“遅れてきた津波”への油断語り継ぐ 千葉
東日本大震災では、千葉県も被災地となりました。津波に巻き込まれながら一命を取り留めた住民が、遅れてきた「大津波」への“油断”を語りました。
千葉県旭市では14人が死亡し、今も2人の行方がわかっていません。当時、海岸線には合計3回の津波が到達しました。中でも最大だったのは、地震からおよそ2時間20分後に到達した第3波でした。高さは最大で7.6メートル。堤防を越えて、住宅地をのみ込みました。
津波にのまれた宮本英一さん(71)「油断というか慢心というか、津波をなめていたということか。今まで大きい津波が来なかったので、絶対来ないという頭がありましたので」
海岸近くに住む宮本さん。実は、地震直後に自宅から高い所に避難したものの、第1波が比較的小規模だったことから、大津波警報が出ている中、自宅に戻っていました。そこに思わぬ大津波が。
宮本英一さん「私の背以上ですから2m以上あったと思いますね。(津波に気づいてから)10秒ちょっとですね。一瞬という感じです。そこ(家)の脇に隠れたけど、波が来た」
流された宮本さんは、途中にあった建物の2階にしがみつき、一命を取り留めましたが、旭市では同じように避難後に自宅に戻って第3波に遭った住民が多く、命を落とした人もいました。
宮本さんは、「災害伝承語り部」として、当時の“油断”と「津波は何度もやってくる。警報が解除されるまで避難を続ける」という教訓を、若い世代に伝えていきたいということです。