【能登半島地震3か月】FBS記者が歩いた被災地 子どもたちは新学期も元の校舎に戻れず 心のケアを強化
石川県輪島市では、地震の影響であたり一面、がれきが散乱していました。この場所は、元日に発生した能登半島地震で、およそ300棟が全焼した観光名所の朝市通りです。
あれから3か月がたちました。
■吉原美樹記者
「今もまだ、焦げたようなにおいが漂っています。」
骨組みがむき出しになった建物や焦げた車はほとんど、手つかずのままです。朝市の再開のめどは立っていません。
最大震度7を観測した石川県志賀町(しかまち)でも、倒壊した家屋が点在するなど復興までの道のりはまだ見えません。
町を歩いていても、住民やボランティアとすれ違うことは、ほとんどありませんでした。
そのなかでたどり着いたのは、富来(とぎ)小学校です。
■吉原記者
「小学校横の道路ですが、電柱が傾き、道路には亀裂が入っています。」
あの時のまま、時間が止まった小学校。子どもたちはどこに行ったのでしょうか?
■富来小学校・立中善英教頭(取材当時)
「危険で使えないということで、中学校の中に入って、2階に小学校が入って授業しています。」
小学校の柱などの損傷が激しく使えなくなったことから、およそ1.5キロ離れた中学校で授業を続けています。
中学校の2階を借り、仮設の小学校を作りました。震災のおよそ1か月後に再開し、全校生徒90人あまりのうち70人ほどの生徒が登校しました。
■立中教頭
「これは次の2年生(の教室)ですね。この間まで1年生だった子たちの荷物がある。」
新学期が始まっても、子どもたちはこの仮設小学校に通います。
■立中教頭
「子どもたちが来た時に動揺するだろうなと考えていたのですが、子どもたちは(学校が)再開する喜びのほうが強かったみたいです。友達と会ったうれしい表情が今でも忘れられないです。」
その一方で、懸念もあります。
■立中教頭
「ある一定の時期を越えて、いろんなものがフラッシュバックすることが予想される。」
新学期からはスクールカウンセラーの人数や対応する日数を増やし、子どもたちの心の変化に気づけるように見守りを強化していくということです。