスチャとマーシャは、クリミアのエフパトリアという町の施設に到着した。
クリミアでの2人の待遇は、基本的には「普通」だったという。しかし、この頃からすでに「ロシア化」の教育が始まっていた。ロシア国歌が流れると起立することを強制され、立たないと「私たちのパンを食べているくせに行儀が悪い」と叱責されたという。さらに、予定の2週間が過ぎると滞在の延長が言い渡され、ヘルソンに戻ることはできなかった。監督者に抗議しても、返事は「私たちではなく、『省(当局)』が決めることだから」。2022年11月、ヘルソンはウクライナ軍によって解放された。その当時をナスチャはこう振り返る。
「喜ぶ一方で、誰も私たちをヘルソンに連れて帰ってはくれないんだ、と思いました」(ドキュメンタリーより)
この時期に撮影された映像には、ナスチャが「どうして私がこんな目にあうの?もう耐えられない」と泣く様子が記録されている。
■さらに別の占領地へ移動 劣悪な環境と”懲罰房”
こうした中、ナスチャとマーシャらは2022年12月末、クリミアを離れ、ウクライナ南部のロシア占領地域であるヘニチェスクへと移された。親ウクライナ的な言動を繰り返していたことで、よりロシア側の支配の強い地域に移されたとみられ、本人への意思確認も一切なく、現地の職業訓練学校に入学させられ、学校の寮の粗末な部屋に放り込まれたという。ナスチャは、ヘニチェスクに到着した最初の日が、連れ去られていた期間で、最も辛かったと話す。
「部屋の中はとても寒かったし、最初の日は食事も与えられなかったんです」
2人が撮影した映像では、すきま風が入る部屋にヒーターはひとつ。学校の授業に出る際はヒーターを切らなくてはならなかったほか、立て付けが悪いドアを寒さを防ぐために閉じてカギをかけると、監督者に怒鳴られたという。さらに映像では、冬の寒さをしのぐには薄すぎる毛布や、週に数回しか浴びることができなかったというシャワー室の様子も映っている。
写真からは、スープなど、粗末な食事の様子も見て取れる。調理が必要な食料が配られるのに調理器具がなかったり、缶詰を与えられたのに開ける道具がなかったりもしたという。状況の改善を求める2人の訴えに対し、監督者の答えは「ここにいられることに感謝しなさい。さもなければ路頭に迷うことになる」などとにべもないものだったという。行動は監視され、学校の授業でロシア語を学ぶよう強制されるなど、「ロシア化」教育がエスカレートしていった。
「彼らはロシアのほうがいいということをずっと私たちに吹き込もうとしていました。ヘルソンに戻ることなく、ロシアの歴史と法律を学び、ロシアパスポートの取得をしなければならないと言われました」(ナスチャ)
パスポートの取得は、ロシア人として扱われることを意味する。ロシア側には、子どもたちを「再教育」した上で、戦力として利用する狙いもあると指摘されている。ナスチャたちはパスポートの取得を拒否し続け、親ウクライナ的な言動を続けたという。一方、ロシア側の監督者は、反抗的な態度を取る子どもたちを「穴」と呼ばれる場所に連れて行き、殴るなどの体罰を加えていたとナスチャらは証言する。事実上の懲罰房だ。2人も「当局に忠誠を示さない子どものリストを作り、地元の軍に出す」などと脅しを受けた。
■ウクライナの記者たちが「脱出」を支援
こうした中、ナスチャとマーシャと連絡を取り続けていたのが、ウクライナの調査報道メディア「Slidstvo.info」の記者たちだ。子どもたちの連れ去り問題を取材する中、SNSで2人を見つけ、現地の状況を「証拠」として撮影するよう助言するなど、やりとりを続けていた。
2人を取り巻く状況が厳しくなる中、記者たちは救出を模索する。しかし、ここで障害となったのが、未成年であるマーシャの「保護者の意向」だった。マーシャの母は、安全のために、娘にむしろロシア国籍を取得して欲しいという意向。マーシャの父は、脱出に関する記者らへの委任状に署名したものの、娘が戦闘に巻き込まれることを案じ、その後「ヘニチェスクに留まって、解放を待った方がよいのではないか」と意見を変えた。
こうした中で2023年2月、ヘニチェスクの学校側が、2人が脱出したいとの意向を持っていることを察知。ロシアの”国境”に、未成年のマーシャの出国を認めないよう連絡が回れば、帰還の望みは絶たれる。記者らは、2人が自力でバスなどを乗り継いでウクライナの統治地域に戻れるよう手はずを整える。2人は学校から脱出後、周囲や検問で怪しまれないよう、親戚を訪ねると嘘をつき、最終的にバスなどを乗り継いでキーウへと戻ることができた。ドキュメンタリーの中では、将来の子どもたちの脱出に支障を来さないよう、脱出の詳細や経路は意図的に開示されていない。
■帰還できたのはごく少数・・・国際社会の支援求める
ウクライナ政府によると、これまでにロシアの占領地域やロシアに連れ去られた子どもたちは、判明しているだけでも2万人近く。救出活動を行う団体「セーブ・ウクライナ」などが懸命の活動を続けているが、帰還したのはわずか380人ほどに留まっているという。ナスチャとマーシャの救出に関わった「Slidstvo.info」のユリヤ記者は「連れ戻すこと自体が難しいのに加え、ロシア側が子どもの名前を変えてしまうケースもある」と指摘する。またあるウクライナ政府関係者も「ナスチャやマーシャのように年齢が上であれば、ある程度自分たちの力で脱出できる可能性もある。しかし、小さな子どもにそれは不可能だ」と説明した。
こうした中、連れ去りの「黒幕」とされるロシアのリボワベロワ大統領全権代表(子どもの権利担当)は2023年7月末、プーチン大統領に報告書を提出。ロシアの独立系メディアによると、この中でリボワベロワ氏は、ヘルソン州やザポリージャ州などの親たちが、安全確保のため「自発的に子どもを休暇に送り出した」と主張している。
ナスチャはドキュメンタリーを通じて、「ロシア人の子どもに対する態度がどうだったかを知って欲しい。彼らは子どもたちを洗脳しようとしていました」と話す。アメリカ議会での上映会で、マルカロワ駐米ウクライナ大使も、「これこそが、ウクライナが早く勝たなくてはいけない理由です」と強調した。子どもたちを取り戻すために、国際社会によるさらなる支援が求められている。
*「Slidstvo.info」が制作した2人のドキュメンタリー動画は、YouTubeでも公開されています。