バレーボール元日本代表・荒木絵里香が考える体罰問題 両親・恩師の言葉で気づいたスポーツの本質
ここ数年、バレーボール強豪校での体罰が相次いで発覚しています。春高バレーの優勝校では、監督が生徒を怒鳴りながら平手打ちの暴行をして解任に。全国大会常連校では、生徒の髪をわしづかみにするなどの暴行の容疑で顧問が逮捕される事態も。私、日本テレビアナウンサーの佐藤梨那は、担当している報道番組で度々こうした学校などを取材し、体罰のニュースを伝えてきました。
今回、日本代表として4大会連続で五輪出場し、2012年のロンドン大会では、銅メダル獲得に貢献した荒木絵里香さん(39)にインタビュー。自身の競技人生をもとに、「子供たちが楽しい、続けたいと思うバレーボールとは何か」など、お話を伺いました。
■「これはスポーツじゃない」両親の言葉で気づいた“本質”
荒木さんは、1984年岡山・倉敷市生まれ。父は早稲田大学ラグビー部を経て、社会人チームの選手・コーチとして活動、母は中学・高校の体育教師という、スポーツ一家に生まれました。小学4年生の終わりには、身長が170センチあったという荒木さん。陸上や水泳などさまざまなスポーツをしていましたが、母の勧めもあり、バレーボールを始めたといいます。
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荒木:最初に入ったバレーボールチームはすごく強いチームで、暴力とか、今考えると完全にアウトだなと思うようなことがたくさんあったんです。そこでバレーボールを続ける中で、私の両親に「これはおかしい」と言われて、半年ぐらいで辞めさせられちゃったんです。
佐藤:それが小学生の頃?
荒木:小学5年生の頃。私は続けたかった。暴力とか理不尽な指導を受けていても、小学生の私は「これがおかしい」とか「間違っている」ということがわからなかった。みんなも同じだし、先生は絶対だし、バレーは好きだしという思いで、クラブは辞めたくなかったけど、両親が「これはスポーツじゃないよ」と小学校5年生の私にはっきり教えてくれて。無理やりクラブから離されたというか、バレーから距離を置いた時期がありました。後から考えると、本当に原点だと思います。(両親から)「スポーツはそもそも楽しむためのもの。スポーツはプレーするっていうよね。playは“遊ぶ”と英語で訳すよね。誰かに叩かれて遊びをするかというと違うよね」と言われて、本当にそうだと思いました。そこから両親がクラブチームを作ってくれたんですよ。私がバレーボールをできるように。
佐藤:一からですか?
荒木:そうです。辞めた後に地元の小学校にはバレーボールチームがまだなくて、(両親が)知り合いの指導できる人に声をかけてくれてバレーボールチームを作って、「ここでやれるよ」って。
佐藤:ご両親のしっかりした考えがあったからこそ、行動をしてくれたんですね。
荒木:両親がスポーツに対しての知識や理解があったのが、本当に自分が恵まれていた部分。当時はわからなかったけど、年齢を重ねていく中で感謝していて。普通は作れないですよね(笑)
■名門校で育んだ“自主性” 「自分で考えて、説明できることが大事」 人生の糧にも
両親の作ってくれたクラブチームでの練習を経て、地元・倉敷の中学校でバレーボールを続けた荒木さん。入学時には身長が180センチまで伸び、中学1年生で岡山県選抜、中学2年生でU-17の練習にも参加しました。高校生にまざってレベルの高いチームで練習する中で、バレーボール名門校として知られている下北沢成徳高等学校(旧:成徳学園高校)のことを知ったといいます。そこで、出会ったのが恩師・小川良樹監督です。
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佐藤:成徳が魅力的だと思ったのはどういったところでしょうか。
荒木:まず暴力・怒る指導ではないというところと、選手の自主性を大事にする指導方針を聞いていて。実際に一緒に練習に参加している成徳の先輩方の話を聞いていると、バレーに取り組む姿がかっこよかったし、一緒にやりたいと感じることが一番多かった。あとは、同い年の大山加奈さんが成徳中にいて、彼女と中学2年生の頃から合宿で接する機会があって話を聞いていて、一緒にやりたいなと感じていました。
佐藤:仲間、先輩を見て入学を決めたということですが、実際に成徳に入ってみてどうでしたか。
荒木:“自主性”とか“怒られない”というと、「楽でいいよね」という考えを持つ人もいると思うけど、やらされた方が本当は楽な部分があって。自分で考えてやらないといけないじゃないですか。考えなかったらできないし、結果もついてこない。「考え方がわからない、どう頑張ったらいいのかな」というのが最初の壁としてありました。
佐藤:どう乗り越えたんですか?
荒木:先輩や仲間の姿を見ながら学んだという部分もある。目標を持ってやった中で達成できなくて悔しくて、「自分は何ができなかったから、この目標が達成できないのだろう」と考えられるようになってきた。小川良樹監督は多くは語らないけど、定期的に問いかけるような指導で導いてもらって、少しずつ自分で「こうしよう、ああしよう」と考えながらできるようになっていったのかなと思います。
佐藤:例えば先生が怖いと、「先生がいなかったらそんなに頑張らなくてもいい、先生が見ていない時は手を抜く」とか、悪い流れにもなりますよね。人が見ていたらやるけど、見ていなかったらやらない。社会人になっても「それじゃダメだよね」と言われることにつながると思うんですが、教育的な面ではどう思われますか?
荒木:競技者である時間、バレーボールを一生懸命する時間って人生の中で限られているじゃないですか。私も40歳近くまで競技をしたけど、この先の方がすごく長いから、競技を通じて人生を豊かにする、より良くするという意味で、自分で考えて「何のためにやっているのか、どうしてこうしなくてはいけないのか」を自分の中でちゃんと説明できるようになることが大事。そうすると勝手に頑張れる。別に誰に強要されるわけでも、誰かが怖いからやるわけでもなくて「自分がやりたいからやる、こうしたいと決めたからやる」という方が本当に充実した人生を送るためにも大事になるのかなと思います。
■「一番大事な価値は?」 恩師の言葉で導かれたバレー人生
「選手の自主性を大事にする」という小川監督の指導方針のもと、下北沢成徳でバレーボールに打ち込んだ荒木さんは、在籍中にインターハイ・国体・春高バレー優勝の3冠を達成。卒業後はVリーグでプレーを続け、日本代表としても第一線で活躍しました。
高校卒業後、さまざまな壁にぶつかってきたという荒木さん。小川監督に悩みを相談しにいった時にかけられた言葉が、今も印象に残っているといいます。
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荒木:上にあがればまた違う問題とか悩みとか挫折があって、小川先生に悩みを相談したことがあったんです。その時に先生に言われた言葉が「絵里香にとってバレーボールの一番大事な価値は何?」。価値って何だろう…って考えた時に、全日本だとか優勝するという“結果”ではなく、“バレーボールが上手くなりたい”ということに一番大事なものがあると改めて気づいた。また軸が自分の中でしっかりしました。そこは定期的に気づかせてもらっている、先生の導きだと感じました。
■体罰をなくすために…大人がすべきこととは
両親から“スポーツとは何か”を教えてもらい、恩師から“スポーツの一番の価値”に気づかされ、学びを得てきた荒木さん。身近な大人たちに支えられていた荒木さんだからこそ思う、体罰をなくすために大人がすべきことを明かしてくれました。
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佐藤:実際に体罰などがあるチームがあった時に、どうやったら生徒たちが自分たちで考えてスポーツを楽しめるようになると思いますか。
荒木:小川先生がおっしゃっていたのは「暴力をふるうことや体罰は、指導者が、指導力がないからそれに頼るしかないんだよね」とおっしゃっていて。やっぱり指導者側、大人の問題。大人の知識不足、勉強不足、指導力のなさが問題なのではないかと思います。子供は何もない状態だから、子供、選手は問いかけや導きでどこへでも行ける状態だと思う。指導者側の意識、それを見ている周りの保護者も含めて、社会全体の大きな問題になっていきますよね。
佐藤:子供は真っ白なんですね。
荒木:自分もそうだったように、その中に入ると“先生は絶対”だと思ったし、仲間もやられているから自分もやられて当たり前だと私も思ったんですね。でもそれは違うと最初に両親が教えてくれたことは大きかった。子供はまっさらだから、そこにいい方向に導いてあげられるようなアシスト、サポートというのが周りの大人ができることだと思う。「勝つ」、それは一番大事なことではないと思うので、バレーボールを通して良い経験、良い成長のきっかけになるような、そういうものが子供にとってのスポーツ、バレーボールであってほしいなと。そのためのサポートを大人側がいろんな知識を得ながらしっかり勉強するということを大事にしながら支えてあげられたらいいなと思います。
【取材後記】
荒木さんが4大会連続で五輪に出場した原動力は、バレーボールが上手くなりたいという思い、そして、「スポーツを通じて人生を豊かにする」という言葉にあるように感じました。部活動の体罰問題でお話を伺いましたが、スポーツに限らず、大人になって自分自身を見つめ直すきっかけとなるメッセージをもらいました。荒木さんはご両親の支えや恩師との出会いに恵まれていたと話されましたが、これからの子供たちには、自分たちで考えて、楽しんでスポーツをすることがスタンダードだと言える環境であってほしいです。
(取材・文 佐藤梨那)