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津波への意識を変えた…東日本大震災の「教訓」や「備え」の大切さ “能登”の人たちに【バンキシャ!】

2024年3月11日 10:05
津波への意識を変えた…東日本大震災の「教訓」や「備え」の大切さ “能登”の人たちに【バンキシャ!】
東日本大震災から11日で13年。バンキシャ!が石川県珠洲市を取材すると、東日本大震災から能登半島地震へ、教訓と備えは確かにいかされていました。(真相報道バンキシャ!

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1日、桝太一キャスターが向かったのは石川県珠洲市三崎町。

桝キャスター
「こうやって歩いてみると、本当に穏やかな海なんですけど、ここから波消しブロックがあって、さらに堤防のような構造もあるんですけども、2か月前、それを越える形で津波が押し寄せたものと思われます。そして、左側には民家があるんですけども、ちょうど1階部分が柱だけ残して洗われるような形で損壊してしまっています」

海沿いに家が建ち並ぶこの町は、津波の被害が特に大きかった。

地震発生からおよそ20分後に撮影された、町を襲った津波の映像。珠洲市には最大4.3メートルの津波が押し寄せた。その時、住民がとった行動は…。

出会ったのは、高校3年生の前美結さん(18)。家で1人でいるとき、震度6強の揺れに襲われた。あの日、実際に避難したルートを案内してもらった。

前美結さん
「あ、こっちなんですけど」

桝キャスター
「あれ、ちゃんとこういう表示があるんですね」

「津波避難場所」を示す案内が。

前 美結さん
「階段急なので」

桝キャスター
「けっこう急ですね」  
     
この階段をのぼった先にあるのが高台にある避難場所だ。

桝キャスター
「この日は駆け上がって?」

前 美結さん
「そうですね。元日はもうちょっと雪があった」

迷うことなく階段を駆け上がり、避難場所へ到着。その時、海に視線を移すとこれまで見たことのないほど波が引いていたという。

桝キャスター
「実際ここにのぼってきたのは、地震から何分後くらい?」

前 美結さん
「地震から5分〜10分後くらい。そのときには上には人がいた」

避難当時の映像には、高台に人々が集まる様子が映っていた。

住民たちが避難に使ったのは、100段の階段。実は東日本大震災をきっかけに作られたものだ。その後、高齢者などのための手すりやライトも設置された。

住民は毎年1回、避難訓練を実施。避難にかかる時間を計るなど、「いざ」という時に備えてきた。

東日本大震災が、住民たちの津波への意識を変えた。

こうした取り組みもあり、三崎町寺家下出地区の住民およそ80人(5歳〜90歳)全員が、能登半島地震の津波から逃げ切ることができたという。

前 美結さん
「津波を見ていてびっくりしすぎて何も考えられなかった。本当に津波って来るんだ」
「避難場所とルートだけは頭のすみに置いてあったら、いざという時、行動できると思うので大事」

桝キャスター
「実際、役に立ったんですね」



しかし、津波の恐ろしさを身をもって感じた人も。

出村正幸さん(47)が避難を始める数分前に撮影した映像、そのとき、波はまだ堤防を越えていなかった。家の前にとめてあった車で避難をしようとしたその時…。

出村正幸さん
「(車の)鍵を取って振り向いたら、車が津波で流された」

桝キャスター
「もうこの距離で」

その瞬間をとらえた写真には、車を押し流した津波が出村さんに迫っていた。

桝キャスター
「鍵を取りに行くほんの1分」

出村正幸さん
「30秒〜40秒くらいですかね」

桝キャスター
「この辺の景色は…」

出村正幸さん
「全く変わっています。一気に来た」

ひざの高さまで押し寄せた水から逃れ、必死に階段をのぼったという。

出村正幸さん
「地震や津波が起きたら、考えるんじゃなくて、迷うんじゃなくて、すぐ動かなければいけない」

   ◇

いつ発生するかわからない地震、そして津波。東日本大震災の経験から備えることの大切さを伝え続けている人がいる。

珠洲市に住む安用寺世梨花さん(26)。出身は岩手県北上市。13年前、中学1年生の時に被災した。

安用寺世梨花さん
「(当時)頑張ってスーパーに並んだけど、生鮮食品は停電なので買えなくて。子どもだったのにお菓子しか食べられないのがつらかった」

桝キャスター
「本当にその場を経験した人にしかわからないですよね」

安用寺さんはその経験をいかし、職場の人たちに向けて“あるモノ”を作った。それがこの地震発生時のマニュアルだ。

マニュアルを見ると、会社から徒歩10分以内にある神社や小学校などが指定緊急避難場所だとわかる。会社からの所要時間も明記されていた。そして、東日本大震災を経験したからこその「備え」も。

安用寺世梨花さん
「『ご飯食べたいな』と思っていた。それは対策すれば防げること」

安用寺さんの防災リュックには、マニュアルに書かれた食料など、東日本大震災で必要だと感じた物を備えている。今回の地震を機に、避難生活が長引くことを想定し防寒具や衛生用品を増やしたという。

この地で新しくできた家族や仲間のために、自分が経験したことをこれからもいかしていきたいという。

安用寺世梨花さん
「あの時と同じ悲劇は、大好きな珠洲市で繰り返したくない」
「岩手で得た教訓を能登の方に伝えるのが自分の使命」

(3月10日放送『真相報道バンキシャ!』より)

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