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応援を力に 「南三陸ミシン工房」の10年

2021年3月10日 6:05
応援を力に 「南三陸ミシン工房」の10年

2月26日、東京・銀座の商業施設の一角に色とりどりのポーチやトートバッグが並びました。タグには「南三陸ミシン工房」の文字。東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町の女性たちを中心に、2011年からミシンでものづくりを行う工房です。たしかな縫製やセンスの良い生地の組み合わせなどが人気を集め、今年で設立10年を迎えます。

この日、期間限定の店舗がオープンしました。代表の熊谷安利さんは「銀座で販売できるなんて、本当に夢のよう。プロのディスプレーで商品が光り輝いていますね」と目を細めます。

■被災者に仕事を生み出す「ミシン」

南三陸町は東日本大震災の巨大津波で町の約6割の建物が流失し、600人以上が亡くなりました。今も200人以上の行方が分からないままです。

震災後、東京のボランティア団体が「被災地にミシンを送り、被災者に仕事を生み出せないか」とプロジェクトを立ち上げ、全国から募金が寄せられました。南三陸町を中心に400台以上の家庭用ミシンなどが届けられ、町の各地で講習会が開かれました。

「ミシンがもらえる講習会がある」と聞き、参加した一人が畠山つた子さん(61歳)です。津波で家が流失し、親戚の家に身を寄せた後、仮設住宅で暮らしていました。畠山さんは長年、服飾系の工場で仕事をしていたため、「支援でもらった服のサイズを直せないか」との相談が相次いでいました。ところが、使っていたミシンは津波で流されてしまっていたのです。

11月には講習会の参加者が中心となって、ブランド「南三陸ミシン工房」として活動を開始。当時のメンバーは、畠山さんのように自宅を流されてしまった女性がほとんどでした。先のことなど考えられない…とふさぎ込む中、布をミシンで縫い、仲間と会話し、商品が売れて人から感謝されることを通じて、少しずつ自分らしさを取り戻すことができたといいます。ミシンの腕前も、仕事ができる時間もばらばらでしたが、お互いに得意なことを教えあってティッシュケースやミニバッグ、ポーチなどの製作を続け、少しずつ縫製技術を磨いていきました。

■かわいそうだから買うのでは、すぐに終わってしまう

代表理事の熊谷さんは震災当時、神奈川県でカーテン専門店の店長をしていました。夏の1か月間、被災地でのがれき撤去作業のボランティアに参加した後、現地で目の当たりにした壮絶な光景が頭から離れず、仕事に力が入らない日々が続いたといいます。そんな中、知人に「被災地にミシンを配る活動を手伝わないか」と誘いを受けて南三陸町を訪問。その後、交流を続けるうちに活動のリーダーとなりました。

熊谷さんには忘れられない転機があります。震災翌年の12年1月、演出家の宮本亞門さんの支援で、東京・日比谷の劇場で工房の商品を販売することになりました。

「当時はまだ、つたない縫製だったにもかかわらず、商品が飛ぶように売れました。ただその時、かえって『これは、ちゃんとしたものを作っていかないといけないぞ』との思いを強くしたんです。かわいそうだから買ってもらうのでは、すぐに終わってしまう。縫製の技術を磨いて、良いものを作っていこうと決心して、工房のメンバーにも呼びかけました」

■ふなっしーやSMAPファンにも支えられた

13年には千葉県船橋市の非公式キャラクター・ふなっしーから、ぬいぐるみ製作を依頼されました。試行錯誤の末に完成させたぬいぐるみ「分身ふなっしー」は一躍、人気商品に。この年、工房はNPO法人になりました。

順風満帆だったわけではありません。「震災から5年」を迎えた16年3月を境に、商品が急激に売れなくなりました。

助成金などに頼らず、商品販売で活動資金をまかなってきた工房にとって、売り上げ減少は致命的でした。いよいよ工房の活動停止も視野に入ってきた17年2月、突然、オンラインショップでの注文が殺到しました。調べてみると、人気グループ・SMAPのファンたちが一斉に注文していたことが分かりました。

前年の12月に解散したSMAPは、東日本大震災の復興支援を長く続けていました。「ファンの皆さんが『5人が戻ってくるまで、自分たちで復興支援を続けよう!』と呼びかけて、自主的に注文されたとのことでした。本当に驚きました」と熊谷さん。「ふなっしーやSMAPのファンにも応援してもらうことができて、本当に助かりました」

■広がる支援の輪 「今度は誰かの手伝いをしていきたい」

現在、工房には7人のメンバーがいます。畠山さんは震災前からの漁師の仕事も再開しました。早朝にはワカメを収穫し、午前中は工房に出かけて縫製の仕事も続けています。「もともとは引っ込み思案だったのですが、ミシン工房のおかげでいろいろな人に会うことができて、自分も成長できたかなと思います。今、こうしてみんなと充実した日々を過ごしていられるのは、たくさんの人に応援してもらったおかげです」

一方、去年から続く新型コロナウイルスの感染拡大で出店できるイベントなどが激減し、熊谷さんの頭には5年目の苦い記憶がよぎりました。そうした中、被災地支援を通じて交流があったイラストレーターのエージェンシー代表・長谷川泰子さんの紹介で、銀座で商業施設を運営するマロニエゲートとの企画が決まり、5月5日までの約10週間、マロニエゲート銀座2で期間限定のショップを開くことになりました。さらに3月からはインターネット上で、工房を支援するクラウドファンディングも始まりました。

また新たな取り組みとして、宮城県と福島県にある、障害者が通う自立支援施設で織られた生地を使った商品を開発しました。熊谷さんが施設を訪問し、はた織りに懸命に取り組む人々の姿や、美しい色あいの生地に心を打たれたことがきっかけだといいます。

「この10年間、多くの人に助けてもらった私たちですが、今度は誰かのお手伝いをしていきたい。10年で培った縫製技術や販売ノウハウ、資材の調達を通して、少しでも誰かのお役に立てるならと思っています」


※写真 ミシンで縫製作業をする畠山つた子さん

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