新型コロナウイルスと共存はつづく?(1)
新型コロナウイルスが初めて確認されたのは、2019年暮れの中国・武漢市だった。感染は瞬く間に、世界に広がり、日本国内での初の感染確認は、2020年に入ってすぐの1月16日だった。その後も、感染拡大は収まらず2021年を迎えた。私たちは、この先、新型コロナウイルスとどう戦い、どう共存していくのか?
■あの時対策を打てば…
未知のウイルスとの戦いは、当初、政府も国民も手探り状態だった。厚生労働省で2020年夏まで、医系の官僚のトップとして、新型コロナウイルス対策を指揮した鈴木康裕前厚生労働医務技監に当時の状況について聞いた。
(記者)当時の厚労省の対応について今、振り返るとどう考えるか?
鈴木前医務技監「戦う相手の正体が見えないこともあった。感染症は、他の病気と比べると今までわりとコントロールできていると思われていたこともあった。そんな中、我々自身の能力やスピードをはるかにりょうがし、新型コロナウイルス(の感染)が進んでしまった。厚労省の対応が後手後手にまわってしまったきらいがあった」
(記者)具体的にこうすべきだったと思う点は?
鈴木前医務技監「2月の波は、ほとんど、中国由来のウイルスだった。4月、5月の波は、ヨーロッパ由来。これは恐らく3月の春休みに、相当多数の日本人がヨーロッパに行って帰ってきて、持ってきてしまった。あらかじめ予想できていたのであれば、旅行に行く学生などに対して『旅行は遠慮して下さい』と呼びかけたり、しっかりとした水際対策をしていれば、もう少し春の様相は違っていたのではないかと思う」
■ワクチンは安全保障の一部
私たちは、いつまでこのウイルスと戦わなくてはならないのか。そのカギを握る大きな要素の一つがワクチンだ。世界に先駆けイギリスやアメリカで医療従事者や高齢者へのワクチン接種がスタートした。日本でも、海外メーカーが厚労省に承認を申請。国内メーカーも独自に開発するワクチンの臨床試験を開始した。日本政府は、2021年前半に全国民分を確保するとしていて、アメリカのファイザーとモデルナ、イギリスのアストラゼネカから合計で1億4500万人分の供給を受ける契約などをしている。
(記者)日本政府にとってワクチンの確保は大変だったか?
鈴木前医務技監「非常に大変で、一つは、非常に売り手市場なので供給量が限られている中で欲しい国はたくさんある。ただ、売り手市場ではワクチンの価格がものすごく上がるが、今回の場合は、さすがに世界的な大流行で恐らく、ぼろ儲けしようとする人は非難をかうので非常にこなれた価格」
なお、日本政府と各ワクチンメーカーがいくらで契約したかは明らかにされていない。鈴木前医務技監は、2021年に東京オリンピック・パラリンピックを開催する日本にとって、世界中から選手などが入国してくるため途上国がワクチンを入手できるかも重要だと指摘する。
一方、国内メーカーのワクチン開発の状況はどうなっているのか。
鈴木前医務技監「昭和40年くらいまでは日本はワクチン先進国だった。その後、感染症は減り、ワクチンに対する訴訟などが起き、ワクチン市場自体が小さくなり研究開発力が落ちてきた。そこに新型コロナウイルスの感染拡大が起きた。残念ながら、来年前半に相当量打てるワクチンは日本国内では作れない」
また、鈴木前医務技監は、ワクチンは「安全保障の一部だ」と話し、国民を守るためには、日本国内でワクチンの研究開発に一定の基盤をもっていつでも使える状態にすることが必要だと指摘した。