天皇陛下とアフリカ 子どもの頃からの“親しみ”【皇室a Moment】
■愛子さまの“国際親善デビュー”となった昼食会
一つの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。今回はこちらです。
――愛子さまが初めて宮中の昼食会に出席されて、大きな話題になった時ですね。
そうです。2月9日、ケニアのルト大統領夫妻を迎えて天皇皇后両陛下が催された昼食会の1シーンです。
昼食会は愛子さまの“国際親善デビュー”として注目されましたが、天皇陛下は皇太子時代の2010(平成22)3月にケニアを親善訪問されていて、それが今回の“おもてなし”のベースにある、と感じました。
■皇太子時代に訪れたアフリカの4か国
――天皇陛下はいろんな国に行かれていますけれど、アフリカにも行かれているんですね。
はい14年前、お一人で訪問されています。陛下はアフリカに対して強く関心を持たれてきたんです。
――きょうは井上さんと共に、天皇陛下の14年前のアフリカ訪問を振り返ってみたいと思います。井上さん、天皇陛下はこれまでアフリカは、どちらの国に行かれていたんですか?
こちらの地図をご覧下さい。
その後に訪問されたのが、2013(平成25)年12月の南アフリカです。マンデラ元大統領の追悼式のためでした。現地の滞在1日足らずの“弾丸旅行”でした。アフリカ訪問はこの3回、あわせて4か国ですが、今年2月に来日したルト大統領のケニアを訪問されたのは2回目、ガーナ・ケニアの旅でした。
■野口英世の業績を見つめたガーナ
――どんな旅だったんですか?
訪問はガーナから始まりました。天皇陛下はイギリス経由でガーナの首都アクラに到着されると、民族衣装を着た人々の踊りや太鼓などで出迎えられました。
――にぎやかですね。
ガーナなど熱帯アフリカは、風土病の黄熱病で知られます。今の千円札の肖像に描かれている細菌学者の野口英世は黄熱病の研究に心血を注ぎ、ガーナで亡くなりました。
滞在中、陛下は野口英世の研究室を訪ねて足跡をたどり、シンポジウムでもお言葉を述べられました。
現地で亡くなった青年海外協力隊員4人の慰霊碑も訪問されています。花を捧げ拝礼されました。
移動中、陛下は幹線道路脇にある路上マーケットにも立ち寄られました。地元の女性たちが近くで採れたマンゴーなど果物や野菜、特産品などを売っていて、陛下は興味深そうに見て回られました。
天皇陛下:「これ全部(ヤムイモ)」
地元の女性:「小さい。でも日本と同じ、沖縄(のヤムイモ)と」
途中からスコールに見舞われ、陛下も取材陣もびしょ濡れになって大変でしたが、陛下がとても楽しそうにされているのが印象的です。
――私もアフリカに行ったことがありますが、こういう路上マーケットって、ぽつんと雄大な自然の中にあるので、まさか陛下がこういった所に訪れていたとは……。現地の方はびっくりされたでしょうね。
■雄大な自然に触れたケニア、マータイさんとの植樹も
続いて2か国目、陛下はガーナから空路6時間、ケニアに移動されました。ケニアは日本の1.5倍の国土に、5000万人あまりが暮らす赤道直下の国です。首都ナイロビでキバキ大統領を表敬し、日本人学校を訪ね、ケニアで孤児院を開設している日本人女性らにも会われました。
翌日は、日の出を待って宿舎を出発し、サイやゾウ、キリンなどが棲息する「スイートウォーター動物保護区」に向かわれました。アフリカ第2の高峰、標高5199メートルのケニア山を望む絶景の地でのサファリツアーです。
陛下は、特別仕様の4輪駆動車からキリンやシマウマなどの動物や雄大なケニア山をご覧になり、車からカメラを向けられました。さらに、保護区内で絶滅の恐れのあるサイを保護している施設も訪問されました。ここではその体をなでたり、自らサイにサトウキビを与えたりされました。
記者:「サファリはいかがでしたでしょうか?」
天皇陛下:「あ、よかったです。本当にいろいろ動物が見られて。キリンも見られたし。それからサイの孤児院の所でも保護をすることについていろいろ学ぶことができてとてもよかったです」
記者:「サイを触られた?」
天皇陛下:「サイも触りましたね」
記者:「感触はいかがでしたか?」
天皇陛下:「初めて触りましたけど。硬いというかすごく面白い感触だったですね。本当にここでもっていろいろ、こちらの動物の生態ですとか、それから細かい動物の見分け方ですとか保護の仕方とかいろんなことについて学ぶことができて本当によかったと思います」
保護区では、現地の人が日本とケニアの国旗を持って歌いながら熱烈に歓迎し、陛下は記念植樹に臨まれました。
――にぎやかな音色の中の植樹、これもまた素敵ですね。
そうですね!
一緒に植樹したのは、「ノーベル平和賞」を受賞したワンガリ・マータイさんです。環境の活動や女性の地位向上に努めたケニアの元環境・天然資源副大臣です。
――マータイさんは日本の「モッタイナイ」という精神を世界に広めた方ですよね。
そうです。「ゴミ削減」「再利用」「再資源化」で地球への負担を減らそうという心から「モッタイナイ」を広めました。2004年にノーベル平和賞を受け、2011年に亡くなりました。植樹は亡くなる前の年だったんですね。
――陛下とワンガリ・マータイさんが植樹された木も、今は本当に大きくなっているでしょうね。
■陛下の生まれた年は独立ラッシュの“アフリカの年”
陛下は訪問前の記者会見で、アフリカへの親しみは子供の頃から始まっていたと話されました。
天皇陛下:「アフリカの国の中には,私が生まれた1960年に独立した国も多くあります。誕生の年を同じくしたり,また,その前後に誕生した国が多くあるという点でも,私は以前からアフリカの諸国に親しみを持ってきました」
陛下が生まれた1960(昭和35)年は、アフリカで民族の独立ラッシュが起きた「アフリカの年」と言われ、ガーナは1957年、ケニアは1963年と、60年前後に独立しています。
その1960年には上皇ご夫妻がアフリカのエチオピアを訪問されています。会見でも陛下は、上皇ご夫妻から現地の話をいろいろ聞いたことを振り返られました。さらに、64年東京五輪のマラソン競技でエチオピアのアベベ選手が活躍したことや、70年の大阪万博でのアフリカ諸国のパビリオンがアフリカとの出会いだったと振り返られています。
――天皇陛下は、いろんなことに関心をお持ちの方ですけれども、誕生の年が同じというのは、思いの強さがうかがえますね。
そうですね。ご縁でしょうね。
また“水問題”への関心もあります。陛下はケニアで日本の支援で作られた稲作灌漑施設も視察されました。陛下が国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁として“水の問題”に取り組まれていた頃で、立ち後れたアフリカに強い関心を持たれていました。
――ご縁だけではなく、社会課題の関心という意味でも、アフリカとの結びつきは強いですね。
そうだと思います。
■富士山とケニア山――2つの山が結ぶ友好
滞在中、ケニアの人たちに響いたのは歓迎晩餐会のスピーチでした。
陛下は、地球温暖化が進むなか、ケニアの大自然を保護する努力が重要であることを英語で訴え、最後に現地の“ことわざ”をスワヒリ語で引用されました。
天皇陛下:「Hamjambo!(皆さんお元気ですか)」
「Habari gani?(お変わりございませんか)」
「山と山は(動けないので)会うことができません。しかし,私たち人間は(動けるので)会うことができます」
そしてケニア山と富士山という2つの山を誇りに思う私たちが会うことで、両国の友好関係が一層深まることを願う、と締めくくられました。
――陛下のスワヒリ語に歓声が上がっていましたね。
自分たちの言葉で、聞かれる方々もうれしかったんでしょうね。陛下はかなり練習されて臨まれたと思います。
――民族衣装も身にまとわれたんですね。
いい笑顔を見せられていますね。陛下は山好きでも知られますが、ケニアで撮影した写真を日本山岳会の写真展に出されています。
それがこちらです。「ケニア山黎明」というタイトルで、夜明けに訪ねた「スイートウォーター動物保護区」で撮影された写真です。
――空もそうですけども、下の方、湖面に写っている木々もすてきな1枚ですね。
湖なのか水辺なのか分かりませんが、水面に景色がちょっと写っていて、何か奥深い写真だと思います。
――そしてこちらが陛下の、旅を終えてのご感想です。
「アフリカのイメージを、これまでのモノクロームの静止画から、今回の訪問を通じ、色鮮やかに躍動する動画として、私の脳裡に鮮明に焼き付けることができました」
「今回自分自身の目で見、耳で聞いた一つ一つの事柄を今後、アフリカの方々をお迎えする際や、アフリカを始めとする各国で活躍される方々とお話する際などで役立てていければと思います」
「色鮮やかに躍動する動画」という表現から、強烈な印象を受けられたことが伝わってきます。
このときの“見聞を今後の交流で役立てていければ”という思いが、今回のケニア大統領夫妻のもてなしにも生かされたんだろうと思います。
■昼食会のもてなしに生かされた14年前の見聞
第1に、陛下は、会見の挨拶や昼食会のスピーチでスワヒリ語を使われています。大統領はとても喜んで、陛下に「大変お上手」とほめ言葉をかけています。
第2に、テーブルに飾られた赤いバラです。日本が輸入しているバラのおよそ半数がケニアから来ています。花が大きく、長持ちするのが人気の理由で、その国からの輸入品でテーブルを飾るというのは珍しいことだと思いました。
そして、愛子さまのエピソードです。昼食会に出席されたことが話題になりましたが、愛子さまは、スワヒリ語で「ごきげんよう」を意味する「ハバリ」と挨拶し、大統領らを喜ばせました。このとき、愛子さまがお持ちのパズルが話題になったそうです。
■愛子さま アフリカの入り口はお土産の “木製パズル”
――パズルですか?
はい。それがこちらです。
当時9歳の愛子さまが手元で楽しまれているのは、アフリカの国々の形がピースになった木のパズルです。陛下のケニア訪問のお土産ですが、愛子さまはとても気に入って、国々の名前や形を覚えて楽しまれたそうです。
■天皇の訪問がまだないアフリカ
こちらは9年後、高校3年の愛子さまの地理の宿題を陛下が手伝われているシーンですが、テーブルの上に地球儀とともに置かれているのが同じパズルです。
この年、「アフリカ開発会議」が横浜で行われ、愛子さまは宿題のテーマにアフリカを選ばれたそうです。陛下の話を聞きながら、思い出のパズルを前に、何かまとめられたんだろうと思います。
――陛下が思い出の品としてお土産で買われたということも素敵ですし、愛子さまがこういうふうに節目節目で見ていらっしゃる姿もなかなか素敵ですね。
こうしたエピソードがあって、大統領は愛子さまに「ぜひケニアへお越し下さい」と招待したんだろうと思います。
皇后さまもかつて国連大学でよくアフリカ関連の講演を聞かれていて、当時の側近からアフリカに強い関心をお持ち、と聞いたことがあります。
上皇ご夫妻は皇太子時代に3回、エチオピアやケニア、コンゴ民主共和国(旧ザイール)など6か国を訪問されていますが、天皇皇后になってからはありません。天皇のアフリカ訪問は一度もないんですね。
アフリカは遠く、気候が厳しく、風土病の予防接種などが欠かせない国も多く、訪問はなかなか難しいかもしれませんが、両陛下のご関心の強いエリアですので、外国訪問が本格化して実現する機会を楽しみにしています。
――きょうの井上さんのお話とVTRを見ていたときに、やはり天皇陛下も皇后さまも愛子さまもアフリカにそれぞれの思いを強くお持ちなんだなと思ったんですが、愛子さまは日本赤十字社に勤められますので、今後「ご家族で…」「愛子さまが…」という訪問も楽しみにしたいですね。
そんな機会があったらいいですね。
【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)