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とまった時間 拉致…帰国20年

2023年2月10日 13:12
とまった時間 拉致…帰国20年

2002年10月、北朝鮮による拉致被害者5人が帰国を果たした。日本中は歓喜に包まれ、ほかの被害者の救済を求める世論が盛り上がった。しかしあれから20年…1人として被害者の帰国は実現していない。怒り、悲しみ、そして虚しさ…いま帰国した被害者の本音に迫る。

拉致被害者・蓮池薫さん
「私はもう申し訳ないという思いですよ。めぐみさんはまだ帰って来られないのに我々だけ帰ってきて」

「お疲れ様…大変な人生だったなと思います」

母は帰国の半年前に亡くなっていました。

地村保志さんの父・保さん
「やっちゃんを連れて帰ってきたぞ」

拉致被害者・地村保志さん
「お母さん、いま帰りました」

一緒に拉致された母は…

拉致被害者・曽我ひとみさん
「長く(時間が)経ちすぎたために、(母を)思い出したくても思い出せない」

それぞれの思いを胸に、北朝鮮から帰国した5人。あの日から20年以上。でも、時間はとまったまま。

初めて目にする街並み…そこは北朝鮮でした。

蓮池薫さん
「いやーあれは忘れられないですよ。まあ本当にガーン、ガーンと殴られて。『彼女はどうしたんだろう』って。強姦されたと思いましたね」

蓮池薫(はすいけ・かおる)さん。交際中だった、のちの妻・祐木子(ゆきこ)さんとともに、この海岸で拉致されました。大学3年生の夏でした。

蓮池薫さん
「怖いと恐怖でいっぱいですし、命はもう助からないなと思いながら、悲しい思いで見ていました」

常に監視され、自由のない生活を24年もの間、強いられました。

蓮池薫さん
「日本に帰れるという考えを捨てよう。帰れないから、考えないと思うことの方が向こうで生きるうえでは力になる」

北朝鮮・金正日総書記(当時)
「お会いできてうれしいです」

2002年、日朝首脳会談で北朝鮮は日本人の拉致を初めて認め、5人は帰国を果たしました。

その時、カメラを向けた人がいました。横田滋さん。そして、早紀江さん。24年ぶりの再会を喜び合う家族。その姿に、自分たちの願いを重ねていたはず。

蓮池薫さん
「悔しさ、無念さ、非常に強かったと思います。そういう中で我々に『帰ってきてよかった』と言ってくれました。」

北朝鮮に拉致された日本人。日本政府が認めただけでも12人がまだ帰国を果たしていません。

地村保志さん
「いま私が帰国したときに生まれた人が20歳なんですよね。だから学校に通っている子は(生まれたのが)私が帰国した後ですから、拉致を知らないんですね」

佐渡市に帰ってきた曽我ひとみさん。

曽我ひとみさん
「母のことは私にとって一番心配なことです。母は今どうしているのでしょうか。どなたか教えてください」

1978年8月12日。買い物の帰りに拉致されたミヨシさんとひとみさん。しかし、北朝鮮は、ミヨシさんの拉致を認めず『北朝鮮に入っていない』と主張しています。親子はその日から再会していません。母は91歳になっているはず。

この日、拉致問題を学ぶ学生たちの前で見せてくれた腕時計。拉致される前、准看護士として働き始めたころ、母に買ってもらいました。

曽我ひとみさん
「この時計は母であり、私が何かにくじけそうになると、しかったり励ましてくれる宝物でもあるのです」

北朝鮮で24年。日本に帰国してから20年。

曽我ひとみさん
「生まれてもいなかった人たちに、この拉致問題のことをお話ししても『おとぎ話』かなって、『うそでしょ?』って『そんなことありえないよ』って思うかもしれないけど、拉致問題は本当にあった話であり、まだ解決をしていない。こんな長い時間が過ぎてしまったのに」

時計は…とまったまま…


2022年12月18日放送 NNNドキュメント’22『とまった時間 拉致…帰国20年』をダイジェスト版にしました。