みんなの居場所作る…子ども食堂店主の思い

諏訪中央病院・鎌田實名誉院長は今月18日、東京・豊島区にある「要町あさやけ子ども食堂」を訪問した。要町あさやけ子ども食堂の店主・山田和夫さん(68)が子ども食堂を始めたキッカケは、亡き妻が書き残した1枚のレシピにあった。
諏訪中央病院・鎌田實名誉院長は今月18日、東京・豊島区にある「要町あさやけ子ども食堂」を訪問した。
子ども食堂は、基本的には貧困状態にある子どもなどに無料か低料金で食事を提供する食堂のことを指すが、要町あさやけ子ども食堂は通常の子ども食堂と少し違う。
要町あさやけ子ども食堂の店主・山田和夫さん(68)。鎌田さんと同年齢の山田さんは、鎌田さんとは別の取材で知り合い、鎌田さんはその志に感銘を受けた。
■キッカケは亡き妻のレシピ
山田さんが子ども食堂を始めたキッカケは、亡き妻が書き残した1枚のレシピにあった。
山田さんは、4年前から一人で暮らす自宅で月に2回、子ども食堂を開いている。スタッフはみんなボランティア。中には80歳になるたばこ屋の女性もいる。
スタッフは、その時々によって違うものの、10人から20人ほど。その日に集まれる人が切り盛りする。
この日も「子どもたちに栄養のバランスがとれた食事を」とスタッフが知恵を絞った夕食が完成した。カレーライスにみそ汁、ひじきの煮物、なますなどの小鉢に、みかんなどの果物がついて、料金は大人が300円、子どもが100円だ。
■食事だけでない魅力がある
取材に応じてくれた、子どもを持つ女性は「子ども食堂には、食事だけではない魅力がある」と感じている。
女性「同じ食卓を囲んでいると 知り合いになれたりとかして。今日、初めてお会いしたんですけど、実はすごいご近所さんだったりして」
鎌田さん「こういうふうに色々な人に出会うって、いいような感じがするね」
店主の山田さんは「食堂を訪れる人は、経済的に困っている人たちだけではない」と語る。
山田さん「目に見えない重い荷物を背負っているのかもしれない。お金がある、なしじゃなくて、それが解放されるとか、紛れるとか、リラックスできることを楽しみにしているんじゃないですか。みなさんおっしゃるよ。楽しみにしてるって」
ボランティアとして働いている女性にとっても、楽しみのようだ。
鎌田さん「手伝おうなんていうよりも、楽しいから来ちゃうっていうこと?」
ボランティアの女性「行けば、居場所があるみたいな感じですね。
訪れる人の“居場所”を提供している山田さん。実は、こうした山田さんの活動には、亡くなった妻・和子さんの影響があった。
和子さんは自宅でパン屋さんをやりながら、ホームレスに無料でパンを配る活動をしていたが、8年前、すい臓がんで亡くなった。
それまで勤めていた会社を定年退職した年に訪れた妻の死。山田さんは“どん底”に突き落とされたようだったという。その山田さんを救ったのが、亡くなる3週間前に和子さんから渡されたパンのレシピだった。
山田さん「(亡くなって)半年くらいして、しょんぼりしちゃった時に(レシピを)思い出して…。それを見ながら一人でこつこつと、毎週水曜日、1年半くらいやり続けたかな」
鎌田さん「『私がいなくなった後、寂しい思いをしないように』って作戦だったのかな」
山田さん「その可能性はあるよね」
今では週に1回、元ホームレスの人などに対し、ボランティアのスタッフと共にパン作りを教えながら社会復帰を支援している山田さん。そこで焼けたパンを、NPO法人を通じて、ホームレスたちに届けている。
和子さんの遺志を継ぐことで新たな生きがいを見つけた山田さん。子ども食堂を開くキッカケとなったのもまた、和子さんとつながりのあった人から勧められたことだった。
山田「子ども食堂をつなげたのも、実はかみさんの力かもしれない」
山田さんは「子ども食堂の食材費を稼ぐために、魚屋さんでパートで働いている」と話していた。
その情熱は、子どもにしても元ホームレスの人にしても、孤立させたくない、社会からの疎外感を受けさせるようなことはしたくない、という思いから来ているのではないか。
■居場所をつくる
この、子ども食堂を訪れている人は、経済的な理由というのは意外に少なくて「楽しいから来ている」という人がほとんどだ。
大人も子供も、ここが自分の「居場所」だと思えること、そして、「自分の存在を地域の人に知ってもらうことが大切なんだ」ということを感じる。
地域の人たちを支えている山田さんも、和子さんの死に向き合う中で、きっとそのことを感じたのではないか。地域や社会の中でそれぞれの人の「居場所をつくる」ことで、人は生きていくことができると思う。